Ko to tamo peva
第二次世界大戦のドイツ・イタリア連合軍のユーゴスラビア進行時の時のお話らしい。ジプシーに国境は無いのかな。
第二次世界大戦のドイツ・イタリア連合軍のユーゴスラビア進行時の時のお話らしい。ジプシーに国境は無いのかな。
合田が『アカ』のレッテルを貼られたのは、昭和五十九年に遡る。巡査部長に昇任して、警察大学校で所定の教練を受けるために合宿していたある日、教官に呼び出されて、妻の貴代子に原発反対運動から手を引かせるか、君が警察を辞めるかどちらかだぞと言われた。合田は当初、貴代子がそんな運動に関わっている事さえ知らず、仕事に追われてほとんど家に帰らなかった自責の念や、個人生活にまで張りめぐらされた警察組織の監視網への疑心暗鬼をつのらせながら、ただうろたえたものだった。
貴代子は、双子の兄祐介と理想主義の骨を分かちあって生まれてきたような女だったが、その頭脳は兄以上に浮世離れしており、当時は東大理学部の研究室で量子論の博士論文を準備していた時期だった。そういう頭脳には、原発反対が警察のレベルでは反体制と一緒だということが理解できず、片や合田の方は商業用原子炉の技術論には半分もついていけず、話し合う事自体が、夫婦の根本的な価値観の差異を広げていくという結果になった。本当の問題は原子炉の当否などではなく、夫婦の心のありようにあることは、双方が知っていたのにもかかわらず、どちらもがそこに踏み込むのを恐れ、迂回し、問題をすり替えたのだ。
後に判明したことを含めて振り返れば、貴代子本人は原発反対運動に関わった事実はなく、同じ理学部にいたある助教授が、なにがしかの科学的見地から革新系労働団体の主催する運動に関していたとかで、少しずつ分かってきたことの真相は、端的にその某研究者との不倫であった。警察大学校の教官の脅しは言葉を選びかねたのすえものだったとも言え、合田は二重の意味で、僅かばかりの立場も面子も打ち砕かれた格好だった。
私生活に差し込んできた見えない手は、それが国家権力という特殊な幻想だと分かっていても、個人の生理や身体に或る嫌悪と恐怖を植えつける。…最終的に妻より警察を取った自分の言う人間への憎悪や自嘲を『アカ』という言葉を突きつけられる不快も、結局のところ、快感と紙一重の隠微さなのであり、たとえば加納祐介もそれを知っているから沈黙するのだ。
マークスの山より 高村薫著
はなのバトンみちばたに咲くはなは、少しの土で生きている ひとむかし前は草むらだったその場所に そして春、梅雨どきと花が咲く ぼくは、まだ雑草を見始めて半年もたっていない 春のナズナとイヌフグリ、セイヨウタンポポ、カントウタンポ たくましいノゲシ うるさいハルシオン 春の終わりに咲き狂うオレンジのナガミヒナゲシ 領土を広げるセイタカアワダチソウ 3月に散った、公園のバラが春に咲き出した 生垣のツツジが咲き、アジサイの色が変わり始めると ドクダミとヒルガオが咲いている それが今 今日も雨 一年草は、毎年ひからびて種を弾く 来年はどうしている? なにが良いかなんて 分からないし どこに行けばいいのかも分からない 二度と歩かないあの坂道 かすかな恵みにすがって 生きてゆく そうしたら また会えるよな |