文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

書評:偽りの森

2014-02-27 23:58:26 | 書評:小説(その他)
偽りの森
クリエーター情報なし
幻冬舎


 花房観音の「偽りの森」(幻冬舎)。京都を舞台にした、没落した名家の4姉妹を描いたものだ。彼女たちの実家「雪岡家」は、下鴨の地にあった高級料亭「賀茂の家」を経営難で手放してしまった。母親は既に亡くなり、父親も家を出てしまい、残ったのは彼女たちには分不相応なほど立派な家。

 主人公は、春樹、美夏、秋乃、冬香、春夏秋冬のそれぞれの文字を名前に持つ、美しい4姉妹。この作品は、まず4姉妹のそれぞれの物語が続き、最後に彼女たちの父親が登場して締めくくるという構成になっている。

 4姉妹の母親だった四季子は、美しいが、生活能力はなく、愚かな人だった。いつまでたってもお嬢さまのままで、まるでお人形さんのような人だったのである。それが、彼女たちの心に暗い影を投げかけている。

 長女の春樹は、京都大学を卒業して、京都で公務員として勤めていたが、職場の上司と不倫の挙げ句、略奪婚をしたことが原因で職場を辞めざるを得なくなり、今は財団法人勤めだ。人に後ろ指を指される関係でしか快楽を得られず、今も彼女持ちである職場の若い同僚と、胸に痛みを感じながらも、男女の関係を止めることができない。自分が美人だった母親に似ず、男っぽく華がないことにコンプレックスを抱いており、姉妹の中で誰よりも虚飾されているのは自分と思っている。

 次女の美夏は、自分が母親に似ていることを嫌悪しており、姉のような大人の顔がいいと思っている。4姉妹のなかで、ただ一人母親であり、家を守ってきたのは自分だという自負を持っている。それが、実は家に縛りつけられているのだということを認めることができない。外見だけでなく中身も母親そっくりの秋乃にうんざりしているし、姉や下の妹の冬香にも腹立たしい思いを抱いている。夫のことはいい人だと思いながらも、その性欲に辟易しており、夜の相手を十分にしていないことのコンプレックスの裏返しか、性に対して極度な潔癖症だ。

 3女の秋乃は、母親に一番よく似ている。人と争うのが苦手であり、中学生の頃いじめられたことから、同性に好かれるように、男に興味がないふりを続けてきたが、高校の頃、百合相手に騙されるような形で初体験は済ませている。母親と知らない男の行為を、幼い頃見てしまったことがトラウマのようになっており、行為には惹かれているが。快楽で枷が外れてしまうのを恐れている。

 4女の冬香は、一人だけ父親が違い、それが心に巣食う闇となっているが、その分、自分を育ててくれた「賀茂の家」の父に対する思いが強い。家は「はりぼての家」で、姉は皆、自分のことしか考えないと不満を持っている。家や家族から離れたいと思っているが、それもできない。東京の大学に進学し、そのまま就職したが、うまくいかず、結局京都に舞い戻ってしまった。姉たちに比べ地味な容姿だが、それが大きなコンプレックスになっている。男なしでは生きていけず、美夏の夫とも深い関係になってしまった。

 本書を読む前に、帯に書かれた言葉に、目が釘付けになった。「美しい四姉妹には、いやらしく哀しい秘密がある」らしい。一体どんな「いやらしい」秘密がと、読む前から、あんなことやこんなことを連想してしまったのだが、確かに、性描写もかなり明け透けで、その部分だけ読めば官能小説と思ってしまいそうだ。著者は、「花祀り」という作品で、2010年に団鬼六賞の大賞を受賞していると聞けば、なるほどと思ってしまう。

 それにも関わらず、確かにこれは文学だ。描かれているのは、家に囚われた女たちの、情念渦巻く世界。互いに複雑な感情を持ちながらも、家を媒介にして離れることの出来ない4姉妹たち。物語に織り込まれた、平安神宮、下鴨神社などの多くの寺社や錦市場、南座といったいかにも京都らしい地名や4姉妹の京都弁も雰囲気を盛り上げる。

