文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

書評:左京区七夕通東入ル

2014-12-31 09:27:36 | 書評:小説(その他)
左京区七夕通東入ル (小学館文庫)
クリエーター情報なし
小学館


 文系女子と、理系男子の、ちょっと変わったラブストーリーを描いた、「左京区七夕通東入ル」(瀧羽麻子:小学館文庫)。この「○○通△△入ル」というのは、碁盤目状に街が作られている京都独自の住所表記法だが、さすがに京都でも、「七夕通」なんてロマンチックな地名はない。実は二人が出会ったのが七月七日の七夕の日。そこから始まる二人の物語には、よく似合ったタイトルだと思う。

 主人公の花は、理系科目が大の苦手な文学部の4回生。既に東京の商社に就職も決まっている。別の大学に通う友人のアリサに誘われ、合コンに参加するが、そこで出会った風変わりな数学科の学生、たっくんになぜか魅かれた。二人は、たっくんの寮のやはり風変わりな友人たちや、たっくんの先輩である陽子さんらとの関わりの中で愛を育んでいく。

 二人の通う大学は、名前が明記されていないものの、明らかに京都大学だ。作者は、京都大学の経済学部出身で、一応は文系女子。ただ、最近の経済学は、形式上数学を駆使するので、主人公の相手に選んだのは数学科の男子という設定だったのかなと思った。ちなみに、アリサは、この大学から自転車で10分足らずのところにあるミッション系の女子大だから、同志社女子大だろうか。彼女の彼氏が、花の大学にいるので、自分の大学でもないのに入り浸っているらしい。

 ところで、先般、警察官が京大キャンパス内に無断で立ち入ったとして、ひと悶着あったが、この作品にも、寮が機動隊に囲まれたりというようなことが書かれている。確かに寮に住んでいた私の友人(もちろんノンポリです)は、機動隊の盾に押しつぶされて、足に怪我したなんって言っていたような覚えはあるのだが、私たちが通っていたころはもう学生運動も下火になっていたし、私が大学院に入った頃になると、明らかに学生の感じも変わっていた。大体自転車置き場が大混雑になるなんて、自分たちが学部の頃には考えられなかったことだ。いったい、そんなに毎日授業に出てどうすると思ったものである(笑)。もうあんな激しい時代は過ぎさったと思っていたのだが、今でも同じような事があるとは驚きである。

 いくつか気になるところもある。まず、作者も文系女子だったので、理系男子に対して、偏見はないだろうか。「おしゃれでかっこいい文学部とださくていけてない理学部」(p178)って誰が決めたんだ。少なくとも私が通っていた頃は、「おしゃれでかっこいい」学部なんてなかったと思うのだが。実は、私、学部・大学院と合計6年間も通っていながら、そもそも文学部ってどこにあったのか、まったく知らないのだ。でも、同じ学生アパートに文学部に通う後輩がいた(イケメンだったが、決しておしゃれでかっこよくはなかった)し、キャンパスでもおしゃれなやつなんて見かけなかった。時代が変わったということなのだろうか。また、北部キャンパス内に工学部もあると書かれていたが、工学部は中央キャンパスだ。(大学院は現在大部分が桂キャンパスに移転しているが。)

 しかし、作品内の人物の活動範囲が、自分の学生時代と重なってなんとも懐かしい気持ちにさせてくれる。ただし、私たちのころは、今よりも女子比率がぐっと低く、私たちの学科には一人もいなかった。まさか、京都大学を舞台にして、ラブストーリーが語れるようになるとは、当時の私には想像もできなかったことだ。やはり、時代は大きく変わってしまったようである。
 
☆☆☆☆

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書評:黄泉から来た女

2014-12-29 23:00:00 | 書評:小説(ミステリー・ホラー)
黄泉から来た女 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社


 京都府の天橋立から、千葉県八千代市そして山形県の出羽三山を股にかけた壮大な旅情ミステリー、「黄泉から来た女」(内田康夫:新潮文庫)。浅見光彦シリーズのうちひとつで、なんところが111作目に当たるという。

