♦️628『自然と人間の歴史・世界篇』ガイアナ協同共和国(1960年代~)

2018-11-12 22:21:34 | Weblog

628『自然と人間の歴史・世界篇』ガイアナ協同共和国(1960年代~) 

 ガイアナ共和国は、南アメリカ大陸の北東部に位置する。

 1621年には、オランダ西インド会社設立とともに同社の支配下に入る。18814年には、イギリスの統治下におかれる。1831年、イギリス領ガイアナとなる。

 やがて独立運動が高まってくる。1953年、イギリスはガイアナの社会主義化を恐れ、軍隊を派遣する。そして武力で威圧して、憲法を停止させた。1962年には、黒人主体の反乱がおこる。

 1966年にイギリス連邦内の自治領としてガイアナは独立をはたす。1970年に共和制へ移行する。1980年になってようやく新憲法が公布される。バーナムが大統領に就任し、終身大統領制をとる。協同組合制度を基礎に社会主義を展望していく。

(続く)

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♦️625『自然と人間の歴史・世界篇』パラグアイ(1960年代~)

2018-11-12 22:03:18 | Weblog

625『自然と人間の歴史・世界篇』パラグアイ(1960年代~) 

 パラグアイは、南アメリカ大陸の中央南部に位置する。

 1811年には、スペインから独立をはたす。1864~1870年の三国戦争(パラグアイ戦争)は、対ブラジル・アルゼンチン・ウルグアイ連合軍の戦争であった。しかし、この戦争でパラグアイは敗北する。領土の侵害に対し多くの国民が立ち上がり戦ったものの、侵略に抗しえなかった。ためにパラグアイの人口は激減した。

 1932~1935年、今度はチャコ戦争(対ボリビア)に勝利。1954年には、ストロエスネル将軍がクーデターにより政権を掌握する。以後35年間にわたり独裁政権が継続する。1989年2月、クーデターによりロドリゲス将軍が政権を掌握する。1989年5月には、ロドリゲス将軍が大統領につく。1993年8月、ワスモシ大統領が就任し、文民政権となる。1998年8月、クーバス大統領就任、続いての1999年3月ゴンサレス大統領に就く。

(続く)

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♦️627『自然と人間の歴史・世界篇』エクアドル(1960年代~)

2018-11-12 21:26:53 | Weblog

627『自然と人間の歴史・世界篇』エクアドル(1960年代~) 

   エクアドルは、南アメリカ大陸北部の太平洋に面したところにある。

   1822年、大コロンビアとしてスペインより独立をはたす。1830年には、大コロンビアより分離独立する。

 1920年代になると、一時産品価格の低迷の中でカカオの国際市場価格が低落し、輸出額が減少した。地主や関連のブルジョアジーの経済基盤が弱体化していく。このため、労働者・庶民に労働・生活条件へのしわ寄せがなされていく。1922年10月には、賃上げとゼネスト労働時間短縮など待遇改善を求めるゼネストが宣言された。自由党政権は、これを弾圧した。1925年7月には、民衆の不満と結びついた形でクーデターが起こり、政権は崩壊した、これを「七月革命」という。

 この運動を指導したインドロ・アヨラ政権が(1931年まで)の下で数々の進歩的な改革が進められていく。経済面では、財政中央銀行の設立や財政再建の試みなどがあった。しかし、カカオとコーヒーの栽培と輸出によっていたため、1929年の世界恐慌で輸出が痛手を受け、財政がひっ迫する中、同政権は右からのクーデターにより崩壊した。

 1946年制定の憲法が改訂され、文民の大統領が定められた。

(続く)

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♦️634『自然と人間の歴史・世界篇』セントルシア(1960年代~)

2018-11-12 21:11:07 | Weblog

634『自然と人間の歴史・世界篇』セントルシア(1960年代~) 

