♦️364の2『自然と人間の歴史・世界篇』物理学(波動力学)

2018-05-06 22:05:59 | Weblog

364の2『自然と人間の歴史・世界篇』物理学(波動力学)

 1926年には、エルヴィン・シュレーディンガー(1887~1961)は、物質粒子、特に電子の波の形と運動状態を記述するために、波動関数Ψ(ギリシア文字でファイと呼ぶ)というものを考える。その波動関数が満たすべき方程式(微分方程式)を組み立てる。この式は、後に「シュレーディンガーの波動方程式」と呼ばれることになる。
 その構成は、数学の学習で出てくる虚数としてのi(アイ)に、「エッチ・バー」と発音される記号で表現されるもの、そして波動関数の時間的変化の割合を掛けたもの(左辺)が、運動エネルギーの項(負の符号)と位置エネルギーの項との和(右辺)で表されるとのこと。ここで念のため、最初のhに横棒の入った記号は、アルファベットの h に 横棒が付いているので、エッチ・バーと発音し、ディラック定数(h/2π、hはプランク定数)とされる(式は、例えばも特集「なるほどよくわかる!量子論」:雑誌「ニュートン」2013年6月号)。
 これを数学的に解く(波動関数Ψがどんな関数かを求める)ことにより、当該の電子の波の形と運動状態、つまりそこでの電子の波がどのような形をしているか、どのように時間とともに変化していくかがわかるのだという。言い換えると、この波動関数というものを数学的に解くことにより、原子なりがどのようにふるまうかを詳しく知ることができるようにもなっていく。もう少しいうと、いわば「電子が原子核のまわりを濃淡の密度をもった雲のように広がっている状態」であるという。そして、さらに電子の雲が濃いところほど電荷の密度は高く、逆に薄いところほど電荷の密度は低いと考える。この雲のように広がった電子を「電子雲」と呼ぶ。
 さらに敷衍して一般論に触れると、山本義隆氏は、古典物理学と量子力学との違いを、わかりやすく、こう説明しておられる。
 「古典物理学では、世界は物質と場によりなると考えられている。物質的物体はたがいに力をおよぼしあう質点の集合と見なされ、質点は、ある時刻の位置と速度が与えられ、働く力が知られているならば、その後の任意の時刻の位置と速度は一義的に決定される。そのさい、質点が決まった速度で通過するということは、それを現実に観測するか否かにかかわらず確かなことと見なされていた。
 他方、電場と磁場は空間に広がった物理的実在で、光は、この電場と磁場が波動となって空間内を伝藩してゆく現象と見られていた。波には重ね合わせの原理が成り立つので、光は重ね合わさって干渉を示す。これは質点にはない性質である。
 ところが微視の世界、つまり原子や原子核や素粒子の世界では、これまで波動と考えられていた光が、電子との相互作用では一個二個と数えられる粒子のようにも振る舞い、他方、粒子と考えられていた電子が、逆に波動の特徴である干渉効果を示すことも見出されたのである。たとえば二本の平行なスリットを通過した電子ビームが写真乾板に作る像は、ひとつひとつは乾板上の微小なスポットとして表され、そのことにおいて粒子性を示しているけれども、しかしそのスポットの集合全体は干渉模様を作り出し、そのことにおいて波動性を示している。
この微視の世界の物理学として作られたのが、量子力学である。」(山本義隆「訳者序文」:山本義隆編訳「ニールス・ボーア論文集1、因果性と相補性」岩波文庫、1999)

(続く)

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♦️364の1『自然と人間の歴史・世界篇』物理学(量子力学の誕生)

2018-05-06 22:04:24 | Weblog

364の1『自然と人間の歴史・世界篇』物理学(量子力学の誕生)

