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伊勢神宮のルーツ? 愛知県一宮市にある今伊勢駅近くの酒見神社!

2013-01-07 23:02:43 | その他
今年の伊勢神宮は、式年遷宮という大きな行事のある年です。原則として20年ごとに、内外両宮の正宮の正殿を始めとする別宮以下の諸神社の正殿を造替して神座を遷し、宝殿、外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎といった全社殿を造替する他、装束・神宝、宇治橋等も造り替える伝統行事です。記録によれば、飛鳥時代の天武天皇が定め、持統天皇4年(690年)に第1回が行われました。その後、戦国時代の120年以上に及ぶ中断や幾度かの延期などはあったものの、平成5年(1993年)の第61回式年遷宮まで、およそ1300年間行われています。そして平成17年から第62回式年遷宮の各行事が進行中で、同25年(2013年)には正遷宮(神体の渡御)が予定されています。

それに因んで元伊勢から今の伊勢神宮になるまでの話を書きます。天照大神の御霊代を祀る地を求めて旅をしていた倭姫命は、垂仁天皇14年、美濃国伊久良河宮(現岐阜県瑞穂市居倉天神神社と伝えられる)から尾張の神戸(神戸とは神領地と言う意味)であった当地今伊勢にしばらく滞在(3か月ほど)し、神体を宮山に祀ったそうです。その後、地元の人々によって社殿が作られたのが酒見神社の始まりであると伝えられています。そしてここは元伊勢の一つなのです。元伊勢とは、三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮内外両宮が、現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所のことを言います。

社伝によれば、その時の酒見神社・社殿は全て丸い柱で造られ、草葺きの屋根で吹き抜けであったと言います。そして最終的に天照大神の御霊代を祭る地として選ばれたのが現在の伊勢神宮だったのです。だからここは途中で立ち寄った所で、紀元前15年のことだそうです。そのため神社の造りが伊勢神宮の造りとたいへん良く似ているそうで、鳥居も元社のものは多くがここと同じ形式の鳥居が用いられているそうです。だから伊勢神宮のルーツではとも言われているところです。

そして酒見神社がある本神戸は伊勢神宮直轄の土地だったそうで、番地を見ると今伊勢町本神戸字宮山と言いますが、文字を抜き出すと伊勢神宮となります。ちょっと不思議でしょう。ちなみに、今伊勢は新しい伊勢という事で明治に合併してできた町名だそうです。そして斉衡3年(856年)、文徳天皇の勅命により伊勢神宮から、大邑刃自・小邑刃自の2名の酒造師がこの地に派遣され、伊勢神宮にお供えする御神酒を造ったと伝えられる。このことから、清酒の醸造が最初に行われた所と言われていて、「酒見」の社名もこれに因むもだと言います。

酒見神社は、愛知県一宮市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。倭姫命が滞在した「中嶋宮」の跡とされ、元伊勢の一つとなっています。鎮座地を求めた理由として、伊勢内宮の祭神である天照大御神は皇祖神ですが、崇神天皇の時代までは天皇と「同床共殿」であったと伝えられ、つまり皇居内に祀られていたのですが、その状態を畏怖した同天皇が皇女である豊鋤入姫命にその神霊を託して倭国笠縫邑に移したのに始まり、更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし、垂仁天皇の第4皇女倭姫命がこれを引き継いで、およそ90年をかけて現在地に遷座したと伝わっています。だから元伊勢と言う立ち寄った地が存在し、その中の一つでもあります。

酒見神社は一宮市にある今伊勢駅の近くにあり、天照皇大御神のほか、酒造の神である酒弥豆男神・酒弥豆女神を祀り、本殿の裏に倭姫社があり、倭姫命が祀られています。この社殿は北向きとなっており、伊勢神宮のある南の方向に向かって拝礼する形になっていますが、一般的には南向きであるため大変珍しい造りになっています。また、本殿の裏にある倭姫社は、壁が無い吹き抜け構造の社殿です。黒酒、白酒を納めたといわれる大甕(鎌倉時代作という)が社殿のそばにあり、社殿の前には酒を造るのに用いたという酒槽石があるそうです。禁足地である拝殿の奥には霊水「栄水の井」があり、酒瓶もあるそうですが、ご神宝なので掘り出して調べることもできないそうです。

お伊勢参りと言ってみなさん、よく行かれると思いますが、こうした事を知っているとまた違った面白味があると思います。

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