ポンポンダリアの独り言

毎日、何気なく生活する中で感じた事を気の向くまま、思うがままに投稿して見ようと思いました。

りゅうのすけ

2009年11月07日 | Weblog
孫が下敷きをどの様にして出した音なのかわからないが、“グウェグウェ”と変な音が聞こえた。でもどこかで聞いた音・・・あ!そうだ!りゅうちゃんが嘔吐する前触れの音だ!とママが言った。そうそう、リュウちゃんの吐く音だ。と孫も続いて思い出した。とんだ思い出し方よね・・・!?

金魚の水槽の上に在りし日の「りゅうのすけ」の写真が置いてあって、皆でその写真を見て懐かしむ。一生懸命約15年間みんなのマスコット的存在であったのです。

私は猫は毛が抜けるし、泥足で部屋に上がってくるので好きな存在ではなかった。
しかし娘は結婚した相手が猫好きの様で猫を飼っていました。ある日その猫は死んでしまい、淋しくなっていた矢先のこと、前を走る車が猫を轢いたのを目撃!

あ!やられた!と思ったとたん惹かれた猫の頭がむっくりと起きたそうです。
まぁ!生きている・・・!と思ったらその轢かれた猫を無意識のうち獣医さんの所へ持って行ったそうです。
その猫は一命を取りとめて首には「パラボナアンテナ」のようなものを付けられ傷口をなめないようにされていました。獣医さんの治療には、保険というものがないので結構治療費は掛かると娘はぼやいていました。それでも先に死んだ猫の生まれ変わり・・・だと思えて飼う事にした様子。その頃はまだ子供もいなかったのでそんな気持ちになったのかも?

猫はまだ青年?だったのか直りも早くて、パラボナアンテナは取れて首周りはスッキリしたようですがどうも下半身は麻痺してトイレも自分では出来ない状態となっていました。

そんなこんなしているうちに、孫も生まれて、今までお猫サマだったのが、自分達の子供の方へ愛情を注がれて、猫は一寸おいておかれた状態?私は猫が赤ん坊にやっかんで引っかきはしないかと気をもみましたが、おとなしい猫でその心配もないようでした。
猫嫌いだった私までもが、その猫の頑張りに応援するようになり、猫もスリスリとよってきたりして喉をなでると喉を“ごろごろぐる~”と喜んでいる様子、だんだんと可愛く思うようになりました。もっぱら娘たちが留守をする時には、トイレをさせに来たり、餌を与えたりの仕事をおおせつかったりするので、猫のほうも、ちょいと私に機嫌をとっておかないとヤバイ!?と思ったかどうかは定かではありませんが、娘宅に行くと玄関に直ぐ出て来てスリスリとそのしぐさをしていました。

そういった訳でりゅうのすけ(猫)は一歩も外へでられず、いざって歩きました。たまに窓ガラス越しに自然に歩いている猫の姿を見つけては本能のまま気にして外を伺って、低くうなったりもしているのを見ていると、外へでて猫同士の世間話もしたかろう・・・と思ったこともありました。

大分たって娘のうちが2階建てになりましたが、その階段は猫にとってリハビリになったのか前足だけでズリズリと階段を上がっていたのが、後ろ足も少しは使えるようになり、よろけながらも四足で立つ事もできるようになったのです。
猫草を食べては、グェグェゲボと前触れの音がして、ママは汚物を入れる籠を猫の口に持っていったり大騒動。

二人目の孫も生まれ、猫はだんだんと中年太り。寝そべっては時々チロリと片目を開け様子を見たり、孫たちの遊び相手になったりと情操教育に役立っているようでした。

私も季節の変わり目になると猫の毛がごっそり抜けるので、粘着テープで猫の体の毛を吸い付かせ、ごっそりと抜ける毛がテープにつくのが面白くて、良く取らせてもらったのです。猫は痛いのか時々白目をむき低く唸りますが、引っかくわけでもなく又なされるままにのびていました。たまに私がテープを手にしていると逃げて行く事もありました。やっぱりいやなのでしょうね。

この様にして月日も光陰矢のごとしで過ぎてゆき、本当にある日突然、娘の旦那に
朝の挨拶でもしたのか顔を見て“にゃ~”と言ったとたんにその場に動かなくなったそうです。

娘宅の人気者のリューチャン(りゅうのすけ)の愛称で頑張って精一杯生きてくれた猫に拍手を送りたい心境でした。
paruさんのブログで「猫は目で訴えるのか?」という記事がありましたが、私は猫も目で訴えているのだと思います。 リュウちゃん良く頑張った!