 主人公のルポラーターにして名探偵の光彦君は、永遠の33歳(「遺譜 浅見光彦最後の事件」でやっと34歳の光彦が描かれている)なのだから、1年間で100以上もの殺人事件に遭遇したことになる。一つの事件が解決するまで、何日もかかっているうえ、個々の事件で、他の事件に掛け持ちような形跡もないので、普通に考えれば不可能である。これが可能になるとすれば、量子力学における多世界解釈を持ちこむしかないだろう。つまり、あの事件とこの事件は、分岐した別々の世界の話で、事件に関わったのは、それぞれ別の光彦なのである。それなら、「平家伝説殺人事件」で、平家の末裔のお姫様、稲田佐和とほとんど結婚しそうになっていたのに、話がなかったことになってしまったということことにも頷ける(笑)。

 と、与太話はこの位で置いて、本書の内容だが、モチーフになっているのは、量子力学とは何の関係もない、出羽三山の修験道の話だ。 出羽三山とは、羽黒山、月山、湯殿山の3つを言い、羽黒山は黄泉への入り口、月山は死後の世界、湯殿山は生まれ変わった再生の出口に例えられているという。山伏や、即身仏でも知られており、山岳宗教の聖地として、今でも多くの人々を集めている。

 ある日、宮津市役所に勤務する神代静香を、山口京子と名乗る見知らぬ女が訪ねてくる。ところが、その女が殺害され、本当の名前は畦田美重子だったことが判明する。美重子は、出羽三山の宿坊大成坊の娘だった。そして、静香の亡くなった母徳子も、出羽三山の宿坊である天照坊の娘だったという。徳子の実家とは、昔何らかの確執があったようで、現在はまったく交流がない。

 静香は、まだ知らぬ母の故郷を見たいと出羽に向かった。光彦は取材を通じて、静香父子と知り合ったのだが、静香の父に頼まれて、彼女を追うことになる。そこに待ち構えていたのは、30年以上も前に起きたある失踪事件に始まる因縁と、宿坊に巣食う、まるで鬼女のような、凄まじい女の悪意。そして、今度は、事件の元凶ともいえる凄まじい女で、かって徳子を追いだした、天照坊の嫁・桟敷真由美も殺されてしまう。

 この真由美、本当にとんでもない女で、よくテレビなどで「鬼嫁」といって出てくる人がいるが、あんなものでは、可愛らしい天使に見えてしまうくらいの性悪である。内田さんは、良く実在の人物をモデルに使うが、さすがにこれはモデルがいるということはないだろう。しかし、本当にいたら怖い。

 また、内田さんは、宗教の欺瞞に対して厳しい。かって、「佐渡伝説殺人事件」でも、かなりの憤慨ぶりだった。この作品でも、出てくる宗教関係者が、色や欲や嫉妬にまみれているというのも、内田さんの宗教観の現れなのだろう。それを端的に表しているのが、真由美であり、彼女の兄や夫なのだ。真由美の夫であり、静香の伯父にもあたる桟敷幸治の次の科白にもそのことはよく表れているのではないだろうか。

「山さ登って、ひたすら修行に明け暮れた日々は何だったなやって。物事の真理を見通すどころか、修行どこ隠れ蓑にして、真実さ背を向けておのれ自身の醜悪さを隠ぺいし続けたのではねえか。」(p492)

 ところで、女性に対して意気地が無いため、これまで、何度チャンスを逃して来たか分からない光彦だが、この作品では、静香からはかなりの高ポイントを得ているようだ、何しろ静香から、

「さっさと嫁に来いって言われたら、喜んで行きます」(p164)

と言われているくらいである。光彦には、なにか不思議な力があることは、これまでの作品で散々ほのめかされている。一方、静香の方にも、生まれる時に母親が、太陽が口から飛び込んできた夢を見たという話があり、「アマテラスの子」と呼ばれることもあるようだ。まさにお似合いの二人ではないか。しかし、これまでにも前科?のある内田センセのこと。きっとこの話も、すぐに無かったことにされるのではないかと、光彦がちょっと可哀そうになった(笑)。

☆☆☆☆

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書評:探偵の探偵

2014-12-27 20:30:04 | 書評:小説(ミステリー・ホラー)
探偵の探偵 (講談社文庫)
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講談社


