(平成18年発行)
これの感想ってちょっと難しい。
いつもの癒し系の川原ワールドであることは間違いないのだが、
あるサイトで<差別・人権侵害>だという意見があったから。。。
「真面目な人には裏がある」
という作品で同性愛を扱っているのだが、同性愛者は親不孝だという風に描かれている・・・
と言うのだ。
う~~~ん。
今回この作品を読んで私にはそういう風には思えなかったのだが、まあ、受け取る人によってはそう感じる人もいるっていうことなのでしょう。
なかなか難しい問題ですね。
私は、この作品が<差別>だと言うのなら、もっと他の部分の差別感の方が気になります。
<後腐れのなさそーな軽めのタイプを選んで適当に付き合っている>という塔宮拓斗。
彼が狙う相手はユリアナ高校で、その高校の説明として、
<女子高・偏差値は・・・とても可愛らしい数字・スカート丈が短くて見てるとハラハラする>
・・・といった表現をしている。
つまり、偏差値の低い女子高生は短いスカートをはいて、男とすぐに遊ぶ子が多い。
・・・っていう風にとれる。
それってやっぱり差別じゃないのかな~?
自分の息子が同性愛者だったことに驚く両親・・・っていうよりもこういう学校の生徒はこういうタイプの子が多い・・・という事を肯定してる方が偏見としてあまりにも一般的すぎて怖いような気がする。
「あの子の背中に羽がある」
この話に出て来る<小学生の女の子を狙った悪質な連れ去り犯>は、
<ロリコン・変態・超・気持ち悪い・変質者は死刑にするか一生どっかに閉じ込めときゃいい>
と言われ、その犯人の姿は小太りでメガネをかけた、いかにもロリコンオタクと思われるような感じをしている。
あ~~、一般的なオタクのイメージ通りの姿だと思うのよね。
漫画として描く場合、そういう風に描いた方が読者は納得するだろうし、説得力があるんだよね。
でもね~、<偏見>として考えたら、小太りでメガネをかけてて暗そうな男性全てが変態ではないんですよね。
もっと言えば、
試験の成績の悪い生徒を成績のいい生徒が<猿>を見るような目つきで見る。とか・・・
あ、「『ホモ』は差別用語みたいだから『ゲイ』って言ったほうが」
・・・と、作品中で言いながら
「『ゲイ』ってどーも語感が悪くて」
と、その後、『ホモ』っていう表現をしてるのもどうかな~?
細かく見ていくと、差別だの偏見だのと指摘しようと思えば指摘出来る箇所はいっぱいある。
しかしね、こういうのは川原作品だけではないと思うのよね。
漫画にしろ、小説にしろ、ドラマにしろ、映画にしろ、とにかくどれもこれも細かくチェックしていけば差別と偏見があふれてるかもしれない。
・・・が、差別や偏見というものは時代や国によっても異なるわけだし、手塚治虫の作品にだって今読むと多くの差別・偏見が描かれている。
商業誌に作品を発表するということは多くの読者に影響を与える可能性があるということで、
なるべくなら差別や偏見がないものがいいのだが、そういったものは夫々の個人の受け取り方によっても大きく違ってくるだろうし、非常に難しい問題なんでしょうね。
結局、作品中に細かい部分で差別だと思われる箇所があっても大きなテーマとしてそれが差別をあらわすものではなければいい・・・と簡単に言ってしまってはいけない??
結論として・・・今の所こういったことをどう捉えるべきなのか・・・悩み中・・・です。
これの感想ってちょっと難しい。
いつもの癒し系の川原ワールドであることは間違いないのだが、
あるサイトで<差別・人権侵害>だという意見があったから。。。
「真面目な人には裏がある」
という作品で同性愛を扱っているのだが、同性愛者は親不孝だという風に描かれている・・・
と言うのだ。
う~~~ん。
今回この作品を読んで私にはそういう風には思えなかったのだが、まあ、受け取る人によってはそう感じる人もいるっていうことなのでしょう。
なかなか難しい問題ですね。
私は、この作品が<差別>だと言うのなら、もっと他の部分の差別感の方が気になります。
<後腐れのなさそーな軽めのタイプを選んで適当に付き合っている>という塔宮拓斗。
彼が狙う相手はユリアナ高校で、その高校の説明として、
<女子高・偏差値は・・・とても可愛らしい数字・スカート丈が短くて見てるとハラハラする>
・・・といった表現をしている。
つまり、偏差値の低い女子高生は短いスカートをはいて、男とすぐに遊ぶ子が多い。
・・・っていう風にとれる。
それってやっぱり差別じゃないのかな~?
自分の息子が同性愛者だったことに驚く両親・・・っていうよりもこういう学校の生徒はこういうタイプの子が多い・・・という事を肯定してる方が偏見としてあまりにも一般的すぎて怖いような気がする。
「あの子の背中に羽がある」
この話に出て来る<小学生の女の子を狙った悪質な連れ去り犯>は、
<ロリコン・変態・超・気持ち悪い・変質者は死刑にするか一生どっかに閉じ込めときゃいい>
と言われ、その犯人の姿は小太りでメガネをかけた、いかにもロリコンオタクと思われるような感じをしている。
あ~~、一般的なオタクのイメージ通りの姿だと思うのよね。
漫画として描く場合、そういう風に描いた方が読者は納得するだろうし、説得力があるんだよね。
でもね~、<偏見>として考えたら、小太りでメガネをかけてて暗そうな男性全てが変態ではないんですよね。
もっと言えば、
試験の成績の悪い生徒を成績のいい生徒が<猿>を見るような目つきで見る。とか・・・
あ、「『ホモ』は差別用語みたいだから『ゲイ』って言ったほうが」
・・・と、作品中で言いながら
「『ゲイ』ってどーも語感が悪くて」
と、その後、『ホモ』っていう表現をしてるのもどうかな~?
細かく見ていくと、差別だの偏見だのと指摘しようと思えば指摘出来る箇所はいっぱいある。
しかしね、こういうのは川原作品だけではないと思うのよね。
漫画にしろ、小説にしろ、ドラマにしろ、映画にしろ、とにかくどれもこれも細かくチェックしていけば差別と偏見があふれてるかもしれない。
・・・が、差別や偏見というものは時代や国によっても異なるわけだし、手塚治虫の作品にだって今読むと多くの差別・偏見が描かれている。
商業誌に作品を発表するということは多くの読者に影響を与える可能性があるということで、
なるべくなら差別や偏見がないものがいいのだが、そういったものは夫々の個人の受け取り方によっても大きく違ってくるだろうし、非常に難しい問題なんでしょうね。
結局、作品中に細かい部分で差別だと思われる箇所があっても大きなテーマとしてそれが差別をあらわすものではなければいい・・・と簡単に言ってしまってはいけない??
結論として・・・今の所こういったことをどう捉えるべきなのか・・・悩み中・・・です。
素直に楽しめばいいのに、時々わけのわからない事でぐちゃぐちゃ考え込んでしまう私です。。。
面白ければいいじゃない・・・と割り切った方がいいのかもしれませんね。