文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

あばばばば

2024-10-25 13:29:30 | 書評:小説(その他)

 「あばばばば」、何とも変わったタイトルである。芥川は時折ヘンな作品を書くので、これもそんなものだろうと思って読んでみた。

 内容は「保吉(やすきち)シリーズと呼ばれるもののひとつらしい。名字の方は出てこないので分からない・このネーミングに時代を感じるのは私だけだろうか。だって「保吉」だよ「や・す・き・ち」。今時こんな名前を付ける親はまずいないだろう。(いたらゴメン)

 ところで、内容の方だが、保吉は海軍の学校へ教師として赴任してきた。海軍の学校としかないのだが、海軍兵学校のことだろうか。

 作品の舞台となっているのは、安吉が通勤の途中で寄っている店。タバコ、缶詰、ココア、マッチと色々なものを売っているようなので、よろず屋(某時代劇スターのことではないよ)のようなものだったのだろう。よろず屋というと今の若い人は分からないかもしれないが、色々なものを売っている店。今で言えばコンビニのようなものだと思ってもらえば当たらずといえども遠からずといったところか。

 ここの勘定台に若い娘が座るようになった。この娘、なんとも初々しいのだ。商品知識はいまひとつだし、妙におどおどしている。ある日この娘が見えなくなる。次に見たときは、赤子を抱いていた。タイトルの「あばばばば」と言うのはご想像の通り、赤子をあやす言葉だ。それも顔も赤らめず、人前にでも恥じずにだ。

 私は最初この話を読んで、BLものではないが「やおい」という言葉を連想した。すなわち山なし、落ちなし、意味なしである しかし最後の方を読んで「母は強し」と言いたいのだろうと思った。
☆☆












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かんかん橋をわたって1~3

2024-10-07 11:14:23 | 書評:小説(その他)


 この作品は一口で言うと、姑の陰湿な嫁いびりを描いたものだ。

 舞台は、桃坂町という架空の街。そこは桃太郎側とその支流の山瀬川によって川東(かわっと)、川南(かーなみ)、山背の三つの地域に分けられていた。かんかん橋は正式には桃坂橋というようだが、川東と川南を繋ぐ橋である。

 主人公は渋沢萌という女性。かんかん橋を渡って夫の早菜男に川南から川東に嫁いで来た。最初は姑の不二子を、美人で頭がよくて優しいと思っていた。実は不二子は、「川東いちのおこんじょう」と呼ばれる陰湿な姑だった。「おこんじょう」とは「いじわる」と言った意味で、その二つ名の通り、陰湿ないやがらせを萌に行う。しかし、町の一地区いちといわれても「微妙だな・・・」という感じだ。どうせなら世界一せめて日本一を目指さんかい。まあ、そのくらいになれば犯罪になってしまうかもしれないが。

 そして呆れたことに川東には「嫁姑番付」というのがあり、渋沢家は4位らしい。「嫁姑番付」というのは、いかに姑による嫁いびりがひどいかを順番づけたもののようだ。しかし、不二子はどう見ても美人で頭がよくて優しいとは思えない。むしろ意地悪さが顔に出ており、先行きを感じさせる。この辺りは漫画家はよく描いている。

 川東の姑たちの小狡いところは、「嫁姑番付」というのは川南の話だと男たちに信じ込ませていることだろう。それは萌の夫の早菜男さえも。要するに川東の男たちはアホばかりなのだ。

 桃坂町のある県ははっきり描かれていないが、「おこんじょう」という言い方と萌の「からっ風育ちの女」という発言から群馬県ではないかと思われる。

 作品からは昭和の香りがプンプンする。いまどき、そんなに嫁姑の同居率は高くないだろうし、不二子のやっているいじめは夫にはっきり言うはずである。そこで別居するならいいが、もし夫が姑をかばうようなら十分な離婚理由になると思う。今なら証拠を残す方法はいくらでもあるし。
☆☆☆☆

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巨流アマゾンを遡れ

2024-07-14 13:28:05 | 書評:小説(その他)

 著者の高野秀行さんだが、あの早稲田大学探検部で有名な方だ。もっぱら探検部が前に出ているので、正確に何学部の何学科を卒業しているのか知らない人も多いと思う。私も知らなかったので一応調べてみた。ウィキ情報によれば、早稲田大学第一文学部仏文科卒だそうだ。