☆☆☆☆

※本記事は、「本の宇宙」と同時掲載です。

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書評:ももへの手紙

2014-02-26 20:22:28 | 書評:小説(SF/ファンタジー)
ももへの手紙 (角川文庫)
クリエーター情報なし
角川書店(角川グループパブリッシング)


 瀬戸内海に浮かぶ大崎下島をモデルにした、架空の島・汐島を舞台に、一人の少女が変な妖怪たちとの触れ合いを通じて成長していく物語。2012年にアニメ映画として公開された同名作品のノベライズ版、「ももへの手紙」(沖浦啓之/百瀬しのぶ:角川文庫)だ。

 主人公のももは、小学6年生の少女。海洋学者だった父親を事故で亡くし、母親と一緒に、東京から汐島に引っ越してきた。ももは、父親とケンカしたままの状態で、父親が亡くなった事をずっとひきずっている。ところが、島では、イワ、カワ、マメという3匹の変な妖怪が、ももにつきまとってくる。この妖怪たちが視えるのは、ももと、クラスメートの陽太の5歳の妹の海美の二人だけのようだ。

 最初はイワたちを怖がっていたももだが、結局は彼らに振り回される毎日。何しろ無芸大食で、興味があるのは食べ物と、島の子が持っているかわいいグッズ。人の家の野菜やグッズを盗んでくるのだから、ももも頭が痛い。しかし、意外な事に彼らには、ある役目があったのだ。

 最初は、島に馴染めなかったももだが、島の子供たちや妖怪との交わりを通じて、しだいに逞しくなっていく。そして、嵐の日に母親が喘息の発作で倒れたときの、ももと妖怪たちの大活躍。この時ばかりは、無芸大食の3匹が頼もしく見えた。都会からやってきた一人の少女が、島の子供として成長のステップを上っていった。そんなももがとても可愛らしくいじらしい。

 ところで、舞台のモデルとなった、大崎下島であるが、御手洗地区というところは、江戸時代からは、風待ち、潮待ちの港として大いに栄えたところである。 今でも当時を彷彿させる観光名所が残っており、「安芸灘とびしま海道」といって、呉市から島伝いに橋も架かっているので、興味がある人は、ぜひ訪れて欲しい。

☆☆☆☆

※本記事は、「本の宇宙」と同時掲載です。

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書評:ポータル

2014-02-23 10:19:41 | 書評:小説(SF/ファンタジー)
ポータル (ポータル・クロニクルズ)
クリエーター情報なし
ワイルドソーン出版


 イモジェン・ローズの「ポータル」。「ポータル・クロニクルズ」というシリーズの最初の作品にあたるようだ。

 主人公は、アリゾナという女子高生。SAT(大学進学適性試験)の後、迎えに来た父親の車に乗り込んだはずなのだが、気がついてみると、別れて暮らしている母親の運転する車の中にいた。自分の名前も、アリゾナ・スティーブンスから、アリゾナ・ダーレイになっており、住んでいるところも、プリンストンからマウンテンビューに。それも8か月も前の。

 父親として現れたのは、自分の父とは全然違う人で、おまけにいないはずの兄まで存在している。自分自身も、栗色の髪のホッケー選手から、プラチナブロンドのバービー人形のようなチアリーダーに変わっていたのだ。
 
 いうなれば、タイムトンネルとパラレルワールドものを組み合わせたような作品なのだが、なかなか評価が難しい。長いシリーズの導入部のような位置づけだからだろうか、おそらくこのような作品につきものである、色々な矛盾は残されたままだ。

 アリゾナは、妹のエラといっしょに、こちらの世界につれてこられたのは、8年前のこと。それ以来、彼女は家族とずっと幸せに暮らしていたと言う。それではなぜ、アリゾナが、突然8か月後までの向こうの世界での記憶を持つようになったのか。

