文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

書評:三十一文字のパレット

2018-09-17 11:22:21 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
三十一文字のパレット (中公文庫 (た54-1))
クリエーター情報なし
中央公論新社

・俵万智

 「サラダ記念日」で一世を風靡した俵万智によるエッセイ集。実家の本棚の隅にあった。ちょっと昔の本だが、昨年亡くなった父が退職後に短歌をやっていたので、参考に買ったのだろう。もともとは「中央公論」に、5年あまり連載したものを集めたもののようだ。その趣旨は、一つのテーマに沿って、毎月3首ほどの現代短歌を紹介するというものだが、厳密に3首に固定しているわけではない。

 2首しか紹介していない回もあるし、同じ作者の歌を紹介する場合には3首を超えて紹介している場合もある。また、現代短歌といいながらも、与謝野晶子や若山牧水などが紹介されていたりもする。それにしても、たった三十一文字の世界の広いこと。歌詠みは、このわずかな文字数の中にいろいろな思いを込めて言葉を紡ぐ。

 解説する方も、よくあの短い文字数にあのような解説を付けられるものだと感心する。私など不調法の極みのような人間なので、とてもそのような真似はできない。おそらくは自分なりのフレームワークがあり、それに照らして解釈しているのだろうと察する。だから100%作者の心とシンクロしているわけではないだろうが、作品は一度公表されるとその解釈は読み手にゆだねられるのだ。

☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。
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書評:ぼくの翻訳人生

2018-09-10 21:14:14 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
ぼくの翻訳人生 (中公新書)
クリエーター情報なし
中央公論新社

・工藤幸雄
 
 本書はかなり昔に買ったものだ。これまでずっと本棚の肥しになっていたのだが、やっと読むことができた。調べてみると、著者は2008年既に鬼籍に入られているが、買ったのはおそらくそれより前だったと思う。本書は著者の自分記ともいえる内容だろう。

 著者は、4浪して旧制一高に入った苦労人だ。当時は旧制高校に入るのが一番難しく、それを突破すれば大体が帝大に進学できたという話はよく聞く。東大の仏文科を卒業しているのだが、なぜか翻訳書はポーランド語からのものがほとんどである。もちろん今の東大よりは段違いに難しい。

 本書には、著者が大先輩の川口篤さんから聞いたという景気のいい話が紹介されている。

<「学生時代に対して苦労もなしに訳した岩波文庫の一冊の印税で、すぐさま家が買えて、いまもその家に住んでいるのだから。あれは、アンドレ・ジッドの『狭き門』でね」(pⅱ)>

 ここでポイントは二つ。一つは学生時代ということ。昔は大学生は本当にエリートだった。今のような学士様ハイパーインフレ時代ではない。学士様の価値は、今では考えられないくらいに高かったのだ。

 例えば琵琶湖疎水の設計も、田辺朔郎の工部大学校(今の東大)の卒業論文だった。今よりずっと大学生というのはエリートだった時代だ。だから学生が翻訳をやっても少しもおかしくないのである。今はせいぜい下訳に使われるくらいのものか。もうひとつは家が一軒買えるくらいの印税が一つの翻訳作品から入ったということ。現在のような出版不況の時代ではありえないだろう。大学生が本を読まないと嘆かれるような時代ではないのだ。

 著者の受験時代は戦時中で、野球なんかで横文字が日本語に言い換えられたことは有名だ。しかし反骨心旺盛な著者は、電車の中で敵性言語と言われていた英語の原書を読んでいたらしい。別に乗客からなじられることはなかったというが、おそらく軍部と一般の人との思いに乖離があったのだろうか。もしかすると、他の人は英語もドイツ語も区別できなかったのかもしれない。何しろ横文字を理解できただけでかなりのエリートだった時代である。

 著者はあまり早いうちから外国語を学ぶことには賛成ではないようだ。次のような一文がある。実は小学校の英語教育は1886年(明治19)に廃止されるまで行われていたらしい。それから一世紀以上たって小学校でまた英語を教えるようになるのだから、いったい我が国の教育行政はどうなんだろうと思ってしまう。