 探偵を探偵する探偵とは、なかなか目のつけどころが面白い、「探偵の探偵」(松岡圭祐:講談社文庫)。

 主人公は、紗崎玲奈という、美しいが、心に何かを抱えているような女性。中堅調査会社のスマリサーチが主催する探偵養成所に入学を希望してくる。彼女は、探偵にはなりたくないが、探偵のすべてを知りたいと言う。実は玲奈は、高校のときに、ストーカーにより、妹の咲良を残虐な方法で殺されていた。その事件には、どこかの探偵が絡んでいたのだ。玲奈は、それが誰かを突き止めるつもりなのである。しかし、探偵業界の裏は闇。玲奈のことを危ぶんだ、スマリサーチ社長の須磨は、彼女を自らの事務所で、悪徳探偵をあぶり出す、「探偵の探偵」として働かせることにした。

 この作品には、ここまで書いていいのかというくらい、探偵業の裏側が描かれている。描かれている探偵社は、まるで犯罪組織のようだ。そればかりではない。驚くべき裏技(もちろん非合法)も多く示されているのだ。須磨の次のセリフは、そんな探偵観を端的に表しているだろう。

<悪徳業者か。須磨に言わせれば、探偵はみな悪徳だった。程度の差こそあれ民法七○九条、プライバシーの侵害に抵触しない探偵はいない>(p78)

 実際にそうなのだろうか。そうだとすれば怖い。作者はいったい、どこでこのような知識を仕入れたのだろうか。まずそのことがとても気になってくる。

 作者の前作となる、万能鑑定士シリーズや特等添乗員シリーズでは、バイオレンスシーンはなかったのに、この作品では、そんなシーンの連続。まるで、同じ作者の千里眼シリーズに先祖がえりしたかのようだ。しかし、蘊蓄がやたらと多いというのは、万能鑑定士シリーズや特等添乗員シリーズを踏襲しており、この二つの流れを集大成したような作品と言ってもいいだろう。つまりは、岬美由紀のバイオレンス性に、凜田莉子の知識を加え、そして、無愛想なキャラ属性を加え合わせたヒロインが、紗崎玲奈なのである。

 次の箇所も気になるところだ。

<「愚かで不勉強なマジョリティは思い込みをあらためない。探偵の出てくる二時間ドラマを無邪気に楽しみ、現実の探偵業がどうなのか知りもせず、イメージのみをドラマのまま記憶する」 ・・ 中略 ・・ 探偵業法による認可が、さも特権的な職業のように大衆を錯覚させる>(p152)

 まず、二時間ドラマであるが、あれに出てくる名探偵というのは、本職がルポライターだったり警察官だったり主婦だったりと、本職の探偵はめったにいない。明智小五郎や金田一の頃ならいざ知らず、彼らと共に日本三大名探偵と称される神津恭介にしても、本業は東大教授なのである。また、探偵業法による認可といっても、普通の人はそんな法律なんて知らないし、法で認可されたからといって、それだけで信用するほど、現代社会の人間はナイーブではないだろう。

 それにしても、描かれているのは、暴力団もびっくりの探偵業界、おまけに警察に対しても、かなり辛辣な書き方だ。作者に、苦情は来なかったのかと少し心配になってくる。また、玲奈は、何度も敵に命を狙われ、痛い目にあわされて、いつも傷だらけの状態である。表紙イラストの玲奈の、怪我だらけの顔には最初ちょっと驚いた。これまで、こんな描かれ方をしたヒロインがいただろうか。こんなになるのは、ヒロインがまだ駆け出しのためなのか。これから、もっともっと強い女に育って、表紙イラストがもっと綺麗な顔で描かれることがあるのだろうか。こちらの方も気になる。

☆☆☆☆

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書評:経済セミナー 2012年12月・2013年1月号

2014-12-26 21:55:05 | 書評:その他
経済セミナー 2012年12月・2013年1月号 :エネルギー政策と経済学
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日本評論社


 「経済セミナー」(日本評論社) の2012年12月・2013年1月号。私の本来の専門は、電気・電子工学であるが、経済学についても、かなり勉強して、副専攻は経済学だと勝手に思っている。ということで、時々、このような雑誌も読むのだが、この雑誌、2年前に買ったまま、積読の山の中に埋もれて遭難してしまっていたやつである。先般、たまたま掘り出したのだが、高い雑誌なので、一応中を読んでみた。書籍ならともかく、普通は、これだけ過去の雑誌などのレビューは書かないのだが、記事の中に、読んでいて気になることが多いものがあったので、その記事に絞って書いてみることにした。特集「エネルギー政策と経済学」のトップにある、「電力システムの構造改革」という記事で、大田弘子氏と山田光氏の対談を掲載したものだ。