 アリゾナの父親のディラードは、こちらの世界にも存在している。母親のオリビアと結婚していたらしいが、もう20年も前に分かれているので、こちらの世界では、アリゾナの父親ではない。それでは、オリビアは、いったいどちらの世界の人間なのか。こちらの世界でディラードとの結婚に失敗しているのに、懲りもせず、あちらの世界でも彼と結婚して、アリゾナとエラを産んだのだろうか。

 そもそもは、オリビアが、現在夫としているルバートに、「二年前の僕に会いに来て」と言われたことから始まっているようだが、「二年前」ということにどんな意味があるのかも、この巻では良く分からない。

 これらをうまく説明できれば、なかなか面白い作品になる可能性はある。まさか、もうひとつのパラレルワールドがあって、そちらとも混線してましたというオチではないと信じるが。

 本作だけ読むと、ヤングアダルト向けということだからだろうか、全体的に軽い感じで、物語の山場というようなところが見られないのは残念。しかし、最後に、敵役のような存在が出てくるので、これから何か大きな事件が起きそうな予感はある。

☆☆☆

※本記事は、「本の宇宙」と同時掲載です。

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書評:サイモン・アークの事件簿V

2014-02-22 15:25:41 | 書評:小説(SF/ファンタジー)
サイモン・アークの事件簿V (創元推理文庫)
クリエーター情報なし
東京創元社


 2000年近くを生き、悪魔を探し続けているという男、サイモン・アークが探偵として活躍するオカルト探偵シリーズの5巻目となる、「サイモン・アークの事件簿Ⅴ」(エドワード・D・ホック/木村次郎:創元推理文庫)。

 シャーロック・ホームズの相棒にワトソンがいるように、このシリーズでも、サイモン・アークには、物語の語り手である「わたし」がいる。大手出版社「ネプチューン・ブックス」の編集者である「わたし」によって語られる奇妙な事件は、次の8篇。

・闇の塔からの叫び
・呪われた裸女
・炙り殺された男の復讐
・シェイクスピアの直筆原稿
・海から戻ってきたミイラ
・パーク・アヴェニューに住む魔女
・砂漠で洪水を待つ箱舟
・怖がらせの鈴

 タイトルを眺めてみると、いかにもというような事件が並んでいる。確かに、被害者が魔女のように炙り殺されたり、ミイラにされたりと事件は一見怪奇性を帯びている。しかし、実際には、どの事件にもオカルティックなところなく、結局は犯人の欲によって引き起こされたようなものが多い。中には、国家規模の陰謀のようなものもあるが、事件そのものは、すべて理性をもって解決でき、なんの不可思議さもないのだ。

 事件にオカルティックなものがない以上、サイモン・アークがオカルトに関する知識で事件を解決するといったようなこともなく、彼の2000年近くも生きているという奇妙な設定が、どう物語の中で生きているのかが良く分からない。長く生きていれば、それだけ賢くなって名探偵役が務まるということなのだろうか。サイモンをホームズに、「わたし」をワトソンにでも見立てて、普通の探偵小説として読めば、それなりに面白いのだが、この点だけは気にかかる。

☆☆☆

※本記事は、「本の宇宙」と同時掲載です。

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放送大学の成績通知到着

2014-02-22 06:38:34 | 放送大学関係

 今日仕事から帰ると、放送大学から単位認定試験の結果通知が来ていた。合格していることは、既にシステムWAKABAで確認済みなので、特に驚くようなこともないのだが、これで、放送大学で履修した単位が156単位になった。学士入学なので、62単位が入学時に認定されており、放送大学での総単位数は、218単位ということになる。

 また、先般申し込んだH26年度1学期の履修科目のうち、面接授業の「秋吉台の過去・現在・未来」は、諸般の事情により、受講が難しいことが判明したのでキャンセルした。これで、申し込んだのは、放送授業2科目、面接授業1科目の合計5科目分となった。
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書評:TUGUMI

2014-02-21 20:40:51 | 書評:小説(その他)
TUGUMI(つぐみ) (中公文庫)
クリエーター情報なし
中央公論社


 これが私のよしもとばなな初体験、「TUGUMI(つぐみ) 」(中公文庫)。まだ著者名の表記が「吉本ばなな」のころの作品で、1989年の山本周五郎賞受賞作であり、1990年には、牧瀬理穂主演で映画化もされている。病弱なためにわがままいっぱいに育てられた美少女・つぐみとのひと夏の体験を、1歳上の従姉である白河まりあを語り手として描いた青春小説だ。