<「ちいちいぱっぱ」がしっかり身につかない幼児に、どの外国語を押し付けても無駄である。>(p88)

 また、著者は私と同じように、単なる外国語を「語学」というのは嫌いのようである。次のように言っている。

<語学ー正直な話、この「語学」という言い方が好きになれない。語学者を目指すことなく、外国語習得などは手段のひとつと考える筆者にとって、外国語の勉強がどうしても「学」とは思えないからだ。>(p91)

 なんだかとても親近感の湧く主張が多く、ポーランド語にそれほど関心がなくとも色々と参考になるようなことが多いのではないのかと思う。

☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

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書評:眠れないほどおもしろい「古代史」の謎: 「神話」で読みとく驚くべき真実

2018-09-01 10:41:39 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
眠れないほどおもしろい「古代史」の謎: 「神話」で読みとく驚くべき真実 (王様文庫)
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三笠書房

・並木伸一郎


 本書の根底を流れているのは、神話にもある歴史的事実が隠されているということだろうか。しかしそれはひとつの仮説であり、いくら神話をもとに力説されても、聞いている方は眉に唾をつけざるを得ない。また、私も古代史は好きなので、どこかで読んだり聞いたりしたようなことが多く、それほど新鮮味は感じられなかった。またほぼ偽書とされる「東日流外三郡誌」なんかを批判的に扱ってないのも大きな減点ポイントだろう。

 例えば、本書には箸墓古墳について以下のように書かれている。

<時の天皇陵である崇神天皇陵よりもはるかに巨大なのだ。これはまさしく、モモソヒメが天皇すらしのぐ権力を掌握していたことの表れなのである。>(p93)

 たしかに箸墓古墳はモモソヒメの墓となっているが、実際には誰が眠っているかはわからないのである。

 私が常々疑問に思っていたことの一つに、3種の神器である。たしか南北朝の時、受け渡しがあったと思う。最初南朝側が持っていたものを北朝側が接収したはずだ。しかし、それより前の時代に八咫鏡はアマテラスのご神体として伊勢神宮に、草薙剣は熱田神宮に置かれている。それとも3種の神器と言いながら実は八坂の勾玉だけだったのか。もしかすると南北朝でやりとりしたのはレプリカということか。このあたりは、あまり突っ込まれていないが、どちらにしても、あまりありがたみはないなあ。

 なお、タイトルは「眠れないほどおもしろい」だが、正直なところ、読んでいる間に何度も寝落ちしたのは余談。

☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

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書評:地理2018年08月号

2018-08-30 09:51:41 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
地理 2018年 08 月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
古今書院


 最近よく読んでいる雑誌「地理」。今月号の特集は「北海道 暮らしと産業のいま」だ。書かれているのは、札幌の現状、ニセコ地域のスキーリゾート、十勝地域における大規模農業、北海道の水産業そして屯田兵村についてだ。北海道といえばなんといっても屯田兵(私だけ?)。あとはヒグマとキタキツネか? 確か屯田兵については、学校の社会科の時間で習ったような覚えが。これに関する記事を読んで、受験参考書には結構いい加減なことが書かれていると思った次第だ(地理単独で受験したことはないが。あるとしたら高校受験の社会くらいか。)。

 実は北海道には2度ばかり仕事がらみで行ったことがあり、1回目は札幌、小樽、2回目は函館を見て回った。広島は飛行機便の便利があまりよくないので、函館に行くときは新幹線で往復したのだが、その時はまだ新青森までしか新幹線が通じてなかった。北海道側の駅はちょうど工事中で、その様子を見ながら函館まで青函トンネルを通って在来特急での旅をしたのは良い思い出だ。

 いま私が住んでいる広島市と札幌市は同じ地方の中核都市であり「支店経済」や都市単独でみれば「流入超過」だが、もっと大きな単位で見ればジリ貧なのもよく似ている(どこも地方は似たような状況だが)。もっとも人口は札幌市の方が大分多いし、広島市の影響力は中国地方でもそう大きくはない。