 本書は、「幻の怪獣・ムベンベを追え」に続く作品だが、最初は「アマゾンの船旅(地球の歩き方・紀行ガイド)としてダイヤモンド・ビッグ社から出された。出版社が期待していたのはガイドブックなのだが、なぜか提出されたのは高野さんの旅行記。さぞや出版社側も扱いに困ったことと思うが、この辺りがいかにも高野さんらしい。

 こういういきさつもあり、本書は後に「巨流アマゾンを遡れ」と改題され、集英社文庫から発行された。経緯が「文庫版あとがき」に書かれているので興味があれば、そちらにも目を通して欲しい。

 高野さんはブラジルに飛んで、アマゾンの河口からカメラマンと一緒に上流に遡っていった。読んだ感想はアマゾンとはカオスだということ。とにかく出てくる人がみんな変で面白いのだ。このカオスさは、日本では絶対味わえないだろう。実は一向には3人目がおり、この人はペルーからアマゾンを下り、高野さんたちとは中間点であるテフェの町で落ち合うようにしていた。この3人目の人、テフェで高野さんと出会ったのは良いのだが、彼はその時、道端で行商をしていた。聞いてみると、ペルーで二人組の警官に銃をつきつけられて、所持金の2/3を奪われた。残りの1/3も船の中で盗まれたらしい。

 高野さんの旅行記を読んでいると、とても面白いのだが、自分で体験する気にはならないだろうなあ。
☆☆☆☆










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のろいまんじゅう

2021-12-01 09:47:45 | 書評:小説(その他)

 

 本書は、「けんか餅」に続く、「お江戸豆吉」シリーズ第二弾である。もちろん主人公は若旦那と豆吉。この若旦那、菓子職人としての腕はいいのだが、なにしろケンカ早く、体も大きく顔も怖い。実家は菓子屋の大店なのだが、客とケンカして、修行のために今やっている小さな店を任されている。そのお目付け役が豆吉というわけだ。実はこの若旦那、見かけによらず、優しいところもあり面倒見もいい。豆吉も最初は怖がっていたが、最近は慣れてしまったようである。

 今回は、なんと若旦那のつくるまんじゅうが「のろいまんじゅう」だというのだ。もちろん風評被害なのだが、江戸時代は、今よりずっと迷信がはびこっていた時代だ。おまけに、江戸時代は「流行り神」といってご利益があればみんなぱっと飛びいて大盛況になるが、熱狂が覚めたら引き潮が引いていくようにさっと人が去っていく。そういうことが珍しくない時代だ。

 若旦那のつくるまんじゅうも、そんな例にもれず、噂の発生元は分かっているものの、その手を離れても風評被害は続く。果ては読売(瓦版)にも載る始末。さて豆吉たちは、どのような手で風評被害を鎮めるのか。

 「のろいまんじゅう」の風評は、本当にしょうもないことから始まっているのだが、こんなことに飛びつくのが人の性。しかし、なにが風評の引き金になるか分からないものだ。最後は、若旦那と豆吉の店の名前も決まってめでたしめでたし。おまけに所々に「豆吉のお江戸豆ちしき」というページが挿入されており、読めばいっぱしのお江戸通になれるかも。

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

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ビタミンF

2021-09-30 19:58:20 | 書評:小説(その他)

 

 本書は悩み多き7人のアラフォー男たちを描いた短編集だ。このアラフォーというのは微妙な年齢である。会社人生では先が見えかかっているが、まだ確定はしていない。これからどう転ぶか分からないのだ。

 何も会社だけではない。家族の問題もあるのだ。子供たちは丁度思春期と言う場合も多いだろう。そして、子供は自分の見えている範囲でしか考えられない。お父さんが、どんなに会社でがんばっても、それは子供たちにとってはないものと同じなのだ。だから非行に走る子供も出てくる。万引き不純異性交遊など。

 特に女の子がいる場合は大変だろう。簡単にろくでもないチャラ男に引っかかる。収録されている作品のうち「パンドラ」はそんな家庭を描いた話である。この家には奈穂美と言う中学生の娘がいるが、万引きで捕まる。その娘が付きあっているのが高校を中退してスケボーばかりしているヒデ。