 まりあは、漁師町で旅館をやっている叔母夫婦の家に、大学の夏休みを利用して遊びに行く。ここは、以前まりあが、父親の愛人だった母親といっしょに住んでいた場所だったが、父親が先妻との離婚が成立したために、現在は、家族そろって東京で暮らしている。

 叔母夫婦は、来年の春には、旅館を畳んでペンションを始めることを決めている。これは、まりあが、その漁師町で過ごしてた最後の夏の物語だ。

 つぐみが病弱なのは生まれつきで、体の機能にあちこち欠陥を抱えている。だから、直ぐに熱を出して寝込んでしまう。町一番の美少女だが、驚くほど我儘で傍若無人でいじわるで毒舌だ。ただし外面だけは良いらしい。

 しかし、まりあも、つぐみの1歳上の姉の陽子も、さんざんつぐみに振り回されているのに、決して彼女のことを嫌ってはいない。常に死に身近ながらも、ものすごいパワーを見せる。いたずらだって、仕返しだって、全力でやる。 悪知恵は働くわ、口は悪いわで、とんでもない性格なのだが、読んでいくうちに、彼女の我儘さのなかにも、まっすぐさがあることに気付くのである。それをまりあも陽子も感じているのだろうか。

 強烈な個性ながら、不思議に可愛らしさを感じさせるつぐみ。そんなつぐみと彼女を取り巻く人々の物語は、どこかノスタルジックでもある。

☆☆☆☆☆

※本記事は、「本の宇宙」と同時掲載です。

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放送大学の成績発表

2014-02-19 19:31:58 | 放送大学関係
 放送大学のシステムWAKABAで、先般受験した単位認定試験の結果が発表されていた。結果は、以下の通り。

・舞台芸術への招待(’11):A
・日本の物語文学(’13):Ⓐ

 この他に、面接授業の「広島の風土と人々の暮らし」と「ドイツ語の初歩」も合格なので、合計6単位となる。仕事との両立なので、亀のような歩みだが、あと「人間と文化」コースの専門科目が15単位で、放送大学も4回目の卒業となる。
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書評:王女のための骨董遊戯

2014-02-18 19:33:21 | 書評:小説(SF/ファンタジー)
王女のための骨董遊戯
クリエーター情報なし
幻冬舎ルネッサンス


 「王女のための骨董遊戯」(冬野真帆:幻冬舎ルネッサンス)、滅亡寸前の国・フローリー生まれの少女が、骨董兵器である巨偶機を操り、大活躍するという話である。

 骨董兵器というから、もしかすると、「いい仕事してますねぇ~」の人が、古伊万里の皿でも投げて戦うのかと思いそうだが、もちろんそんなことはない。骨董兵器とは、大昔の文明の遺産で、使用することはできても、今の技術では作ることができないというものだ。そのうえ、「フェニックスの聖衣」ではないが、灰になっても復元すると言う優れものでもある。

 中でも巨偶機というのは、1体で100万の兵に匹敵する戦闘力を持つが、若い女性しか乗り込むことができない。昔は、男性が操縦していたのだが、3千年前に世界を焼きつくした神雷により、そのような仕様になってしまったという。

 この神雷をきっかけに、男性は争いの元凶だということで、主導権を奪われ、高等教育も受けさせてもらえないという、みじめな存在になってしまっている。しかし、女性が主導権を持つ世界になっても、相変わらず戦乱は続いているのだ。人の本性とは、結局こんなものだということなのだろうか。一般男性なら、高等教育を受けさせてもらえない位だが、これが王子に生まれると悲惨である。ひどい虐待を受け、まるで実験動物のように扱われてしまうのだ。こっ、怖い~!

