気ままに

大船での気ままな生活日誌

夏目漱石/100年目に出会う(2)

2016-04-26 05:07:11 | Weblog

おはようございます。旅先、弘前からの投稿です。さすが、日本一の桜。昨日は昼過ぎから、夜桜まで、とことん桜見物でした(汗)。その報告は帰ってからとして、今朝は、まだ中途半端にしている漱石展の紹介第二弾をちょこっと。

第二部100年目の夏目漱石

英国から帰った漱石は、五高教授を辞職し、東京に戻り、帝大講師の職を得る。そこで、留学中に構想した、独自の難解な文学論を講じる。しかし、学生には受け入れられず、以前からの神経衰弱も悪化し、うつうつとした日々を過ごしていた。気晴らしに、自分の主宰する文章鍛錬会に参加してみてはと虚子に誘われる。そこで、”吾輩は猫である”の序章を書く。虚子が朗読し、大笑いし、漱石もまんざらではない。小説家、漱石の誕生の瞬間であった。

1905年、それを”ほととぎす”新年号に発表、引き続き”倫敦塔”など3本、翌年には”坊ちゃん”、”草枕”など次々と名作を発表、明治の文学界に大きな衝撃を与えた。さて、展覧会では、それぞれの名作に関連した原稿、書簡、書籍、絵画等が展示されている。

吾輩は猫である

英語教師・珍野苦沙弥(くしゃみ)先生の日常を飼い猫の目で語る小説。日本人なら知らない人はいない名作中の名作。ぼくも、はじめて漱石を読んだのもこれだった。苦沙弥先生はもちろん自画像。

これは創作メモ↓ ”細君の洗髪、春風、禿”など作品のネタを列挙している。墨での消去は、使用済みということらしい。

漱石自身、猫を飼っていた。これは有名な、漱石画”あかざと黒猫図”。三代目の飼い猫を描いた。

坊ちゃん

親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている坊っちゃんが物理学校を卒業して、新米教師となる。山嵐、赤シャツ、野だいこ、うらなり、清、マドンナら多彩な人物との痛快なぶつかりあい。のちに漱石はこの主人公について、”現今のような複雑な社会には円満に生存しにくい人”だと語っている。

資料として、ホトトギスへの原稿料領収書(笑),この小説の元となった松山中学教師時代の漱石の写真、書簡などが展示されている。

草枕

ぼくも好きな作品。冒頭の文章がとくにいい。”智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は 住みにくい” そして、”どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る”。漱石はこの小説について、”私はただ、読者の間に、美しい感じが残りさえすれば、それで満足だ”と
述べている。

熊本時代に小天温泉(玉名市天水)へ旅している。その経験が名作の誕生につながった。

小天温泉にある前田案山子別邸。



松岡映久 ”湯煙(草枕)” 松岡は草枕を映画化すべく、門弟たちと”草枕絵巻”を制作した。この絵は後年、改めて描いたもの。


文名の高まりと共に、漱石は教職を兼ねて、文筆活動をする困難さを感じていた。そこに、朝日新聞が手を差し伸べた、専属作家して新聞連載小説を書き始めるようになる。

1907年(明治40年)に大学を辞職する。

(つづく)

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妙法寺の苔石段 安国論寺のつつじ

2016-04-25 06:14:15 | Weblog

おはようございます。前回のつづきです。

安養院のつつじをみたあと、安国論寺まで足を延ばす。あそこは、山門前のつつじが華やかだ。なかなかいい具合に咲いていた。

境内にもそこそこ。


藤も見頃。

青もみじも見頃。

帰り道、そうだ、土曜日ならば、妙法寺も開いているはず。久しぶりに、苔石段を拝見しよう。虚子の娘さんで俳人の星野立子が、この苔石段を詠んで有名になった。

美しき 苔石段に 春惜しむ

その句碑。

下から眺める

横から眺める

上から眺める

楽しいかまくら散歩であった。

さて、弘前公園の桜が満開になったようですので、これから、出掛けてこようと思います。 
では、行ってきまぁす。

 

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安養院のおおむらさきつつじ 別願寺の藤

2016-04-24 15:09:28 | Weblog

雨が降りそうな天気だったが、ふらりと鎌倉に出た。大町の安養院のおおむらさきつつじもそろそろではないかと、そちらに向かう。四つ角から大通りに折れると、すぐ、別願寺の藤のあざやかな色が目に飛び込んできた。そうだ、これも見たかったんだと、足を早める。この藤も、なかなかちょうどいい頃に出会うことが少ない。それがなんと、今日は、最盛期を迎えていた。お寺といっても、民家のような本堂で、大きな石柱にお寺の名前が刻まれているので、ようやくお寺であることがわかる。

