文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

書評:発電・送電・配電が一番わかる (しくみ図解シリーズ)

2018-12-29 14:37:01 | 書評:学術教養(科学・工学)
発電・送電・配電が一番わかる (しくみ図解シリーズ)
クリエーター情報なし
技術評論社

・福田務

 私たちが豊かな暮らしをするために欠かせないものの一つが電気である。本書は、そんな電気をつくり、送るための技術について解説したものだ。

 タイトルにある発電、送電、配電の中で一番身近なのは、配電だろう。なにしろ街中にいくつも電柱がたち配電線が張られているからだ。

 これに対して発電は普通の人はあまりなじみがないかもしれない。発電所勤めをしているのでもない限り一般の人はなかなか発電設備を目にすることはできない。しかし、最近は工場見学の好きな人が多いと聞く。そのノリで、発電所を見学できるチャンスがあれば逃さないことをお勧めしたい。

 本書のレベルとしては、電気工事士から電験3種程度のものと思う。しかし、これは役に立たないということではない。あまり難しい理論的なことには踏み込まない反面、図解で大事なことが分かるように工夫されている。だからある程度電気のことを知っていても、いろいろ参考になることは多いと思う。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

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書評:働きアリからの脱出: 個人で始める働き方改革

2018-12-27 09:03:04 | 書評:ビジネス
働きアリからの脱出: 個人で始める働き方改革 (単行本)
クリエーター情報なし
集英社

・越川慎司

 「働き方改革」という言葉をよく聞くが、あまりうまくいったという話は聞いたことはない。それはおそらく上から押し付けの改革が多いことによるのではないだろうか。本書は、個人が「生産性」を向上させながら「働きがい」を感じるようになるヒントになるだろう。

 日本人は「社畜」という言葉があるように、長時間労働が揶揄されている反面、それが一種の美学のように思われているのではないか。会社自体に問題があるブラック企業の場合も多いのだろうが、従業員同士で足を引っ張りあっていることもあると思う。

<「早く帰社することは推奨されているけれど、同僚の目が気になって先に帰ることができない」というような声を聞くことがあります。>(p24)

 「あります」とあるが、実はこれがダラダラ残業が行われる一番の理由ではないかと思う。日本人は「横見の意識」が強い。先輩や同僚が残業をしていると、自分の仕事に区切りがついていてもなかなか帰れない人間が多いのである。

 私が現役管理職の時は、誰がどの程度の仕事をしているかを把握できるので、ダラダラ残業をするような人間は能力が不足していると評価していた。同じ仕事を与えても人より時間をかけないとできない人間は確かにいる。

 自分が、ダラダラ残業をするだけならともかく、仕事をさっさと片づけて早く帰る人の悪口をいったりするのだ。仕事はチームワークだとかいう一見もっともな理屈を自分の能力不足の隠れ蓑にして、他人の足を引っ張る。だからいくら自分の仕事が早く終わっても帰り難くなる。また、さっさと帰らずにそんな同僚・先輩の仕事を手伝うようにいうビジネス書も結構読んだが、いったいなにを言っているのやら。

 これが管理職に見る目が無いと、ダラダラ残業をしていても「彼はいつも遅くまでがんばっている」と180度違うんじゃないかという評価をしてしまうかもしれない。また、「あんたは能力不足」だとはなかなか言いにくいところがあるだろう。こういう時には割り切って、自分に仕事が無ければさっさと帰るようにすればかなり残業は減るものと思う。

 もちろん、上が無茶なノルマを押し付けてくるような場合もあるだろうが、こういった労働者側の問題も、日本で生産性が低い理由の一つであることは間違いないだろう。そんな風土が職場にあると、いくら上から働き改革なんて言ってもうまくいくわけはない。

 そういった意味で次の主張には賛成だ。

<働く時間数で評価される時代は終わりました。歳をとれば自動的に給与が上がる仕組みも有名無実化し、深夜残業をしても成果が出なければ、効率の悪い社員というレッテルが貼られます。汗をかいていることをアピールしても評価されません。>(p43)