 量子力学というのは、いわば極微の世界での出来事を記述する物理学の一分野である。私たちの眼には見えないものが、現象のほとんどを占めている。つまり、原子、さらに原子核を構成する陽子や中性子や電子のような小さな粒子の観測や運動を対象とする。その発展の歴史は、20世紀の初め頃からに遡る。
 マックス・プランク(1858~1947)は、ドイツの物理学者で、科学の方法論に関して、エルンスト・マッハらの実証主義に対し、実在論的立場から激しい論争を繰り広げた。その彼は、量子論の創始に力を発揮する。
 1900年、プランクは高温のものから発せられる光の法則性を追求していた。時代的には、製鉄業において、鉄の色により温度を見分ける技術が求められていたという。そのことに触発されたのかどうかは知れぬ。ともあれプランクは実験を行い、その結果と一致する物理学の理論構成を考える。その中から彼が出してきたのが、「量子仮説」と呼ばれるものだ。これは、原子・分子が振動すると、光の波(電磁波)が発生する。そこで、彼は「光の発する粒子の振動のエネルギーは、とびとびの不連続な値しかとれない」という理屈を引き出す。
 デンマークの物理学者ニールス・ボーア(1885~1962)は、原子内の電子が円軌道を描いていると考え、プランクの量子仮説に当てはめる形で、1913年に原子モデルを提案した。原子内の電子のもつエネルギーはとびとびになると考えた。そうであるなら、許される電子の軌道もとびとびの領域に限られると。それに加えて、電子がエネルギーの高い軌道(原子核からみてより外側)から、エネルギーの低い軌道(原子核からみてより近い側)へと乗り移る際、その両者のエネルギーの差を光のエネルギーとして放出して光る。電子の軌道がとびとびなので、そこから出てくる光の色(波長の反映)も、とびとびになるというのだ。そして、このモデルについて電子のエネルギーの計算を行ったところ、実験結果とぴたり合ったのだという。
 それでは、電子はなぜとびとびの軌道にしか存在できないのだろうか。この疑問に対し、フランスの物理学者のルイ・ド・ブロイ(1892~1987)は、1923年に、光が波と粒子の二面性をもつならば、電子もこの二面性をもつのではないかと考えた。
 電子の「波と粒子の二面性」(ド・ブロイの提唱)
 「新しい力学の一般的思想によると、結合した波のこれらの可能な波長には、分子内部における電子にとって可能なある種のエネルギーが応ずる。はっきりきまったエネルギーをもつこれら可能な状態のみが、ボーアによってその原子論のうちに導入された量子化された運動状態に厳密に応ずる。これこそは、それらの運動のみが原子内部における電子にとって可能であるというこれまであれほど神秘であった事実を説明し得た波動力学の最初の偉大な成功である。(中略)
 こうして我々は電子が単なる粒子ではないという考え方の直接な証拠を手にした。電子は粒子的な面と波動的な面とを同時に有し、その場合場合に従って電子の入って来る現象を予見するために原子をあるいは波としてあるいは粒子として考えなければならない。どうすればこの二つの面を融合させることが出来るか。それを私はここで詳しく説明するわけには行かない。この融和は確率が重要な役割を演ずる微妙な考え方を必要とするのである。
 いずれにしても、同時に粒子であり波であるものは独り電子にのみに止(とど)まらない。その後の実験が示した通り、陽子もそうであるし、恐らくあらゆる物質的単位もそうだと言える。こうして物質に対しても光に対しても要素的な存在の原子的不連続的な面は連続的波動的な面によって裏打ちをされている。この予見は我々が電子について持っている観念を著しく変更して豊富なものとした。」(ルイ・ド・ブロイ著、河野与一訳「物質と光」岩波文庫、1972、96および98ページ)
 ここで彼が述べたのは、つまり、電子1個が粒子の説質をもちながら、同時に波の性質ももつのだというのだ。そこでもし電子が波であるなら、円周の長さは波の波長の整数倍となるのが自然だと主張した。「波」が存在するには周期性を保つ必要がある。それに、電子が円軌道で周期性を保つためには一周して戻ってきた時に元に戻らなければならない。したがって、一周して元に戻るには円周の長さが波長の整数倍でなければならぬという。ある質量の粒子がある速さで運動している場合、それはある波長に相当する波であると見なせるという。この波のことを、「ド・ブローイ波」という。
 すなわち、ここに語られる電子の波と軌道気道の関係とは、「軌道の一周の長さが、電子の波長になっています。このように軌道には、電子が存在できる」(「なるほどよく分かる!量子論」:雑誌「ニュートン」2013年6月号)というのが彼の考え方であり、かかる関係からずれている場合には、電子の波は安定して存在できないと。

(続く)

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