 どう考えてもろくでもない奴なのだが、彼が万引きしたのがコンドーム。奈穂美の母親の聞き込みによれば、やはりろくでもない奴で、10代のくせにジゴロ気取りで、女をとっかえひっかえしているという。しかし、僅かにしても、こういうろくでなしの好きな女の子がいるのは事実である。そして、男にもこういったろくでなしがいるので、人を見る目を養わないといけないだろう。

 どの作品からも中年真っ盛りの男たちのペーソスが感じられ、共感するおじさんも多いだろう。

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

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永遠の家

2021-09-30 19:27:55 | 書評:小説(その他)

 

 私にとっては初めてのスペイン文学ということになるだろうか。昔「カルメン」を読んだことがあり、てっきりこちらが初めてのスペイン文学だと思っていたのだが、調べてみると、確かに舞台はスペインだが、作者のメリメはフランス人のようだ。

 私が、スペインで連想するのは、闘牛、フラメンコ、侵略者の国といったところか。しかし、この作品で語り手になるのは、解説や帯によれば、腹話術師らしい。

この短編集は腹話術師が語り手なのだが、(後略)(p188)



 スペインで腹話術師がどういった位置づけにあるのかは知らないが、確かに腹話術師と明記してある作品もいくつかある。しかし、この単語が出てこない作品もあるのだ。例えば「僕が願っている死に方」と言う作品は、本文がたった2ページしかないが、語り手の職業に関する記述は見られない。語り手が腹話術師だということが、テキストだけからよく判定できたなと感心する。文学読みなら行間を読めとでもいうのだろうか。それでは私は永久に文学読みにはなれそうもない。

 本書に収められているのは12編の短編。40ページを超えるものから、ショートショートといってもいいような2ページものまで、長さはまちまちだ。。読んでいて感じたのは、文学好きなら評価が高いだろうなということ。でも私には合わない。

 読んでいて、内容がすらすら頭に入ってこないし、ストーリーのヤマの様なものも感じられない。正直面白さを感じられないのだ。

 本の紹介に次のようにあったので、かなりの期待があったのだが、読むとかなり当てが外れた感じだ。あまり幻想的な感じも受けなかったし。

芸術の破壊と再創造をめざすスペイン文学の奇才が綴る〈虚空への新たな跳躍〉を試みる腹話術師の悲しくも可笑しい幻想的連作短編集。
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けんか餅 (お江戸豆吉)

2021-09-12 08:43:08 | 書評:小説(その他)

 

 本書は、「お江戸豆吉」シリーズの幕開けとなる作品です。豆吉は、江戸で評判の菓子屋「鶴亀屋」で働く11歳になったばかりの小僧さん。大旦那さんや鶴亀屋で働く人はみんな優しく、豆吉は元気で働いているのですが、この店には一人だけ豆吉が苦手な人がいます。

 それは、鶴亀屋の跡継ぎの若旦那・米蔵。何しろ顔が怖く、体も大きく、とにかくおそろしくけんか早い。客と喧嘩するは当たり前。石ころともけんかを始める始末。もちろん石ころがけんかをするはずがありません。完全に若旦那の独り相撲なのですが。

 この若旦那、とうとう店先で客の建具屋辰五郎と大喧嘩をしてしまいます。このけんかの原因がなんともくだらない。大福餅の餅は薄い方がいいか、厚い方がいいかということなのです。ちなみに、若旦那は餅は薄い派、辰五郎は厚い派です。

 この喧嘩が元で、とうとう若旦那は、堪忍袋の緒が切れた大旦那さんに、店から出されてしまいます。鶴亀屋から独立して隠居した人の店を軌道に乗せるまでは帰ってくるなという訳です。若旦那のお目付け役に大旦那から指名されたのが、なんと豆吉。

 ところが、その独立した職人さんの店と言うのが、とんでもないぼろ家。それでもなんとか開店にこぎつけます。ところが、この店が辰五郎に見つかってしまいます。顔を合わせると若旦那と辰五郎はけんかを始める。しかし、それは二人の挨拶のようなもの。本当に仲が悪いわけではないようです。豆吉も、最初は怖がっていた若旦那ですが、得るものも多かったようです。

 表題の「けんか餅」というのは、豆吉がつくるのをまかされた、餅の厚い大福。それに「けんか餅」と言う名前がついて評判になるのですがら、世の中分からないものです。

 お話はなんともユーモラスな感じで進んでいきます。苦手だった若旦那のすごいところを見たりして豆吉も、鶴亀屋にいるときよりかなり成長したようです。いうなればこの作品は豆吉の成長物語とでもいうのでしょうか。