 セントルシアは、1650年、フランスが入ってくる。カリブと平和協定をむすぶ。1814年、パリ条約でイギリス植民地とされる。1958年から1962年にかけて、イギリス領西インド諸島連邦に加盟する。1967年には、内政自治権を得てイギリス自治領となる。他のイギリス領の島とともに西インド連合州を形成。1974年には、カリブ共同市場に加盟。1978年12月のイギリス議会の承認を得て、1979年2月に独立をはたす。

(続く)

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♦️633『自然と人間の歴史・世界篇』ドミニカ共和国(1960年代~)

2018-11-12 20:27:49 | Weblog

633『自然と人間の歴史・世界篇』ドミニカ共和国(1960年代~) 

 ドミニカ共和国は、カリブ海に位置する。この海に浮かぶアンティル諸島の中央にあるイスパニオ島の東部3分の2を占める。

 1492年、コロンブスによる船団がイスパニオ島を見つけた。1697年、同島の西側がフランスとなる。リスウィク平和条約による。1795年、フランスとスペインの仏西戦争によりフランス領に組み入れられる。1804年には、ハイチとしてフランスより独立する。1814年のパリ条約で東側はスペイン領となる。

 1822年、ハイチ軍による占領があり、1844年まで続く。1844年、ハイチ人を追放して彼らの支配からから解放され、ドミニカ共和国を建設する。1861~1865年、スペインに合併される。ラテン・アメリカを再びものにしようとのスペインの企てであったのだか、1965年に民衆の武装蜂起がおこって、スペイン兵は撃退され、再び共和国体制へと戻る。1916~1924年には、米国による軍事占領があった。1930~1961年、トルヒーリョ将軍による独裁が続く。1961年、バラゲールを首班とする国家評議会が成立するも、その後クーデターで軍事評議会が政権を担う。

 1963年、総選挙を経てボッシュが大統領に就任する。1995年には、政府軍と反政府軍の武力衝突が起こる。1966年~1974年、バラゲール大統領が政権を担う。

(続く)

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♦️640『自然と人間の歴史・世界篇』ドミニカ国(1960年代~)

2018-11-12 19:19:21 | Weblog

640『自然と人間の歴史・世界篇』ドミニカ国(1960年代~) 

 

 ドミニカ国は、カリブ海のドミニカ島にある。この島だが、小アンティル諸島に属するウィンドワード諸島北端に位置する。島では、火山が活動している。滝や温泉湖があり、植生も豊かだ。

 1493年、コロンブスの船団により西洋の知るところとなる。1805年、イギリス植民地に組み込まれる。1958年から1962年にかけてイギリス領西インド諸島連邦に加盟する。1967年には、イギリス自治領となる。1978年にようやく、イギリスからの独立をはたす。

(続く)

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♦️626『自然と人間の歴史・世界篇』スリナム(1960年代~)

2018-11-12 09:06:00 | Weblog

626『自然と人間の歴史・世界篇』スリナム(1960年代~) 

   スリナム共和国は、南アメリカ大陸の北東部に位置する。スリナムという名前は、土着語の「岩の多い川」にちなむという。なぜかというと、「9~12月にわずかな乾季があるものの、年間降水量が多いため河川の水量は豊富で急流が随所にある」(平凡社刊行の「ラテン・アメリカを知る事典」2004改訂)のだという。

 15世紀末スペインにより西洋に知られる。1650年にはイギリス植民地に。イギリスは、この地にタバコ栽培に始まって、コーヒーやカカオの栽培にも手掛けていく。1667年のイギリスとオランダの戦争(第二次英蘭戦争)により、今度はオランダ植民地になる。1815年の列強が集ってのパリ条約で最終的にオランダ領となる。1863年の本国での奴隷制廃止により彼らのプランテーションは打撃を受けた。とはいえ、インドやジャワからの移民を受け入れたりして、労働力を補っていった。

 20世紀に入ってからの1948年、オランダ修正憲法によりオランダ植民地から脱却し、オランダ領西インド諸島とともに対等の「海外領土」ということになった。1954年、オランダ自治領に組み入れられる。つまり、軍事と外交を除き自分で動けるようになったという。

 1975年11月に、ようやくにしてオランダから独立をはたす。

 

(続く)

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