 出来の悪い管理職や経営者はよく「汗をかけ」というが、私など「汗をかいても臭いだけだと思う」。同じかくなら体でなく頭に汗をかけといいたい。

 また、なぜこんなことをやっているのか摩訶不思議なのだが、前例踏襲でやっているような仕事も結構あるのではないだろうか。

 一例を挙げると、私が現役会社員の時に、業務替えで、そんなものが回ってきた。データを役員向けに整備する仕事だが、やるのに数日程度かかっていた。しかし、実際に利用状況を調査すると、まったく使われていないことが判明したのだ。当時の上司と相談してきっぱり止めたのだが、どこからもクレームはつかなかった。

 こういったものを一つ一つつぶしていくだけでも大分身軽になると思う。くだらない仕事を削り余った時間を本質的なものに向ける。これこそが本来の働き方改革だろう。

☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。
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書評:日本のダム美:近代化を支えた石積み堰堤

2018-12-25 12:51:35 | 書評:学術教養(科学・工学)
日本のダム美:近代化を支えた石積み堰堤 (シリーズ・ニッポン再発見)
クリエーター情報なし
ミネルヴァ書房

・川崎秀明

 発電工学に関する科目を学ぶと水力発電に関するところで、ダムに関しても一通り勉強する。ダムの種類は、色々な観点から分類することができるが、重力ダム、アーチダム、バットレスダム、アースダム、ロックフィルダムなどがある。

 本書は、石積み堰堤という切り口から見たダムの魅力を一冊に纏めたものだ。石積み堰堤というのは、分類すれば重力ダムの一種なのだが、外側に石を積んで、目地をモルタルで固め、その内部には、礎石を置いた後にコンクリートやモルタルを流し込んだものである。

 要するにコンクリート重力ダムの一種であるが、日本では明治期に作られるようになり、戦後まもなくまで作られたものである。今は、外面もコンクリートとすることが一般的だ。なお、重力ダムというのは自重でダムを支えるものである。

 本書は、シリーズ・ニッポン再発見の一冊であり、石積み堰堤の歴史や使われた技術、実際の石積み堰堤の紹介などを纏めたものだ。本書を読むと石積み堰堤というのが治水、利水などの実用的なものというだけではなく、一種の文化財ということがよく分かる。

 私自身はアーチダムの形が美しいので好きだが、本書を読んで石積み堰堤というのもなかなかいい雰囲気を出していると思う。時代が古いためか、あまり聞いたことのないようなダムが多い。私の住んでいる中国地方でも帝釈川ダムくらいしか名前を聞いたことがあるものがないのは意外だった。

 最近はダムカードというものがある。本書をきっかけに色々なダムを訪れて集めてみるのも楽しいかもしれない。また、実物に興味があれば、本書を参考に実際に見に行って見るのもいいだろう。さらに、専門用語の解説が付いているため、本書を読み込めば誰でもいっぱしのダム通になれるものと思う。ダムファンには必読の一冊。

☆☆☆☆☆

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書評:黄色の扉は永遠の階

2018-12-20 10:06:23 | 書評:小説(SF/ファンタジー)
黄色の扉は永遠の階 (第三の夢の書)
クリエーター情報なし
東京創元社

・ケルスティン・ギア、(訳)遠山明子

 「紅玉は終わりにして始まり」の著者の新シリーズ第三弾にして完結編。この作品では、登場人物たちは、現実世界だけでなく、「夢」の世界でも繋がっている。そしてある条件を満たせば、人物を現実世界で操ることが可能なのである。

 他人を自分の思う通りに操り、破滅させるアーサー・ハミルトン。彼と戦うのはリヴ・ジルバーとその彼氏であるヘンリーそしてリヴの妹のミアとリヴの母親の結婚相手の息子であるグレイソンたち。アーサーは、グレイソンを操って、リヴを殺させようとする。果たして、リズたちはこの企みを阻止できるのか。

 ところでリヴは、ヘンリーに自分は経験者だと見栄を張るのだが、実は未経験。苦し紛れに名前を挙げたのが、自分が飼っていた犬。このようなラブコメ感もなかなか楽しい。しかしこの物語の本筋は、夢の世界を悪用しようとするアーサーをどうやってやっつけるのかというものだ。その方法も夢の世界ならではのものだろう。