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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わたし、探偵になっちゃいました

2021-05-10 16:37:48 | 書評:小説(その他)

 

 


 本書は著者が探偵業に登録するまでを書いたものだ。実話のような作り話と銘打っているので、どこまでフィクションが盛り込んであるかは分からない。著者は、捕鳥、警備員を経て探偵業に登録しているが、本書はそのいきさつを記したものだ。

 ユーモラスなんだが、ノリと勢いで書かれた文章のような感じを受ける。何かギャグがスベッっている観がするのだ。

 著者は、「北斗の拳 イチゴ味」(以下イチゴ味と呼ぶ)のファンのようで、登場人物は北斗の拳のキャラの名前で呼ばれる。この登場人物のニックネームの出所がイチゴ味と書かれているが、イチゴ味は、北斗の拳のパロディ的なスピンオフ作品である。イチゴ味独自の登場人物という訳ではないので、イチゴ味に出てくるキャラというより、北斗の拳に出てくるキャラクターとした方が適切だと思う。

 もう一つ気になるのは少年時代に行ったという置石や放火のことが取りようによっては自慢げに書かれていること。

<アパートの屋上から物置小屋の屋根に飛び降りて、屋根に穴をあけたり、社宅の庭に生えている木に火をつけてぼや騒ぎを起こして、・・・(中略)・・・線路に石を置いて・・・(以下略)。>(pp10-11)


そして、その前にある言葉が元気が良すぎる子供ではあった。(p10)だ。 これは完全に元気が良いを越えているだろう。いくら子供の頃と言ってもかなりの重罪だ。特に置石は、それが原因で列車が脱線して死者が出れば大人なら死刑になってもおかしくないくらい罪が重い。子供だってそれなりの罰があるし、親は莫大な賠償金を支払わなくてはならない。もし少しでも反省の気持ちがあるのなら、絶対にこんなことはしてはいけないと書くべきだろう。自分が子供のころはこんなこともやったんだぜというノリで書いたのなら何をか言わんやである。

※初出は、「風竜胆の書評」です。

 

 

 

 

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一盌をどうぞ:私の歩んできた道

2021-03-03 08:54:54 | 書評:小説(その他)

 

 本書は、裏千家の前の家元であった千玄室さんの自伝である。生まれた時の名前は「政興」千家ではこの名前は若宗匠(次期家元)になるまでの物で、若宗匠になった後は、「宗興」。家元になると「宗室」。家元を次代に譲ると「玄室」となった。裏千家では、家元は代々「宗室」を名乗っているらしい。

 ところで、この裏千家と言う流派。正式名称かと思ったら違っていた。本書によればこれは京都の人たちによる俗称で、正式にはそれぞれの家が持っている代表的な茶室の名前の「今日庵」と呼ぶらしい。(ちなみに表千家は「不審庵」らしい)

 ただこれらには少し異論がある。まず、玄室さんは正座をものすごく褒めている。(PP22-24) しかし私は、正座というと説教を受ける時の姿勢くらいにしか思えないのである。自分が正座が苦手だから言うわけではないが(いや言っているのか)、正座が苦手でもいいじゃないかと思うのは私だけだろうか。



 玄室さんは京都府師範学校附属小学校に通っている。そこから京都府立一中、そして旧制高校、帝大へ進むつもりだった。しかし父の強い勧めにより同志社に進むことになった。次第に戦時色が濃くなってくる時代。文系の学生の徴兵猶予が取り消しになり、彼も海軍航空隊に入る。そこで親友となる俳優の西村晃と知り合う。二人とも特攻隊で散る命のはずが、玄室氏は、出撃命令が出ず、西村氏は出撃したものの不時着して命を拾った。本書にはその頃の話が多いが、戦争の記憶というものは、一種独特なもののようだ。数年前に亡くなった私の父も少年兵として招集されたが、よくその頃の話をしていた。

 ひとつ面白い記述がある。玄室さんの同志社予科時代のことだ。馬術部員だったので、練兵場で馬を馴らす役目を与えられていたが、厩当番の下士官は学生たちに怒鳴り散らしていたらしい。

位の低い兵隊は、学生たちに対しては居丈高に威張り散らす人が多いのです。(p65)


