【掲載日:平成21年7月9日】
山振の 立ち儀ひたる 山清水
酌みに行かめど 道の知らなく
【河の上の ゆつ磐群<津市一志町波瀬>】
十市皇女 悲しい運命の皇女であった
大海人皇子と額田王との間に生まれた
壬申の乱
父は 夫大友皇子を死に追いやり
母は 夫の父 天智の御陵守りの後 音信はない
近江朝瓦解の後 父天武のいる浄御原へ
異母弟 高市皇子のもとに 身を寄せていた
姉を憐れむ 高市との仲は 睦まじい
天武四年(675)春二月
伊勢参宮の途中 ここ波多の横山
「皇女さま 大きな岩が ほれ ここにも あそこにも」
吹黄刀自は 輿にのる皇女に 声をかける
波瀬川の河原 嵐の時にでも上流から押し流されて来たか 大岩の群
「なんと 神々しいこと」
河の上の ゆつ岩群に 草生さず 常にもがもな 常処女にて
《川の岩 草も生えんと 変わりない 姫さんあんたも 変わらず居って》
―吹黄刀自―(巻一・二二)
悲しい境遇の十市皇女 その恙なきを大岩に託す 吹黄刀自
三年後 天武七年(668)四月
十市皇女を襲う 突然の死
既に嫁ぎ 子までなした身に
処女であるべき 斎宮に との話
斎宮となる出立の まさにその時の死
親密を加える 高市との仲
高市の後ろ盾を除く策略 かとの疑念
自ら選びし死か・・・
山振の 立ち儀ひたる 山清水 酌みに行かめど 道の知らなく
《山吹の 花咲く清水 蘇り水 汲みたいけども 道分からへん》
―高市皇子―(巻二・一五八)
(守って やれなかった・・・)
高市の胸に広がる 悔みの思い
<波多の横山>へ