 北海道に北広島市というのがあるくらいだから、北海道と広島は昔から関係が深い。また行く機会があれば訪れてみたいと思うが、寒いのは苦手なので雪の降っている時期はいやだ(北海道で雪を抜きにしてどうするんだとの声あり)。ところで、この雪を求めてニセコ地区のアパートメントは投資対象になっているそうである。我が故郷山口県秋吉台の近くにも投資してくれないものかと思ったのは余談。夏は今住んでいる広島よりよほど涼しく、避暑地にはいいと思うのだが。


☆☆☆☆

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書評:刑事ドラマ・ミステリーがよくわかる 警察入門

2018-08-14 09:11:48 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
刑事ドラマ・ミステリーがよくわかる 警察入門 (じっぴコンパクト新書)
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実業之日本社

・オフィステイクオー

 ドラマや小説などで警察官がメインのものが結構あるのだが、その設定にかなり無理があるものが目立つことにかなり前から気が付いていた。例えば本書によるとあの「太陽にほえろ」の七曲署藤堂係長の階級は警部だそうだ。しかし警部で所轄の課長なら分かるが係長というのはありえない。ユースケサンタマリアの演じる「踊る大走査線」の真下正義はキャリアという設定だが、入庁2年目で湾岸署の係長をやっている。所轄の係長といえば、階級は警部補だ。しかしキャリアなら入庁2年目だったら警部になってるはずだ。所轄の係長ということはない。このほかにもいろいろと警察を舞台にしたドラマや小説などにはツッコミどころがあるようだ。いくら娯楽作品でも設定がいい加減だとリアリティに欠けると思うのだが。

 本書には掲載されていないが、この他、27歳警視で警視庁の参事官(管理官なら分かるが参事官というのは、課長より上のポストだ。いくらキャリアでも27歳警視でなれる分けがない。)をやっていたり、警視長で左遷されて所轄の署長をやっていたり(所轄署長は、警視か警視正のポスト。警視長なら小さな県警の本部長でもおかしくはない。)や果ては警視庁の50前後の警部補が「俺たちは国家公務員だ!」(正しくは地方公務員。警視庁って「庁」ってついているけど、東京都警なんだよね。都道府県の採用でも警視正以上に出世すれば国家公務員になるんだが)と叫んだり。もっとも設定が変なものでも、それなりに楽しんで視たり読んだりしているので、話の面白さ・痛快さとはあまり関係はしないことは一応付け加えておこう。でもできるだけ正しい設定でやって欲しいと思う。

 私も別に警察に在籍したことはないのだが、ミステリーをよく読むのでこのくらいの知識はある。ちょっと調べればわかることをそうしないというのは、何らかの意図があるのだろうか。

 本書は警察の仕事、階級と役職の関係、本部と所轄との関係、キャリア・ノンキャリアについてなど丸ごと一冊警察百科という感じだ。中の人には常識的なことかもしれないが、外から見た場合、警察というものはなかなか実態が分かりにくいものだろう。警察ドラマや警察小説が好きな方には、この程度の基礎知識を持っておくと、突っ込みながらも、より楽しめるのではないかと思う。ただ83ページに掲載されている階級と年齢との関係は古いんじゃないかな。今はキャリアの昇進はこれより遅れていると聞くし。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。


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書評:日本全国 駅名めぐり

2018-08-10 10:00:58 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
日本全国 駅名めぐり
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日本加除出版

・今尾 恵介

 本書は一言で言えば、駅名に関する蘊蓄を一冊に纏めたものだ。書かれているのは、どうしてそのような駅名になったのかという由来など。駅名と言えば、旧国鉄も含んだJRのものがまず考えられるが、それだけでなく私鉄や路面電車、果ては道の駅などにもレンジが広がっている。

 本書によれば駅とは本来、鉄道の駅を指すものではないようだ。

「そもそも駅という字は「早馬」を意味し、古代に官道の途中に伝馬用の馬を置く施設を指した。馬の乗り継ぎだけでなく休憩や食事ができる場所であり、後に宿場と呼ばれるようになるが、明治以降は宿駅の制度は廃止された。」(p76)