うしろに廻ると、モッコウバラも見頃で、ツーショットが、なかなかのみものだった。

別願寺のすぐ先が安養院で、通り沿いの土塁が赤紫色に染まっているのがわかる。おおむらさきつつじは、多少遅めに見頃を迎えるが、もう、七割ほどの株がほぼ見頃になっていた。

途中にある裏門

ただ、山門前のつつじは、残念ながら、まだこんな感じであった。でも、蕾は結構あったので、週末あたりはいいのでは。ここが一番、絵になるところなので、ここをお目当ての”カメラマン”が多い。

でも、境内の躑躅には満足。

前述の裏門へ続く道沿い

本堂のガラス戸に映るつつじ

本堂の裏には、重要文化財の宝篋印塔(1308年、鎌倉最古)と、その左には北条政子の供養塔がある。ちなみに安養院は、政子の法名である。


宝篋印塔がツツジの花にすっぽり包まれていた。

政子のお墓にもお花見をさせてあげた。


身代わり地蔵さんにも、お花見をさせてあげた。

樹齢900年の大槇の陰で、山芍薬が大きな白い蕾を膨らませていた。


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夏目漱石/100年目に出会う(1)

2016-04-23 09:46:54 | Weblog

おはようございます。

文芸映画を観る会というのがあって、定期的に神奈川近代文学館で上映される。今回は現在開催中の漱石展に因んだ映画として、”こころ”が上映されたのだが、チケットが完売で、入場することができなかった。比較的大きなホールだし、こんなことははじめてだった。漱石の国民的人気には今更ながら驚いてしまう。映画の方はあきらめ、家内と二度目の漱石展をみてきた。図録も購入したので、これから、何回かに渡り、夏目漱石/100年目に出会う展を紹介していこうと思う。

入館すると、常設の、復元された、”漱石山房”が迎えてくれる。夏目漱石(1867-1916)を慕い、寺田寅彦、鈴木三重吉、安倍能成、野上弥生子、阿部次郎、中勘助、岩波茂雄、和辻哲郎、内田百聞、芥川龍之介ら錚々たる文士たちがここに集った。展覧会には、当時の部屋の写真や、山房内に掛けられていた書と絵画が展示されている。

1907年から亡くなるまで住んだ早稲田南町の書斎。新宿区は、当地に復元を計画しているようだ。下の写真は1917年に撮影されたもの。戦災で焼失している。

明月和尚書”無絃琴”。陶淵明が、弦のない琴を携え、酔えば、その琴を愛撫して心の中で演奏を楽しんだという逸話からきている。

安井曾太郎の”麓の町”。この絵を購入した漱石は、描写の密度が自分の小説と似ている、自分にぴったりくる、と語っていたそうだ。

さて、展覧会の構成は次のようになっている。

第一部 作家以前
第二部 100年目の夏目漱石
第三部 漱石という人

以下、順を追って、紹介したい。

。。。。。

第一部 作家以前

漱石が小説を書き始めたのが、明治37年(1904)で、大正5年(1916)、49歳で亡くなる。作家だった時代はわずか10年ほどである。漱石の人生では、作家以前の時間がはるかに多い。一高、帝大の学生時代、そして、松山と熊本の教師時代、英国留学時代、帰国後の帝大講師時代とつづく。この間、小説は書いていないが、俳句、漢詩などをたしなみ、またこれは(大学講師としての)本業だが、独自の文学論を構築している。

漱石は夏目家の五男として誕生したが、5歳で塩原家に養子に出される。20歳のときに夏目家に復籍する。東大予備門(のちの一高)で正岡子規と出会う。帝大英文科入学後も子規との交友はつづく。

子規と漱石 ふたりとも寄席が好きで、それがきっかけで親しくなった。子規は漱石の英国留学中、35歳の誕生日前に亡くなる。

松山中学校 土地の気風になじめず、短期間で松山を去るが、この教師時代がのちの名作”坊ちゃん”を生む。

旧制五高(現熊本大学) 4年3カ月勤務。その後、英国へ留学。


熊本時代は5回も転居したとのことで、それらの旧居も一部、残っている。ぼくも坪井旧居を見学したことがある。今回の地震ではどうであったろうか。心配だ。下の写真は大江町の住宅での写真。中央が漱石・鏡子夫妻。

熊本時代は漱石にとっても充実していた。結婚もし、子供も生まれた。

ふたりの見合い写真

そして、英国留学へ。よく知られているように、ロンドンでの生活は心地よいものではなかった。神経衰弱にもなったようだ。それでも、給与の大部分を書籍購入に充て、のちのユニークな文学論を構築するための研究を行った。帰国後、五高教師を辞し、東京に戻り、帝大講師となる。そして、いよいよ小説家としての華々しいデビューとなるのである。

(つづく)

 

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横浜山手の躑躅はどうか?

2016-04-22 22:51:06 | Weblog

こんばんわ。

今日の散歩のテーマは、”横浜山手の躑躅はどうか?”

