【掲載日:平成21年7月10日】
【犬養孝揮毫歌碑―近鉄吉野駅駅前】
淑き人の
よしとよく見て
よしと言いし
吉野よく見よ
良き人よく見
天武天皇は ご満悦であった
六皇子 打ち揃っての 吉野行幸である
高市皇子
草壁皇子
大津皇子
忍壁皇子
河島皇子
志貴皇子
鵜野皇后の同行もある
壬申の乱(672)を制し
天皇絶対王権の確立をめざし
それの基礎固めとしての 親族会盟
過ぐる 天智十年(671)
天智帝の 後継要請を拒否 吉野へと逃れた日々
雪に降られ 雨に濡れて
道なき道をたどりつつ 隠れ至った ここ吉野
宮滝の 渦巻く淵 吹きすさぶ 荒し風
苦難の日々の 吉野
あれから 八年
いま 吉野は 安寧の地として ここにある
山陰の木々は 青く涼しげであり
宮滝の轟きさえ わが世を讃えるかのようだ
盟約を果たした 天武
六皇子を 懐に抱かえ 得意げに詠う
淑き人の
よしとよく見て
よしと言いし
吉野よく見よ
良き人よく見
―天武天皇―(巻一・二七)
《よろし人(わしが)
よう(状況)見てからに
よし(出陣)言うた
よしの
よう見い(覚えとくんや)
よろし人(わしを)
よう見(見習うんや)》
吉野盟約の後
草壁・大津の関係に 軋みが・・・
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