 前巻から引き継いだ謎。学校裏掲示板のような、シークレシーのブログの管理者は誰かというものなのだが、ついに意外な正体が明らかになる。これには、ミアの名探偵ぶりが光り、なかなかいい味を出している。それほど深い内容がある訳ではないが、軽めのエンターテイメントとしては楽しめるだろう。

 最後に余談になるが、本筋とは関係ないものの、一か所気になる部分を見つけた。

<それによると<真実の影の道を歩むもの>は、一九九九年の大晦日、世紀の変わり目に・・・>(p221)

 20世紀は2000年までで、2001年から21世紀になるので、世紀の変わり目は2000年の大晦日になるはずなんだがなあ・・・。

☆☆☆

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書評:思考を鍛えるメモ力

2018-12-18 20:52:54 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
思考を鍛えるメモ力 (ちくま新書)
クリエーター情報なし
筑摩書房

・斎藤孝

 本書は「三色ボールペン」で有名な著者が、メモを取ることの効用や、メモの取り方について述べたものだ。

 まずメモを取ることにはいろいろな効用がある。本書で述べられているのは、忘却防止、伝達の行き違いや漏れの防止、考えの整理、要約力やコミュニケーション力などの能力向上など。

 本書では、まずメモを取ることの効用について述べたあと、メモ初級者から上級者や達人に至るまでの方法が述べられている。キーワードは「守りのメモ力」から「攻めのメモ力」へ。

 確かに、メモを取らずに頭の中だけで考えようとしても、いろいろと取り落としが多いのは事実だ。また頭にふと浮かんだアイディアなどを直ぐにメモしないと、ちょっと時間が経つと忘れてしまうだろう。メモを取ることは色々な場面で欠かせないのである。最近は面倒くさいのであまりメモを取らないようになったが、やはり頭の柔軟さを保持するためにはメモは必須なのだろう。反省、反省。

 また本書には、「本にメモを書き込んで読書ノートにする」ということで、メモを書き込んだ著者の本が紹介されている。(pp073-075)私も結構書き込みはする方だが、これだけ見開き2頁の中に書き込むと、かえって何を書いたか忘れてしまいそうな気がする。それよりは章末に要約でも書いた方が役に立つと思うのだが。

 もちろん本書にあることが絶対ではない。本書を参考に、各自が工夫して自分なりのメモの取り方を確立すればいいと思う。少なくとも、まったくメモを取らないよりはましだろう。

☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

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書評:倭の五王 - 王位継承と五世紀の東アジア

2018-12-16 10:48:15 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
倭の五王 - 王位継承と五世紀の東アジア (中公新書)
クリエーター情報なし
中央公論新社

・河内 春人

 倭の五王とは、中国の歴史書に現れる日本の王のことだ。中国の歴史書には、讃、珍、済、興、武とあるこの5人が、果たして日本の古代天皇の誰に当たるかは謎が多い。讃が仁徳天皇、珍が反正天皇、済が允恭天皇、興が安康天皇、武が雄略天皇だというのが代表的な説だが、異論も多い。済、興、武についてはほぼ定まっているというのが定説だが、これとて決定的なものはない。

 本書は、中国の歴史書に見える倭の五王について解説したものだ。従来の定説にも異を唱える意欲的なものである。例えば、武を雄略天皇(ワカタケル)とした従来の説にも色々と根拠を示したうえで、疑義を呈している。

<武とワカタケル、471年前後の王の問題は今後の課題として残される。>(p205)

 しかし、残念なことに、倭の五王が日本の古代天皇の誰に当たるのかということについては、あまり踏み込んではいない。

<天皇系譜は五世紀以来、政治的変動や歴史書の編纂のなかで追加や削除が繰り返されてきたものものである。それをふまえずに誰に当てはまるかを議論しても、それは実りのある結論を生み出すことはない。倭の五王は、記・紀に拘泥せずにひとまずそれを切り離して五世紀の歴史を組み立ててみる作業が必要なのであり、本書はそのための露払いである。>(p206)