イタリア山には一本の躑躅もなかった。ただ、メタセコイアの新緑ばかりが輝いていた。

でも、山手本通りに入って、ある邸宅の前に、ステキな金縛りの躑躅がいた。

山手公園にはあるだろうと、探しに行ったが、これしかなかった。でも、これもステキな金縛り躑躅だった。

本通りに戻ると、アメリカデイゴの古木をフェリス女学院でみつけた。是非、花の時期に来なければ。もひとつ、山手資料館の前でもみつけた。

金星が太陽を通過する観測記念碑というのがあった。ようやくここで躑躅をみつけた。

港のみえる公園まで来ると、さすがに”皆無”ではなかった。

アメリカ公園に向かう坂道にトチノキの花がもう咲いていた。

アメリカ公園ではいろいろ。

アメリカハナミズキ。

八重桜の松月が見事だった。

ひめうつぎ

ユーフォルビア

モッコウバラも一気に咲いてきた。

ここでは、躑躅は皆無。

以上、横浜山手の花だよりでした。(多少、文章表現に誇張はありますので、お許しを。たとえば、”皆無”とか、”一本もなかった”とか

では、おやすみなさい。

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五代目中村雀右衛門襲名披露

2016-04-22 09:53:36 | Weblog

もう四月大歌舞伎の千穐楽が近づいているのに、三月大歌舞伎の記事を書いていないことに気付き、あわてて書き始めている。とくに、三月は、五代目中村雀右衛門襲名披露という記念すべき公演だったし。

ぼくは昼の部に行ったので、襲名披露の口上は聞けなかった。写真だけでもあげておこう。

筋書から抜き出してご挨拶を。大切な名跡を引き継ぐことに、今、身の締まる思いがいたします。歌舞伎座での襲名披露興行で、父が大切にしていた三姫から二役をさせていただけるのは、本当に幸せだと思います

昼の部では、”鎌倉三代記”の時姫。夜の部では、”祇園祭礼信仰記/金閣寺”の雪姫を演じる。

ぼくは昼の部の時姫をみさせていただく。

五代目中村雀右衛門(時姫

菊五郎と。

吉右衛門と。

三、鎌倉三代記(かまくらさんだいき) (歌舞伎美人から転載)

大坂夏の陣を題材にした時代物の名作

北条時政との戦いで、劣勢を余儀なくされている源頼家に仕える三浦之助は、病床の老いた母長門のもとへ、暇乞いに訪れます。出迎えたのは、時政の娘ながら三浦之助の許嫁である時姫。気丈に息子との対面を拒む長門とは対照的に、時姫は夫となる人に恋い慕う心を打ち明けますが、三浦之助は、敵方となった姫に心を許しません。そんな時姫を呼び戻そうとやってきたのは、時政方の足軽、安達藤三郎。しつこく時姫に言い寄り、姫に斬りかかられて逃げる始末ですが、実は、その正体は三浦之助と共謀していた佐々木高綱。すべては時姫に父時政を討たせようという計略だったのです。
歌舞伎では“三姫”と呼ばれる大役のひとつで、三浦之助を一途に恋い慕う時姫を、新雀右衛門が初役で勤める舞台にご期待ください。

素顔の五代目

三月大歌舞伎の筋書の表紙絵

源平桃 (斉藤満栄)

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湘南国際村のつつじ&明月椀

2016-04-22 08:16:03 | Weblog

おはようございます。昨日はどんよりした空で、いつ雨が落ちて来るかわからないような天気だったから、つつじ見物に行く気はまったくなかった。午前中、東慶寺に寄って、北鎌倉でラーメンを食べて、午後は逗子図書館でのんびりという予定だった。前半は滞りなく進行したのだが、逗子駅に着いてからつまずいた。

バス乗り場に、めったに来ない湘南国際村行のバスが止まっているではないか。10年ほど前、あそこの躑躅をみたことがある。スケールの大きな躑躅園でだった。そうだ、バスが待ってくれているし、行ってみようとなった(汗)。

湘南国際村というのは20年ほど前(平成6年)に、学術研究・人材育成・技術交流・文化交流の4つの機能を集積した国際交流拠点として、葉山の裏の丘陵地帯にできた。村といっても大学、研修所、研究所が立ち並び、研究学園都市といった風情。その入り口につつじヶ丘という名の躑躅園があるのだ。

