360の2『自然と人間の歴史・世界篇』物理化学(原子の構造の発見)
1911年、ラザフォードは、続いてガイガー、マースデンと協力して、アルファ線を原資にぶつける散乱実験を繰り返す。そして原子核というべきもののあることを確信した。それ以前の頭で考えたモデルを参考に、原子核の大きさを探る。
薄い銅箔にラジウムからのアルファ線を当て、その実験データから銅の原子核の大きさを推定すると、1.8×10のマイナス14乗メートルより小さいと出た。これは、原子の大きさの約5千分の1以下だという。
ラザフォードはなおも前進する。1919年には、「ウィルソン霧箱」と呼ばれる装置を使って実験を行い、発生した粒子が、原子を構成する電子とは異なるもう一つの粒子として「陽子」と名付ける。言い換えると、この実験で、窒素の原子核にヘリウムの原子核を衝突させて酸素の原子核を作り出し、その結果として陽子がはじき出されるのを観測した。
おりしも、キュリー夫人の娘夫妻イレーヌとジョリオは、アルファ線をベリリウムという金属に当てると透過力の大きい別の放射線が出てくることを発見していた。しかし、その物質が何であるかまでは、理解していなかった。
これらに触発されたチャドウィクは、このアルファ線を色々な物質に衝突させる実験を行い、何かの粒子がはじき出されるのを発見した。この放射線が、陽子と同じ質量をもつ傍ら、電荷を持たない中性の粒子ということで「中性子」と名付ける。
こうして、原子核は陽子と中性子によって構成されている、と考えられるようになっていく。
(続く)
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