水戸 偕楽園梅6分咲きで今が見頃と言うニュースを聞き、晴天を狙って出かけてみました。
「水戸の梅大使」
朝ドラを見てから出かけましたので偕楽園に着いたときは正午近くとなっていて、ウィークデイにもかかわらず多くの人が梅を楽しんでいました。そういえばもう学校は春休みに入っているのでしたよ。
自分で行楽地へは早く行くべしと心に決めていたのにもかかわらず油断してしまいました。早速に「好文亭」へと足を勧めました。“水戸の梅大使”と書れた、たすきを掛けた美人が写真のモデルとなってくれてそれぞれの要望に答えて笑顔を見せてくれました。
「好文亭入り口料金場」
好文亭の観覧料は大人190円(団体20名以上の割引150円) 小中学生100円(団体20名以上80円)となっていますがシニアは無料です。やった歳をとるのも、いい事もあるのです
好文亭の名前は梅の別名〔好文木〕に由来しているようです。昭和20年に戦火により焼失したが、昭和30年から3年を費やして復元をされたようです。
「好文亭」 入り口
玄関を入り薄暗い部屋があります。菊の間・桃の間・つつじの間・桜の間・萩の間・紅葉の間・松の間・竹の間・梅の間とそれぞれ襖に描かれていて、昔の面影をそのまま伝えてくれています。
それらの部屋を囲むかのように廊下があり、きしむ廊下の板を踏みしめて外を見るとお庭に咲き誇る梅の木々が見に飛び込んできました。
この景色は好文亭の三階“楽寿楼”と称する部屋、東側の眺めです。ここに来るには急な勾配の階段を手すりを持ってそろりそろりと一段々慎重に上りました。
“楽寿楼”の西方向の景色で遠く千波湖が見えます。
“南門側からの好文亭の眺め”
三階から下りるのも一苦労です。明るい所から下に向かって下りるのは目がなれてなくて余計に暗く感じました。同じ階段なのに上るより下りるのは尚、急な階段に思えて後ろ向きで下りたい様に思いましたが目を凝らしながら滑らないよう又慎重に下りました。
“紅梅の横に聳え立つ好文亭の三階の部分です”
田鶴鳴梅林から望む好文亭。本当に梅に囲まれた好文亭は水戸徳川家300年の文化があるようですがその歴史の中の一部が今現在にも姿をとどめて徳川家の栄華を偲ばれて、それは貴重なものだと思いました。
古を偲び心の落ち着きを感じて梅の香に酔いしれたのですが、ふとわれに返り早めにこの場所を後にしないと混雑が予想されるので3時には駅に向かうバスを待ちました。待合場所では既に長蛇の列がありました。
丁度特急が通りましたが、昔この辺はどの様な地形だったのでしょうね
偕楽園の説明書では次の様なことが書いてありました。
全国に知られる偕楽園は、藩主のみではなく家臣や領民が共に游息するために天保13年(1842年)、徳川斉昭公(水戸藩9代藩主)が造園したものとありました。
面積約12・9ヘクタールの約二分の一に梅樹約3.000本、100品種の梅があり、早咲き(深海)、中咲き(賞梅)、遅咲き(送梅)とその開花期が正月から彼岸過ぎまで長い期間にわたって観梅できるのが特徴だそうです。
まさに天下一の梅の名所、偕楽園で気持ちよく見ごろで梅を見られた事に感謝する気持ちでした。
帰りの車中でふと脳裏をかすめたものがありました.それはやはり“梅の花”で知られる「菅原道真公」でした。
「こちふかば匂いおこせよ梅の花、あるじなしとて春をわするな」
学問の神様と知られる天満宮にも一寸行ってみたい気分にもなりました。
写真が沢山でいいですねー^^
まるで自分がいった気に
なりますw
水戸まではなかなかいけないので
私は近場の梅で春を感じにいって
きますねw
偕楽園での梅の香は・・・初めはいい香りと感じていましたが段々になれると顔を梅に近づけないと匂いが感じられなくなりました。なぜ
ご近所に梅があるようですが是非とも春を感じてくださいね
古の襖絵、色あせていましたが、それぞれ自然の持ち味が生きていて魅力的でした。その目で見られることをお勧めします。
コメントを有難う御座いました。