・矢野久美子
本書は、「全体主義の起源」、「人間の条件」などの著作で知られる政治哲学者ハンナ・アーレントの生涯とその思想を描いたものだ。ハンナ・アーレントは、1906年ドイツのリンデンでユダヤ人中産階級の両親のもとに生まれた。7歳になる月に、父を梅毒で亡くしたが、裕福で自由主義的なユダヤ人親族に囲まれて育つ。14歳で、哲学を学ぶことを決意し、カントやヤスパース、キルケゴールなどを読み始めたというからすごい。日本のJCたちに、爪の垢を煎じて飲ませてやりたいと思うのは私だけだろうか。
しかし、アーレントは勉強ばかりしているような大人しい娘ではなかった。大学への入学資格を得るための卒業資格試験の前に、教師から個人的侮辱を受けたと感じ、授業のボイコットを企てて退学になっているのだ。なかなか激しい性格だったようである。17歳で、卒業資格試験の受験を特別に認められ、大学入学資格を得、その年の秋には、マールブルク大学に進んだ。ここで彼女は、ハイデガーと恋愛関係となる。
ヤスパースの指導により22歳で博士号取得するもナチの台頭により、パリに亡命せざるを得なくなった。しかし、ドイツの攻撃が続くなかで、ドイツ出身者としてギュルヌ収容所に収容されてしまう。彼女はナチがパリを占拠したどさくさに紛れて脱走し、アメリカに渡る。そして戦後もドイツには戻らず、アメリカ国籍を取得することになるのだ。
彼女はアイヒマン裁判について「イェルサレムのアイヒマン」を書いたことにより、多くのユダヤ人の友人を失ってしまう。彼女の指摘が、政治的な思惑と相容れなかったからだ。彼女への攻撃は組織的なキャンペーンとなり、テキストをまったく読んでない大量の人々から追い詰められることになった。
こういうことは、今の日本でもよく見られることだ。アーレントは、「事実を語る」ことの重要性を強調する。しかし、現代社会では、イデオロギーや結論ありきのロジックがはびこっていることがまま見られる。よく分からないままに、他人の尻馬に乗って過激な行動をする連中はいつの世にもどこの世界にもいるということだろう。このエピソードは、自分の頭で考えることの大切さを如実に示しているといえよう。
我が国においては広く知られているとは言い難いハンナ・アーレント。しかしまさにその人生は波瀾万丈。ユダヤ人としてのプライドを持ちながら、全体主義との対決を続けた生涯だった。私のような門外漢にとっては、必ずしもするすると頭に入ってくるような内容とは言い難いが、この方面の勉強をしようとする人にはまず読むべき一冊だろうと思う。
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※本記事は、書評専門の拙ブログ
「風竜胆の書評」に掲載したものです。