 これは研究者としては明確な証拠がない限り、深入りはできないということだろうが、読者の立場からは少し物足りないかもしれない。

 歴史の定説というのは、よくひっくり返る。例えば鎌倉幕府の成立年だ。私たちが高校で日本史を履修した時には1192年ということになっており、「いいくにつくろう」という語呂合わせで覚えていた人も多いだろう。今は色々な説があるようだ。また、聖徳太子や足利尊氏の絵だとされていたものが、現在は異論ありとされている。

 歴史の真実は、作為的なものが入る文献的なものよりは、考古学的な成果に期待したい。しかし、これとて、モノが現在まで残っている必要がある。何と言っても大昔のことだ。残っている方が不思議なくらいである。ともあれ、学会の大ボスが言っうことが絶対だと、安易に迎合することのないようにしてほしい。

☆☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

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東名あおり運転一審判決に思う

2018-12-14 21:57:00 | オピニオン
 東名あおり運転に伴う事故で危険運転認定の第一審判決が出た。判決は懲役18年だそうだ。これはおそらく「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律」の第二条 「次に掲げる行為を行い、よって、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処する。」の第4項「人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為」を適用したのだろうが、色々と異論もあり、分かりにくい。

 判決は、事故に至った因果関係を重視したようだ。しかし、停車させるという行為に対しては、運転中とはいえないと検察側の主張を否定している。しかし、誰が考えても、高速道路においては、最低速度以下での運転は危険であり、それは高速道路上の停止も含まれるだろう。ただ、かなり苦しい解釈なのは確かだ。日本は罪刑法定主義の国で、あまり解釈に頼るのはよくない。

 私自身、この被告は「死刑」にしても問題ないと思うのだが、法の不備ということは否めないだろう。迅速に法を改正して、あおり運転をしただけで、20年は塀の中に閉じ込めてもいいと思うのだが。

 それにしてもどうして求刑通り懲役23年にしなかったのかな。よく判決は求刑の8掛けというのが相場だと聞くが、ちょうど求刑の8掛けくらいの判決だ。こんなところで相場感を出さなくてもいいと思うのだが。
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書評:周五郎少年文庫 殺人仮装行列: 探偵小説集

2018-12-14 09:13:51 | 書評:小説(ミステリー・ホラー)
周五郎少年文庫 殺人仮装行列: 探偵小説集 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社

・山本周五郎

 山本周五郎と言えば、私には、「樅ノ木は残った」などの時代小説の大家という認識だった。実は、今まで彼の作品を読んだことがなかったのだが、まさか少年向きのミステリーを書いていようとは。

 本書は、著者が戦前に少年少女向けに発表した短編を18編収録したものだ。だから発表された当時の時代というものを感じてしまう。総じてレトロな感じなのだ。文体だけでなく、独逸(ドイツ)、仏蘭西(フランス)、加奈陀(カナダ)、桑港(サンフランシスコ)と国名や地名が漢字表記にルビがふってある。

 また、いわゆる横文字の表記が、今ならストレート、チューインガム、ヘンリーと書くものが、それぞれ、ストレイト、チュウインガム、ヘンリイとなっているのだ。金剛石と書いてダイヤモンドとルビを振るのは当たり前。手皮包と書いてハンドバッグとなっているのはなるほどと思った。しかし、材料が皮以外だったらどうするんだろうと、ふと思ったのは余談。

 登場人物の名前もなんともレトロだ。何しろ「〇〇吉」という登場人物が多い。例えば、名探偵の名前が「三吉」なのだ。私の親族、親戚にも、戦前生まれの者に、「〇〇吉」という名前の人はいないのだが。おまけに新聞記者が普通に拳銃ぶっ放しているし。戦前は銃規制が今よりずっと緩やかだったのだろうか。

 最後に一つ突っ込んでおきたい。「覆面の歌姫」という作品だ。覆面をした歌姫が世間の話題になっているのだが、その歌姫を評して「姿も稀に見るほど綺麗である。」(p128)とあるが、覆面をしているのに、どうして綺麗だということが分かるのだろう。ルビはマスクとふってあるのだが、仮面じゃなくって覆面だよ。なんだか笑える場面しか想像できないのだが。