 私が子供の頃には、近くにバスの駅があり、人もいて、売店もあったので、駅というものは鉄道だけではないというのはよく実感できる。

 取り扱いも全国に及び、私の出身県や住んでいる県の駅名も結構ある。第一章の「変わった駅名」の中に「知らなければ読めない駅名」という節がある。全国的にも難読駅名として有名な山陰本線にある「特牛(こっとい)」は載っていたのだが、「厚保」はなかった。これはJR美祢線の駅で、「アホ」ではなく「アツ」と読むのだが、絶対に知ってないと読めないと思う。このように自分の知っている変わった駅名があれば本書に掲載されているかどうかを探してみるというのも楽しい。

 全編、駅名に関する豆知識がいっぱい。読んでいると楽しくなり、各駅停車に乗ってのんびりと旅がしてみたくなってくる。鉄道ファンの人におススメの一冊。特に乗り鉄を自認する人にはいいかな。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

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書評:明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった

2018-07-25 10:36:29 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
明治日本の産業革命遺産 ラストサムライの挑戦! 技術立国ニッポンはここから始まった
クリエーター情報なし
集英社

・岡田晃

 2015年に、「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録されたが、これは全部で23資産で構成されている。このように複数の資産が同じテーマを持って一括で認定される方式を「シリアル・ノミネーション方式」と呼ぶようだ。本書によれば、「シリアル・ノミネーション方式」で登録された世界遺産は他にもあるようだが、東は岩手県釜石から西は鹿児島までという、地理的に広範囲で構成資産も内容的に別々に見えるものは、珍しいという。

 本書は、それらの構成資産についてそれに尽力した人の物語とともに一冊に纏めたものである。

 明治維新の勝ち組は、俗に薩長土肥というが、直接描かれているのは、薩長肥で、それぞれ章を割いて解説している。土佐が直接出てこないのは、四国にこの産業革命遺産として指定されたものがないからだろう。しかし、間接的には、三菱の創始者である岩崎弥太郎を通じて語られている。岩崎弥太郎は、元々土佐の郷士が郷士株を手放して没落した地下浪人だった。ただし、彼が関連した施設は長崎に多い。

 日本の近代化のため尽くしたのはなにも維新の勝ち組だけではない。幕臣である伊豆代官江川英龍やイギリス人でありながら長州ファイブや薩摩スチューデントなどを支援したグラバーの貢献を忘れてはならない。

 西洋列強の力がちらつく中、幕末から明治にかけては多くの人材が国を守るために活躍したのだ。表紙にあるようにまさにラストサムライの挑戦。近代日本の成立には、このように多くの人々が関わっているということが本書を読めばよく分かる。当時は、国の力がなければ、他の多くのアジア諸国のように欧米の植民地にされていたような時代だ。彼らの働きがあったからこそ、日本は欧米の植民地になることなく明治の世を迎えられたのだろう。

☆☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。


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書評:シリーズ<本と日本史>(1) 『日本書紀』の呪縛

2018-06-15 09:40:10 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
『日本書紀』の呪縛 シリーズ<本と日本史>1 (集英社新書)
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集英社

・吉田一彦

<『日本書紀』は日本の過去をありのままに記したような書物ではない。それは、権力の座についた氏族たちが自分たちの権力の根拠と正当性を神話と歴史から述べた政治の書物であり、過去を支配することを目的とした書物であった。>
(p225)

 本書の主張は、「日本書紀」とは、極めて政治的な書物であるというものだ。この書物は、過去の支配、勝者が自らの正当性を主張するために編纂され、我々は、今なお、この呪縛に囚われているのではないかというのである。

 日本書記は、全30巻。神話の部分も含めて、戦前は金科玉条のように扱われていたが、戦後前半の3分の2は削除された。しかし、後ろの3分の1は残り、我が国の歴史のベースとなっている。まさか、この現在において神話部分を信じている者がいるとは思えないが、例えばアメリカでは今なお、キリスト教の影響で、進化論を信じない人が少なくないというから何ともいえない。