 読んでみて感じたのは、このお二人、電力システムのことを本当に理解して、発言しているのだろうかということ。いくつか気になる部分をあげてみよう。

<危機が発生すると、計画停電のようなとんでもない事態に至り、地域独占がいかに不安定な供給システムであったかが明らかになった>(p12)
⇒電気が足りなくなるのは、単に発電機のトータルの発電力と電気の需要の関係だけの話であり、地域独占かどうかは関係ないと思う。逆に、電源を好きに作っていいとすれば、儲からないと作らなくなって、却って不安定な供給システムになる可能性がある。

<需要側でのコントロールも想定されてない仕組みです。需要側の節約のインセンティブはまったくない>(p14)
⇒インセンティブがないどころか、色々な料金メニューで、ピークをシフトさせようとしている。(例えば関西電力ホームページ)こんな、すぐわかることも調べてないのだろうか。


<総括原価方式ではコストを積み上げれば積み上げるほど事業報酬が増えます>(p14)
⇒常識的に無駄な設備をどんどん作ると、借入金の金利の支払いの方も大変になるので、そんなことはしないと思うのだが。

<アメリカでは、ネットワークと市場を管理するオペレーターが、非常に小さい電源から回すわけです>(p15)
⇒非常に小さいとは、どの程度の規模だろうか。小さい発電機(例えば太陽光のひとつひとつ)まで、中央で管理しているわけはない(管理しきれない)と思うのだが。それに、まともなオペレーターなら、発電機の大きさではなく、ベースロードを担えるようなコストの安い発電機から回していくだろう。

<揚水発電は1年のうちたとえば4~5日しか回す必要がない発電所です。>(p16)
⇒昨年度の揚水の利用率は3%だそうだ。揚水発電の目的は、そもそもが昼間のピークカットだから、1日3時間程度の運転を仮定しても、100日程度は回っていることになるのだが。

<場所によって値段が違うと、それによって効率的な発電所や送電網の建設が促されるわけですね>(p16)
⇒市場に任せれば全てうまく行くと言うのはイデオロギーにすぎない。発電所も、送電線も、どこにでも作ると言う訳にはいかず、いろいろと制約が伴うのは自明だろう。

 その他にも気になるところはあるが、きりがないのでこの位でやめよう。要は、工学的、技術的なものはあまり知らないまま、単に市場原理主義というイデオロギーだけで語っているように思えるのだ。このお二人、例えば安定度なんて概念は果たしてお知りなのだろうか。こう言う記事を読むと、つくづく学際的ということの重要性を感じる。経済学の人間も、もっと他分野の人間と議論する必要があるだろうし、他の分野の人間も、もっと経済学の話題に入っていかなくてはいけないと感じた。

☆☆

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書評;赤い右手

2014-12-25 18:21:29 | 書評:小説(ミステリー・ホラー)
赤い右手 (創元推理文庫)
クリエーター情報なし
東京創元社


 ジョエル・タウンズリー・ロジャーズの怪作、「赤い右手」(夏来健次訳:東京創元社)。「このミステリーがすごい!」の’98年版海外編で第2位だった作品で、17年を経て文庫化されたという。読んでみて思ったのは、なかなか一筋縄ではいかない作品だということと、なぜもっと早く文庫化されなかったのだろうかということだ。

 語り手はハリー・リドルという外科医。乗っていた車が、田舎道の三叉路で故障して動かなくなってしまった。ところが、彼が車をなんとか動かそうとしている間に、恐ろしい事件が起きていたのだ。イリス・セントエーメという実業家とその美しい婚約者エリナ・ダリーが結婚のための車で旅行中に、不気味な浮浪者を拾った。親切心で乗せたその浮浪者が、セントエーメを襲い、瀕死の彼を車に乗せて連れ去ったのだ。その車は、ハリーが立ち往生していた場所を通ったはず。しかし、ハリーはそんな車は見なかったという。

 作品の設定は、いかにも猟奇的だ。まず犯人と目されている浮浪者の容姿。ぼさぼさの頭で、ぼろぼろの服装、赤い目と避けた耳、そして乱杭歯。もう見ただけで、怪しさ満点である。さらに、被害者のセントエーメの死体は、額の皮を剥がされ、頭には手術道具で穴を開けられていた。おまけに、右手は切断されてどこにいったか分からないという状況である。

