○185『自然と人間の歴史・日本篇』島原の乱(1637~1638)

2018-11-27 22:34:49 | Weblog

185『自然と人間の歴史・日本篇』島原の乱(1637~1638)

 島原の乱とは、農民らの一揆というよりは、その規模などにおいて、当時の日本における一個の「内乱」というべきだろう。その勃発の時は1637年12月11日(寛永14年10月24日)、島原の地有馬村の住民がまず蜂起した。10日遅れて、天草でも一揆が始まった。主な背景には、この地が作物の栽培には適さない上に、年来の不作、領主の悪政などがかさなったものとされる。

 この機に乗じたのが、天草大矢野に住んでいた、関が原の戦いで西軍に属し敗れた小西家の旧臣益田甚兵衛なるものが中心となり、浪人などを糾合していく。その子、四郎時貞(しろうときさだ)、その霊名はジェロニモと称する少年を頭に推戴し、敢然と藩政、ひいてはキリシタン弾圧を押し進める幕府に敵対の旗を立てた。そしてこの地の農民、漁民などに結束して戦うように宣伝し、武装を構える。

すなわち、出発の時から、早々農漁民一揆を宗教一揆の形に組み立てた。これで、「生き残れるかなあ」という暗澹たる気分に晒されていた自分たちの未来を一転、支配者に戦いを挑むことで自らの運命を切り開こうとしたものだ、といえよう。

  現地での苦戦に、幕府軍が組織され、12月5日に江戸を出発した。12月26日に着いて、九州の諸侯とともに戦いを進める。総勢12万4千人というから、おどろきだ。海からは、オランダからの大砲などを借りて攻めるが、効果は上がらず。外国に援助を頼るのはよくないという怨嗟も聞かれるため、途中で取りやめとなる。

 それからの幕府軍は、敵の兵糧の尽きるのを待つ作戦に切り替え、これが効果をあらわしていく。そして迎えた1638年3月11、12日の総攻撃で、さしもの堅固な守りも突破され、勝敗がつく。老幼男女を問わず、生き残った者は皆殺しにされたという。この戦いで、当時のカネで39万8千両が費やされたという。

 幕府は、これを機に、対キリシタンの政策を厳しく進めていくことになる、また、諸藩はそれに倣って以後、苛烈なキリシタン対策を強いられていく。

 

(続く)

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♦️343の2『自然と人間の歴史・世界篇』自動車の時代へ

2018-11-27 19:19:51 | Weblog

343の2『自然と人間の歴史・世界篇』自動車の時代へ

 かたや内燃機関の開発が進んでくると、それを搭載して自動車を柱にすことが現実化していく。1870年には、ユダヤ系オーストリア人のジークフリート・マルクスが自動車の試作を行う。1879年には、ジョージ・B・セルデンがガソリンで走る自動車を試作し、1895年に特許を取得する。

 1888年、先のマルクスが、ドイツでマグネット型の低定電圧点火装置を初軽視、特許を取得した。

 そして迎えた1893年、アメリカのフォード自動車カンパニーがつくった自動車が初めて街頭に現れる。1897年には、ドイツ人のルードルフ・ディーゼルが、ディーゼル・エンジンの原理を発明する。

  1900年のアメリカの人口は7609万人を数え、製鋼生産高はイギリスの2倍に達す。1911年には、ヘンリー・フォードのフォード社が、自動車の大量生産体制をつくる。1914年、その意欲的経営者のフォードは、労働者の日給5ドルの最低賃金に引き上げる。その対象者は、22歳以上の月給制ではない労働者であった。また、一日の労働時間につき、8時間労働制を打ち出す。1926年には、週5日制を導入したという。

 そんなフォードだが、一気呵成というか、なかなかの奇抜な思想を抱いており、歯に衣を着せない言いぶり、書きぶりが目立つ人物なのであって、例えばこういう。

 「労働は万人の為すべき自然の業務である。はたらかなくともよいという組織は、未だかつて発明されたことはない。自然は労働を要求する。手と頭は怠けているように作られているのではない。労働はわが健康であり、わが自尊であり、わが救済である。」(「わが勤労哲学」)

 「法律は建設的ないかなることをも行わない。(中略)立法が貧困を除去し、特権を廃止することをわれわれが当てにしている限りは、われわれは、貧困が広がり、特権が増大するのを黙って見ていようとするのである。」(「わが人生と仕事」)

 「この国における労働組合員のうちで唯一の強力なグループは、組合から報酬を得ているグループである。(中略)労働組合員がわれわれの従業員のために行うことができることは何もない。」(同)

 このような破天荒な思想の集合であるからして、人物像が誠にとらえにくいのだが、尾上一雄氏は、あえて次のようにまとめておられる。

 「彼は高賃金政策をとったのに、さきに述べたように、労働者の団結やその団体交渉に反対したのは、彼のボス的、「独裁者的」性格、さらに、【中略】独善的な、思いあがったキリスト教的企業哲学、即ち、1902年に、フィラデルフィア&レディング鉄道会社、ジョージ・F

・ベイアによって表明された有名な哲学ー「労働者の権利と利益は、労働運動扇動者ではなく、神が彼の限りなき叡智をもってこの国の財産所有権を与えたもうたキリスト教徒によって、保護され、尊重されるだろう」ーによるものと考えられる。」(尾上一雄「増補アメリカ経済史研究1」杉山書店、1969)

 

(続く)

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