逗子から30分近く乗ると、つつじヶ丘に到着する。どうせならと、終点まで乗って、国際村の建物をみながら降りてくる。

そのひとつ

眼下に相模湾(はっきりしないけど)と葉山の町。天気がよければ、素晴らしい景観でしょう。

全体図。中央は住宅地になっている。

では、つつじヶ丘。

まだ五分咲きくらいですが、巨大な緑のキャンバスに水彩画を描いたような、と言った感じ。こうゆうのもいいな。

一時間ほど楽しんで、一時間に一本のバスに乗って帰りました。

東慶寺(宝物館)で、ステキな明月院伝来のお椀(明月椀)をみてきましたよ。織田信長の弟で、利休の高弟でもあった織田有楽斎が、鎌倉の明月院に百揃いの漆器を寄進したもの一部です。現在は広尾の古美術展の所蔵とのこと。明月椀以外の漆器も展示されています。

桜花散螺鈿膳椀(桃山~江戸時代) 飯椀、汁椀、壺椀、平椀の揃い (明月椀)

珍しい太鼓型酒器

猿こう捕月図漆絵膳

境内



では、みなさん、今日も一日、お元気で!

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東御苑のつつじ見頃に 金蘭、銀蘭も

2016-04-21 10:54:34 | Weblog

根津神社の近くで親子丼を食べて、千代田線で大手町へ。そこから歩いてすぐの東御苑へ。二の丸庭園の躑躅園がお目当て。そして、二の丸雑木林のヤマツツジと金蘭、銀蘭もみたい。それらの願いが全部、叶いました。

2016年4月20日 東御苑

まず、百人番所前のつつじ。見頃になっていて、ひと安心。

二の丸雑木林入口のヤマツツジも見頃に。


庭園の躑躅園も華やかに!

諏訪の茶屋

裏山に登って、池越しにながめる。

裏山のシャガの群生にはいつも驚かされる。

黄えびねもいつものように咲いてた。

雑木林の戻って、金蘭、銀蘭をみつける。いつもより、早い開花。

金蘭

銀蘭

カンアオイですよ、と、近くの人が教えてくれた。ギフチョウの幼虫いるかな。

ちごゆりはこれ一つだけ。まだ早いのかな。花言葉は”はずかしがりや”。いかにも。

いかりそう。花言葉は”おこりんぼ”。うそどす。

いくつも咲いているヤマツツジをみながら、雑木林から抜け出してきたら、まだ3時前だった。もう一丁、躑躅園のどこかと思ったが、もう歩数計も2万歩をゆうに越えているし、自重して、東西線で日本橋に廻り、三井記念美術館で魯山人展をみて帰りました。

(東京躑躅#3)

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根津神社 つつじ見頃に

2016-04-21 08:58:17 | Weblog

六義園を出て、近くの東洋文庫ミュージアム(江戸の園芸展をやっていた)も考えたが、今日のような好天気には、少しでも多くの躑躅園を巡ろうと、駒込駅に戻った。西日暮里経由で千代田線の根津駅へ。そして、東京の躑躅といえば、誰もが最初に思いつく根津神社へ。ぼくも、毎年のように出掛けている。しかし、最高の見頃に遭遇することはわりと少ない。この躑躅園は、早咲き、中咲き、遅咲きと三種、植栽してあり、比較的、長期間、楽しめるようになっている。この日は入口に”中咲き見頃に”という標示があった。ということは、最高の見頃!

2016年4月20日

入口から順路に従って、登っていく。



上からながめる

尾根をあるく

伏見稲荷のような鳥居↓

池の橋

山門

十人十彩

しろやしお(五葉)

老いの目覚め

尾根の最後は、絶景ポイント。

ここを下って、出口へ。


とても素晴らしい根津神社のつつじでした。

(東京躑躅#2)
 

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六義園のつつじ 見頃へ

2016-04-20 23:31:41 | Weblog

おばんです。

都内のつつじ名所巡りを、今日(4月20日)にするか、明日にするか迷ったが、天気予報をみて、今日しかないと、朝早くから出掛けた。まず、訪ねたのが駒込の六義園。全体的には六、七分といったところだが、ヤマツツジ、キリシマ等が見頃で、十分、楽しめましたよ。

2016年4月20日 六義園

先月の枝垂れ桜以来の訪問。正門から、こんにちわ。もうすっかり若葉になりましたね!老木も若づくり(笑)。

さて、池の畔りを歩いて、山に入ると、うれしいヤマツツジのトンネル。なかなか見られない老木。

一重と二重のがあるらしい。これはどっち?

そして、本霧島。

花車

八重霧島とつづく

つつじ茶屋がある辺り。

この辺りは紅葉の名所。今は青紅葉がうつくしい。


この辺りは、つつじの名所でもある。

八重霧島の古木が。

大山躑躅。

藤代峠。

峠のてっぺんで高みの見物。

ぼくもそこへ。そして、高みの見物。

藤代峠は、まだまだきれいになる。六、七分咲き。数日後に来てみたいところ。



もちつつじ

大霧紫。

ヤマツツジはじめ、いろんな品種がみられた。素晴らしい六義園の躑躅散歩でした。

では、おやすみなさい。

(東京躑躅#1)

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