 被害者は、セントエーメだけではなかった。その後も、人が次々に殺されていく。ハリーは、殺人鬼を野に放つ訳にはいかないと、事件の状況を逐一メモに起こして整理し、真相を解明しようとする。この作品は、読者が彼のメモを読んでいるという設定になっているのだ。そのメモからは意外な真犯人があぶり出されてくる。一見殺人鬼による猟奇的な連続殺人事件に見えたものに、これほど複雑な裏があったとは誰も思わないだろう。

 ハリーが、真犯人について突然閃く辺りは、多少唐突な気もするが、その後で、事件の一連の出来ごとについて巧妙な説明をつけているので、あまり気にならずにに、一気に読まされてしまう。ただ、犯人が名乗っていた名前についての意味づけなどは、さすがに少し話を作り過ぎているのではないかと思う。そこまで凝って犯罪を計画するとしたら、犯行を単なるゲームとしか考えていないような人物だろう。犯人は狡猾で、犯行は、自分にとっての実利を追求したものである。そんな犯人が、自分を暗示するような偽名など使うまい。

 また、この作品には、そこかしこに、読者を迷わすような、小細工も仕掛けられているので、一生懸命読めば読むほど、作者の仕掛けた罠に嵌って、ミスリードしてしまうようなところもある。確かに面白いが、その意味では、少しタチの悪い作品だと言えるかもしれない(笑)

☆☆☆☆

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書評:青年のための読書クラブ

2014-12-23 11:39:37 | 書評:小説(その他)
青年のための読書クラブ (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社


 可憐な乙女の花園たる聖マリアナ学園に、ぽつんと特異点のように存在する「読書クラブ」。そこは、学園の異形の少女たちが集まる場所。そのクラブに伝わる「読書クラブ誌」 。それは、決して正史には記されることのない珍事を綴った、学園の裏の年代記(クロニコル)だ。「青年のための読書クラブ」(桜庭一樹:新潮社)は、その「読書クラブ誌」に綴られた5つの物語として展開される、連作短編集である。

 本書に収められているのは、聖マリアナ学園と読書クラブに関わる100年の歴史。各章が、読書クラブにおける一つの時代に対応している。ほぼ時代順に並んでいるが、第2章「聖マリアナ消失事件」のみは、いったん過去に戻り、修道女マリアナがフランスからはるばるの日本にやってきて聖マリアナ学園を開いたいきさつと彼女の秘密、読書クラブに関することなどが語られる。他の章で描かれているのは、読書クラブ員が関わった事件。登場人物はいずれも、異形を抱えた少女たち。まさに桜庭ワールド全開である。その他の章についても、簡単に紹介しよう。

 第1章「烏丸紅子恋愛事件」に登場するするのは、ノーブルな美貌に貧乏の臭いを兼ね備えた烏丸紅子と、学園一の才媛でありながら、小太りで醜い妹尾アザミ。アザミは、学園支配を目論み、紅子をプロデュースして、「王子」に仕立てようとするのだが。

 第3章「奇妙な旅人」は、巨乳のお母さんタイプの高島きよ子と、長身、リーゼントヘアでボーイッシュな長谷部時雨が主人公だ。この章では、読書クラブに、学園政治に敗れた、新興勢力の扇子組3名が亡命してくる。

 第4章「一番星」は、成績優秀、知的で神経質な少年のような加藤凛子と凛子になついて読書クラブに入った、英国人の血をひく赤毛の美少女・山口十五夜の物語。十五夜は、突然軽音楽部でロックスターとして活動を始める。

 そして、第5章「ハビトゥス&プラティーク」では、とうとう読書クラブ員は、五月雨永遠一人になってしまう。学園では、少女たちが持ち物検査で取り上げられた携帯や音楽端末をいつの間にか取り戻してくれる謎の人物、「ブーゲンビリアの君」が人気を博していた。この章では、第1章で登場した妹尾アザミが国会議員に出世して登場する。