 ヒロインは、フローリー生まれのメリエラという少女。大国ジグモンディの12機部隊の一員である。12機部隊とは、ジグモンディの皇女レストアールを頂点にした、巨偶機を操る部隊のことだ。この部隊では、自分より上位者を「お姉さま」と呼ぶ慣習があるらしい。う~んw

 「保護」という名目で、ジグモンディに捕えられたフローリーの王女。しかし、王女に会った時に、メリエラの封印された記憶が蘇る。彼女は、王女からフローリーの国機である巨偶機の乗り手として選ばれた叙任騎士だったのだ。

 王女を逃亡させたまでは良かったのだが、何者かが王女を攫ってしまう。現れたのは、女性しか搭乗できないはずの巨偶機を操る男たち。

 国を救いたい王女の心。虐げられた王子たちを助けようとする一団。様々な思惑が交差し、やがて世界に転機の可能性が訪れる。驚くべきどんでん返しも仕込まれていて、なかなか凝った構成だ。ストーリーは、この手の作品には付き物で、少し軽めなのだが、読みだしたら一気読みしてしまうくらい面白い。

☆☆☆☆☆

※本記事は、「本の宇宙」と同時掲載です。
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これはなんでしょう?

2014-02-17 06:29:32 | その他


 上の写真は、いったいなんでしょう?

 実は、キノコの栽培セットということで買った、エリンギ(左)としめじ(右)(のはず)だ。

 何をどう間違ったか、こんな風に育ってしまった。特にシメジは、写真では分かりにくいが、白いヒゲのようなものが培養地から一面に出て、なんとも不気味である。

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書評:コーヒーの鬼が行く

2014-02-16 11:10:43 | 書評:その他
コーヒーの鬼がゆく - 吉祥寺「もか」遺聞 (中公文庫)
クリエーター情報なし
中央公論新社


 かって吉祥寺に、、コーヒーの鬼と呼ばれた男がいた。「もか」店主、標交紀だ。彼は最初からコーヒーに入れ込んでいたわけではない。店も、もともとは、軽食も出す喫茶店として始めたという。しかし、出されていたコーヒーは、それは酷いものだったらしい。

 負けん気の強い標は、全国の有名コーヒー店巡りを始めた。転機が訪れたのは、大阪で、標が師と仰ぐようになる襟立博保と出会ったことによる。標は、そこで焙煎の重要性を知り、寝る間も惜しんで焙煎の研究に没頭するようになった。自家焙煎したコーヒーを営業用に出してもいいと思うまでにはなんと5年の歳月が必要だったというから、その拘りが尋常ではないことがわかる。

 お茶の世界だと、葉を選んでしまえば、味の決め手となるのは、入れ方くらいしかない。しかし、コーヒーの場合は、焙煎という工程があり、ここに、自家焙煎コーヒー店主たちの拘りが生じるのである。鬱陶しいくらいのこだわりを持った奇人変人が多いのも、コーヒー業界の特徴のようで、例えば、炒り具合、熱源などに、コーヒー店主たちの個性が反映されるのである。自家焙煎の世界は、なかなか奥が深い。

 しかし、標が鬼と呼ばれるまでコーヒーに打ち込めることができたのは、夫人の和子さんの存在が大きい。なにしろ、旅行といっても、夜行で、全国のコーヒー店回りをするような強行軍だ。40ヶ国以上行った海外旅行も、すべてコーヒーがらみ。和子さんはそんな標を、付き添い支えただけでなく、厳しい標に指導される弟子たちにとっての駆け込み寺でもあった。彼女の舌や胃は、コーヒーの味の実験台となって、しょっちゅう荒れていたようである。

 標は、平成19年に、67歳で亡くなった。本書は、そんな標の「コーヒー馬鹿一代」ぶりを描いた鎮魂歌である。普段は、安いコーヒーしか飲んでないが、一度、機会があれば、本書に出てくるような名店を訪ねてみたいと思う。その時、出されたコーヒーをどう感じるかで、違いがわかる男かどうか判定できるとしたら、ちょっと恐い気もするが。

☆☆☆☆

※本記事は、「本の宇宙」と同時掲載です。

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