【掲載日:平成21年7月14日】
やすみしし わが大君の 夕されば 見し給ふらし 明けくれば 問ひ給ふらし
神岳の 山の黄葉を 今日もかも 問ひ給はまし 明日もかも 見し給はまし
その山を ふりさけ見つつ 夕されば あやに悲しみ 明けくれば うらさび暮し
荒栲の 衣の袖は 乾る時もなし
【檜隈大内陵 天武・持統合葬陵】

あぁ なんという 人であったろう
これほど 強い人が あったであろうか
沈着 豪気
それでいて 女人の気も 逸らさない
ここ 飛鳥淨御原宮に 大殿を築き
「神にしあれば」と 讃えられた
大王中心の 治世を開き
自らを 天皇とされた方
思えば 始まりは 吉野行 であったか
父天智との 確執 亀裂
吾は 夫大海人を 選んだ
雪降り 寒風吹きすさぶ 道々
手を携えての 逃避であった
東国での挙兵を目指し 伊勢 美濃への移動
背を越す夏草 襲い来る驟雨
信じる夫に 付き従っての 行軍
共に舐めた辛苦 それが絆を強くした
やすみしし わが大君の 夕されば 見し給ふらし 明けくれば 問ひ給ふらし
神岳の 山の黄葉を 今日もかも 問ひ給はまし 明日もかも 見し給はまし
その山を ふりさけ見つつ 夕されば あやに悲しみ 明けくれば うらさび暮し
荒栲の 衣の袖は 乾る時もなし
《朝夕に 神岡もみじ 見たい言う 今日のはどやろ 明日はどや
聞いてたあんた もう居らん 今日も聞いてや 明日も見て
その山見る度 悲しいて 思い出す度 寂しゅうて
涙流れて 止まらへん》
―持統天皇―(巻二・一五九)
そうも して居れぬ
吾が 皇后となり 内助しての施政
草壁の手に 天下が 渡るまで
吾が 支えねば
時に 朱鳥元年(686)九月
天武崩御時 鵜野讃良の感懐は 複雑

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