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令和・古典オリンピック

令和改元を期して、『日本の著名古典』の現代語訳著書を、ここに一挙公開!! 『中村マジック ここにあり!!』

歴史編(21)吉野よく見よ

2009年07月17日 | 歴史編
【掲載日:平成21年7月10日】

【犬養孝揮毫歌碑―近鉄吉野駅駅前】

き人の
  よしとよく見て 
    よしと言いし 
      吉野よく見よ 
        良き人よく見 


天武天皇は ご満悦であった 
六皇子 打ち揃っての 吉野行幸みゆきである
高市皇子たけちのみこ 
草壁皇子くさかべおうじ 
大津皇子おおつのみこ 
忍壁皇子おさかべのみこ 
河島皇子かわしまのみこ 
志貴皇子しきのみこ
鵜野皇后の同行もある 

壬申の乱(672)を制し  
天皇絶対王権の確立をめざし 
それの基礎固めとしての 親族会盟 

過ぐる 天智十年(671) 
天智帝の 後継要請を拒否 吉野へと逃れた日々 
雪に降られ 雨に濡れて 
道なき道をたどりつつ 隠れ至った ここ吉野 
宮滝の 渦巻く淵 吹きすさぶ あらし風
苦難の日々の 吉野 

あれから 八年 
いま 吉野は 安寧あんねいの地として ここにある
山陰やまかげの木々は 青く涼しげであり
宮滝のとどろきさえ わが世を讃えるかのようだ

盟約めいやくを果たした 天武
六皇子を ふところに抱かえ 得意げにうた
き人の
  よしとよく見て 
    よしと言いし 
      吉野よく見よ 
        良き人よく見 

          ―天武天皇―(巻一・二七)
《よろし人(わしが) 
   よう(状況)見てからに 
     よし(出陣)言うた 
       よしの  
         よう見い(覚えとくんや) 
           よろし人(わしを) 
             よう見(見習うんや)》 

吉野盟約ののち
草壁・大津の関係に きしみが・・・



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