【掲載日:平成21年7月27日】
【鳥羽市小浜あみの浦 向いは答志島】

鳴呼見乃浦に 船乗りすらむ 孃嬬らが
珠裳の裾に 潮満つらむか
釧著く 手節の崎に 今日もかも
大宮人の 玉藻刈るらむ
潮騒に 伊良虞の島辺 漕ぐ船に
妹乗るらむか 荒き島廻を
持統天皇六年(692)三月
伊勢行幸
多くの官女たちを連れての 行幸であった
中納言三輪朝臣高市麿の
「春の農作業を目前にして なんたる・・・」
との諫めを 無視して
しかも 通過地の国造らに 冠位を授け 調役免除する といった大判振る舞い
お供の 騎兵や荷担ぎ達の 調役までも免除
留守居の人麻呂は 思いやっていた
(民の気持の 在りどころを お忘れかも
いや 言うまい 言うまい わしは 歌詠み
海では 官女どもは 楽しんで 居るだろう
帰ったなら
「人麻呂さま 見ていたのですか」
と言わせてやろう)
静かに 瞑目すれば 波の音がする
鳴呼見乃浦に 船乗りすらむ 孃嬬らが 珠裳の裾に 潮満つらむか
《あみの浦 船遊びする あの児らの 裾を濡らすか 潮満ちてきて》
―柿本人麻呂―(巻一・四〇)
釧著く 手節の崎に 今日もかも 大宮人の 玉藻刈るらむ
《喜々として 手節の崎で きれえな藻 採ってるやろか 今日もあの児ら》
―柿本人麻呂―(巻一・四一)
潮騒に 伊良虞の島辺 漕ぐ船に 妹乗るらむか 荒き島廻を
《波荒い 伊良湖の島の 島めぐり 喜んでるか あの児も乗って》
―柿本人麻呂―(巻一・四二)
潮満つ浜辺・・・
ゆれる玉藻・・・
潮騒のとどろ・・・
事は知らず 人麻呂は 歌心に浸る

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