これはよく聞く話だ。たぶん兵隊の学生たちに対するやっかみもあったのだろう。本当に品性の低い連中は救いようがない。しかし、これは上層部の兵隊がまともということにはならない。神風特攻隊や回天などで多くの有望な若者を無駄死にさせたのだから。

 その他、大徳寺での修業時代の話、アメリカでお茶を紹介した話、自身の結婚の話などなかなか興味深いものが多い。

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

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評伝 九津見房子 ~凛として生きて~

2021-02-16 09:40:43 | 書評:小説(その他)

 

 

 評伝を読むのは好きだが、寡聞にして久津見房子という人を知らなかったので、本書を読む前に少し調べてみた。女性の社会主義団体「赤瀾会(せきらんかい)」の創設者の一人らしい。そして悪名高い治安維持法の女性初の逮捕者となった。そして捕まるときは当時14歳だった娘の一燈子もいっしょだったのだ。

 久津見は1890年(明治23)、岡山市で生まれた。実家は、勝山藩の家老の家柄に繋がる旧家だったらしい。女学校のころ親戚の大前信三が同居することになったことから社会主義に踏み出していく。

 私は本来、社会主義の様な思想の多様性を奪うようなものは大のつくくらい嫌いである。今の赤い国やかっての赤い国を思い受けべればいいと思う。社会主義を標榜する国家で、夢の国はどこかにあったのか。理想や理念はともかく、間違いなく権力ゲームに陥って、権力者の独裁体制になっている。それが人間というものだろう。

 例えば、岡田嘉子と杉本良吉が、1938年に当時のソ連に亡命を図った事件を思い浮かべれば、社会主義と言うものがいかにひどかったか分かるだろう。この事件で二人はスパイ容疑を着せられ、杉本は銃殺、岡田も長い間収容所に入れられた。だから、文化人と呼ばれる連中の評価ははともかく、マルクスなんかは、この世に存在してはいけなかったと思っているのだが、当時の時代背景も考慮しないといけないと思う。

 当時の資本家たちもひどい連中が多かった。人権なんて顧みられなかった時代。抑圧された、とても民主的とは言えない体制。なにしろ特高警察なんてものがあり、捕まれば拷問が待っている。久津見も治安維持法違反で逮捕され、下着まで血まみれになるようなひどい拷問を受けている。驚くのは、そのとき14歳だった久津見の娘も収監され、ひどい目にあわされていることだ。小林多喜二が拷問により特高に殺されたのは有名だ。以下は本作中にある、作家の江口渙が書き残した多喜二の死体が返ってきた時の医師の検死結果である。読んでみるとなんとも痛ましい。

 なんというすごい有様であろうか。毛糸の腹巻のなかば隠されている下腹部から両足の膝がしらにかけて、下っ腹といわず、ももといわず、尻といわずどこもかしこも、まるで墨とベニガラとをいっしょにまぜてぬりつぶしたような、なんともいえないほどのすごい色で一面染まっている。そのうえ、よほど大量の内出血があるとみえて、ももの皮がぱっちりと、いまにも破れそうにふくれあがっている。そのふとさは普通の人間の二倍ぐらいもある。(中略)
 電灯の光でよく見ると、これまた何ということだろう。赤黒くはれあがったももの上には、左右両方とも釘か錐かを打ちこんだらしい穴の跡が一五、六カ所もあって、そこだけは皮がやぶれて下から肉がじかにむきだしになっている。(中略)
 それよりはるかに強烈な痛みをわれわれの胸に刻みつけたのは、右の人さし指の骨折である。人さし指を反対の方向にまげると、指の背中が自由に手の甲にくっつくのだ。人さし指を逆ににぎって力いっぱいへし折ったのだ。
(p107)



 全部がそうではないだろうが、人間とはそういう残酷なことができる生き物なのだ。当時の鬱屈した体制から逃れるために、人々は社会主義に夢をみるしかなかったのだろう。その気持ちは分かるし、多くの人が社会主義に傾倒したことも理解できる。ただ、社会主義と当時の体制のどちらがいいかと聞かれれば、私にとっては究極の選択なのだが。

 いずれにしても、今は民主主義の世の中。私たちは権力が暴走しないように見張っておく必要があるだろうし、ヘンな思想やイデオロギーがはびこらないように気を付けておく必要があるのだ。

☆☆☆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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