 これまでの研究成果からは、日本書紀の内容はかなり盛られているようだ。それは政治的な書物であることから当然のことだろう。勝者が自分たちの支配を正当化するために作り上げた歴史。例えば、大化の改新や聖徳太子の話などである。

 興味深かったのは、「天皇と皇后」の組み合わせについてである。「天皇」の概念は元々中国のもので、その対になるの概念は「天后」だという。つまり「天皇と皇后」の組み合わせが成立したのは、「皇后」のいなかった時代であり、つまりは、天皇号が我が国で成立したのは、天武の途中からではなく、女帝である持統から使われたというのが著者の推測するところだ。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。



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書評:地理 2018年 05 月号

2018-05-30 10:28:21 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
地理 2018年 05 月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
古今書院


 先般嵐山・嵯峨野に行って、竹林の中を歩いてきた。竹は日本の風景によく似合う。竹林はまさに日本の景色である。

 発明王エジソンが、日本の竹を電球のフィラメントに使った話は有名だが、竹は日本人の生活にも欠かせないものだった。子供の頃は、竹を編んで農具などを作っている人が近所にもいたし、竹ひごも普通に売っていたので、よく工作に使ったものだ。

 さて、この号の特集は、その竹に関するものである。内容は「竹と人が織りなす世界」。読んでいて思ったのは、地理に関する雑誌を読んでいるような気がしなかったということだ。竹の生態や筍の話、竹から作られる茶筅の話など、農学か何かの専門誌を読んでいるような錯覚が起こる。もちろん、地理オリンピックの話など、地理専門誌らしいトピックスもある。

 本書がいいのは、書評欄が充実しているところだろうか。もっとも高い本が並んでいるので、なかなか手に取ろうとは思わないのが難点だが。それでも、たまに新書などが出ていると買ってみたりしており、なかなか自分の読書生活の参考になる。

☆☆☆☆

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書評:ミクロ経済学の力

2018-05-28 09:35:18 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
ミクロ経済学の力
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日本評論社

・神取道宏

 本書はタイトルの通り、ミクロ経済学の教科書である。対象は大学2回生程度であるというが、学部の中・上級から大学院の初級レベルまでをカバーしているという。

 現代の経済学は、数学モデルをつくって、本来は定性的なことをいかにも定量的であるかのような錯覚を持たせて説明するというのが大きな特徴であり、本書にも、数式を使った説明があふれている。しかし、経済学的な概念はさておき、使われている数学はそう高度なものではなく、高校生でも理系に属している生徒なら理解できるレベルだろう。もっとも、経済学の慣例で、単なるラグランジュの未定乗数法の式をラグランジアンと記しているのは違和感がある。多分物理学を少しでも学んだ者なら、ラグランジアンというと別のものをイメージするのではないだろうか。

 私たちの頃は文系に進んだ人間でも数ⅡB(普通高校の場合)までは履修していた。だから、経済学が文系だといってもそう違和感はなかったのかもしれない。しかし今はどうだろう。高校のときに数学をほとんど勉強しなかったのに、大学の経済学部に進学した者は、その内容に少し面食らうのではないかと思う。

 最近は、ゲーム理論を経済学のツールとして使うことが流行しているようだ。本書にもゲーム理論に関する部分に多くのページが割かれている。ゲーム理論そのものは大昔からあり、私が学生のころは、難しい数式がたくさん並んだ専門書が売られていたものだが、経済学の教科書にゲーム理論に関する話題が載っていた覚えはない。しかし、今ではミクロ経済学にはかなり重要なツールらしい。

 経済学を学ぶ目的は、経済学者に騙されないためと言ったのは、異端の女性経済学者であるジョーン・ロビンソンだが、私たちも本書に書かれていることくらいは知っておいたうえで、彼らの言論をうっかり信じないように気を付けたいものである。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。
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