☆☆☆

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書評:余計なことはやめなさい!: ガトーショコラだけで年商3億円を実現するシェフのスゴイやり方

2018-12-12 10:32:18 | 書評:ビジネス
余計なことはやめなさい!: ガトーショコラだけで年商3億円を実現するシェフのスゴイやり方 (単行本)
クリエーター情報なし
集英社

・氏家健治

 本書は新宿御苑前でケンズカフェ東京というガトーショコラの専門店を経営している著者がこれまで行ってきた経営について纏めたものだ

 ケンズカフェ東京は、元々イタリアンレストランで著者はそのオーナーシェフだった。しかし利益は出ず、自分の貯金も使い果たし倒産寸前だったという。それが、余計なことをやめたことで、収益が大幅にアップしたという。

 それでは著者は何をやめたのか。まず夜の時間帯は宴会に特化して、予約が入らない時は営業をやめた。そして次第に、ガトーショコラに力点を移していった。最後は、ランチや喫茶、宴会をやめて、ガトーショコラ一本に絞ったのである。ネット通販もやっていたが、これもクレーマー対応など手間ばかりかかるのでやめてしまった。

 著者は、色々なことをやめていった結果、様々ないいことがあったという。例えば、一つの商品しか扱わないため、商品を磨き上げられるし、データ分析も容易、廃棄ロスや販売機会ロスをなくせる。製造工程がインプルになる。またネット販売をやめて高値で販売しているため、客筋が良くなったという。

 著者の戦略を一言で表せば、ガトーショコラに経営を特化するというものだろう。本書でも触れているが、マーケティングの4Pのうち3つのP、すなわちPlace(流通)、Product(商品)、Price(価格)を徹底的に絞ったものだ。そして最後に残っPであるPromotionn(宣伝)には徹底的に力を入れる。

 ただし、これは東京などの大都会でのみ成り立つ戦略だということは指摘しておきたい。例えば、地方の万事屋(よろずや:今でもあるのか?)のようなところで、一つの商品に特化したら客が怒り出すと思うし、まずそれだけで経営が成り立つだけの需要があるとは思えない。

 大都会のように他に必要なものを売る店がいくらでもあるようなところでは有効だろうが、どこででも成り立つわけではない。だから地方でうっかり真似をすると大失敗することだろう。ただ、それぞれが置かれている環境の中で、色々な戦略を考えることは有効だろうと思う。本書にはそのための知恵が詰まっているように思える。

☆☆☆

※初出は、「風竜胆の書評」です。

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書評:じみけも マヌルネコ

2018-12-10 10:35:03 | 書評:その他
じみけも マヌルネコ (ハーパーコリンズ・ノンフィクション)
クリエーター情報なし
ハーパーコリンズ・ ジャパン

・ジミケモイインカイ

 本書は地味で可愛い獣を紹介しようとして発売された「じみけも」シリーズの一冊である。クオッカやナマケモノを紹介した本といっしょに発売された。

 本書の主人公であるマヌルネコは、一見普通のそのへんにいる家ネコのように見えるが、立派な野生動物だ。普通のネコよりはずんぐりした感じだが、そこが可愛い。マヌルというのはモンゴル語で、「小さなヤマネコ」を表すようだ。住んでいるのは主にシベリア南部からチベット、アフガニスタンらしい。

 マヌルネコという動物がいることは本書を読むまで知らなかったが、その表情やしぐさに、猫好きの自分としては、いっぺんで魅了された。その表情の豊かさは見ていて飽きない。これはマヌルネコの瞳孔が、普通のネコとは違い、丸く収縮するという性質によるようだ。

 瞳が小さくなっている時は、こちらを睨んでいるようで、威圧感があり、やっぱり野生の動物だと実感するし、大きくなっている時は、真ん丸お目目でなんとも可愛い。ついているキャプションもなんともユーモラスで、写真によく合っている。

 本書を一読すれば、きっとあなたもマヌルヤマネコに魅了されることだろう。

☆☆☆☆☆
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