 タイトルが、「読書クラブ」だけあって、それぞれに文学作品が一つモチーフに使われている。第1章からそれぞれ、シラノ・ド・ベルジュラック」(エドモン・ロスタン)、「哲学的福音南瓜書」(作者不詳)、「マクベス」(シェイクスピア)、「緋文字」(ホーソン)、「紅ハコベ」(バロネス・オルツィ)となっている。いかにも読書家の桜庭さんらしいが、どうも第2章の「哲学的福音南京書」だけは、架空の書物のようである。他の章と比べても驚くような展開を見せるこの章には、架空の本が相応しいということか。それとも、読書家として知られる桜庭さんをもってしても、ふさわしい本が見つからなかったのだろうか。

 桜庭調の特徴的な文体で綴られる、コミカルながらも独特の存在感を持った世界は、突っ込もうと思えば、いくらでも突っ込める。しかし、知らぬ間に、あの不思議な桜庭ワールドにどっぷりと浸かって、抜け出せなくなってしまう。そんな桜庭一樹の魅力が良く出た作品だ。

☆☆☆☆

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エルクのパニーニセット(広島市を歩く136)

2014-12-22 18:03:29 | 旅行:広島県


 写真は、少し前に人間ドックを受けた時に、終わった後で昼食を取った店。たしかエルクという店だったと思う。人間ドックは、絶食で行かないといけないためか、食事券が付いていた。幾つかの店が指定されているので、その中からあまり歩かなくても良い店を選んで入った。




 注文したのがこの「パニーニセット」だ。そもそも、「パニーニ」っていうのが、何か良く分からなかったのだが、調べてみるとイタリアのサンドイッチのことのようだ。殆どの男は分からんぞ。え~い!日本語で書かんかい(笑)。えっ、分からないのはあんただけだって?失礼。

 初めて食べてみたが、味の方は、なかなか美味かった。値段は1,000円である。


○関連過去記事
元宇品(宇品島)一周(広島市を歩く135)
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書評:街場の大学論 ウチダ式教育再生

2014-12-21 17:46:34 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
街場の大学論 ウチダ式教育再生 (角川文庫)
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角川書店(角川グループパブリッシング)


 著者がブログに掲載していた教育論を基に編集したという「街場の大学論 ウチダ式教育再生」(内田樹:角川文庫)。

 大学教授でもある著者は、日本の教育に危機感を抱いているようだ。最近は、子供たちが「学ぶ」ことが出来なくなっているらしい。どの大学でも、びっくりするような低学力の学生が入学してくる。小さい頃から塾でお勉強をしてきている割には、それが「学習意欲」や「知的好奇心」にはつながらず、世界一勉強しない子供たちを作り出してきた。

 著者は、学生が、「フェミニズム」や「上野千鶴子」を知らないと言ってびっくりしている。でも、これは別に知らなくてもいいことだ。学問の世界は広く、人によって、カバーする領域が違うのは、当然のことだろう。私としては、そのような社会生活をおくるうえでたいして役に立たないことをを知るよりは、せめて基礎的な科学知識でもつけたほうが、よほど有益だと思う。もっとも、何も専門的な知識がないというのが、最近の学生であると、著者は言いたいのかもしれないのだが。

 結局、現在の日本は、勉強とは、人から「習う」ものだと勘違いして、自分の頭で考えない子供たちを大量に作り出しているだけではないかと思う。だから、お勉強をさせられていても学力に繋がらないのだろう。こういった子たちが大量に大学に入り、そして社会人になっていく訳だから、大学も企業もたまったものではない。著者によれば、「現在の日本の大学の二年生の平均的な学力は、おそらく五十年前の中学三年生の平均学力といい勝負」とのことだが、本当だとすれば、憂慮すべき事態だ。

 しかし、教える側にも問題がないわけではない。「人文系の場合は、論文を十年に一本しか書かない教師が『私の論文は一本でふつうの学者の論文の十倍の価値がある』というような妄言を言い募っても、誰も咎めない」ということだから、あまり学生のことだけを言うのはフェアではないだろう。ただ、昔は、いちいち教えてもらわなくても、学生が自分で興味のあることは、ちゃんと勉強していたので、教師側のことはあまり問題にならなかった。むしろ、授業に対していい加減な方が、名物教師として人気があったようなところもある。今は、大学の授業もずいぶん改善されたと聞くが、私のように昔の大学を知っている者からは、高校の延長にしか見えない。

 大学も40%が定員割れ(2006年当時)で、関西の私大も凋落が激しいという。企業本社が集まる東京周辺に、ビジネスマンが集まるのは分かるが、どうして大学生まで東京に集まるのか、私には理由が分からない。学問をするより、遊ぶ場所が多いからということだろうか。いっそ、東京への大学設置を禁止したらどうか。学問には落ち着いた環境が必要だ。大学は国公立にしても私学にしても、巨額な公費がつぎ込まれている訳だから、遊びたい人間は大学に行く資格はない。著者は、「学生数は減らしてもよいが、大学の数はあまり減らさない方がいい」と述べているが、私は賛成できない。現在は、大学の数も多すぎる。資源のない日本は、人づくりしかないのだから、もっと重点的に税金を使うべきだろう。ただし、地域による格差がないように配慮は必要だ。通信制の拡充という手もある。しかし、東京周辺の大学などは、半分にしても良いと思う。読んでいて、そんな思いを強くした。

☆☆☆☆

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プリンタの買い換え

2014-12-21 16:00:18 | その他
Canon キヤノンインクジェット複合機 PIXUSMG6730WH ホワイト
クリエーター情報なし
キヤノン


 前から、プリンタの調子が悪かったのだが、そろそろ年賀状を作ろうとして、動作確認をしてみたところ、まったく印刷ができない。さすがに、困るので、思い切って買い換えることにした。

 買ったのは、以前のものと同じCANONのプリンターだが、型式はMG6730と少し進化型。驚いたのは、以前のやつとインクカセットの形状が違うこと。同じメーカーだというのに、以前のものは使えないのだ。インクは高いし、前のプリンタ用のものも少し残っているのに、新しく買わないといけない。おまけに、常識外に高い。本体を安くしてインクで稼ぐという、インク商法もいい加減にして欲しいものだ。今はあまり選択肢がないので我慢しているが、インク代のかからないような、新しいビジネスモデルに基づいたプリンタが登場すれば絶対に、そちらに乗り換えるつもりだ。

 それにしても、セットアップでかなり疲れた。年賀状はもう明日以降だな。
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書評:思い続けることで夢をかなえた人 稲盛和夫

2014-12-16 19:28:30 | 書評:小説(その他)
思い続けることで夢をかなえた人 稲盛和夫 (世のため人のため絵本シリーズ2)
クリエーター情報なし
出版文化社


 「世のため人のため絵本シリーズ」の第2弾として発売された、「思い続けることで夢をかなえた人 稲盛和夫」(加藤勝美, なりきよようこ/文、 櫻井さなえ/絵:文化出版社)。考えてみれば、日本の経済人で、子供向けの伝記や絵本に成りそうな人は少ない。すぐに思いつくのは、松下幸之助 さんと、本田宗一郎さんくらいである。今回、このお二人ではなく、稲盛さんが取り上げられたというのも、やはり、時代の流れというものが反映されているということだろうか。

 この御三方には共通していることがある。皆、元々はものづくりに熟練した技術者だったということだ。日本は、ものづくりで生きていくしかない国である。そんな日本を代表する経営者としては、モノづくりを熟知している人こそ相応しい。その意味で、稲盛さんを取り上げているのは、ごく当然のことと思える。

 しかし、本書の内容を詳しく読むと、いくつか気になる点がある。例えば、IBMから部品の注文を受けたときのこと。「2年あまりの間、お盆もお正月も休まず必死に働きました」とあるところだ。経営者が働くのは、ある意味当たり前だが、従業員まで同じように働かせていたのだろうか。もしそうなら、昔なら美談になるところだが、今の感覚では必ずしもそうはならない。ちゃんと「労働基準法」を守っていたのかと責められかねないところである。

 次に、稲盛さんが再建に関わった日本航空での話。「日本航空の社員には「会社がつぶれた」という危機感がありません」と決めつけているが、果たして全員がそうだったのか。こう言い切る根拠はなにか。仮にそのような人が多かったとしても、どのような組織にも心ある人は居るものだ。そんな人がいなければ再建など出来る筈がない。すべてを十把一絡げに切り捨てるというのはどうだろうか。

 そして、稲盛さん主催する「盛和塾」に全国から約9000人もの中小企業の社長が集まり、教えを受けることが、いかにも素晴らしいことのように書かれているところ。私は、これには逆に不安を覚える。経営とは、会社ごとに違うものだ。どのように経営していくかは、経営者が自分の頭で、死に物狂いで考えねばならないのである。人から習おうと安易に考えているのだとしたら、日本の将来は危うい。

☆☆

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