かぶとん 江戸・東京の歴史散歩&池上本門寺

池上本門寺をベースに江戸の歴史・文化の学びと都内散策をしています。

池上本門寺・お会式 10月13日の法要

2010-10-15 | 池上本門寺

お会式・万灯練供養の翌日。
10月13日 朝7時から。
宗祖御入滅(第729遠忌)御正当法要(特別説教・臨滅度時法要)
はじめて参拝し、最後列で法要に聞き入りました。
山堂に満員の参列者のなか、山主の説教、読経、その厳かな空気に、内心、胸にせまるものがありました。そして8時頃、日蓮聖人のご入滅を告げる鐘「臨滅度時の鐘」が鳴ると、その場は最高潮。感極まるとは、こういうことか、と思う。ともかく、感動!、ではありました。








一言。
随分、熱心な人だと受け止めてる方もいるかもしれませんが、
実際は、全くたいしたことありません。
江戸検定と、ブログを始めた流れのなかでのことです。



池上本門寺・お会式 万灯練供養 2

2010-10-13 | 池上本門寺
未整理の状態ですが、ともかく投稿!!

池上本門寺の境内。万灯がまもなく到着か。
























境内の熱気に疲れた。警備の人(誰とは言わないが)の誘導マイクにも疲れる。一方通行、逆戻りノー。そのまま従うととんでもない大回りをさせられる。「猫道」(そんな言葉ある? 簡単にいえば、ちょっと暗いのが難点だが墓地内の通路)を通って、池上通りへ戻る。





どこの万灯講中とはいわないが(よーく目をこらせばわかる)、リズミカルかつ迫力ある鉦・太鼓に横笛、内心びっくり。若々しい女性群の華やかさ! 相当な準備をしてここに来ている、と思った。


万灯行列は、まだ中盤にもきてないか。ずっと歩き回りで疲れた。今夜はここまで。
(追記)
デジカメ動画、1回につき50~100MBの容量使用。公開する術(すべ)を知らない。ブログ、動画、きちんと学ばないとダメだな。



池上本門寺・お会式 万灯練供養

2010-10-13 | 池上本門寺
10月12日(火) 池上本門寺でのお会式 「万灯練供養」がありました。
当日は、昼間と夕方から夜にかけて、二度、池上本門寺へ。
池上通り、池上駅周辺を含めて写真、撮りまくりでした。
とりあえず紹介します。(最前半。6時前から6時半頃。)



















万灯が此経難持坂を上るのはこれから。


参内前に、理鏡院へ立ち寄っている万灯講中。


「大堂」前、三門辺りの境内。万灯の到着を待っています。



お会式前日の池上本門寺

2010-10-11 | 池上本門寺




霊山橋から総門、此経難持坂を望む。「御會式」の立札が見える。




正面 「南無妙法蓮華経備南無高祖日蓮大菩薩第七百廿九遠忌報恩謝徳」
側面 「南無釋迦牟尼佛 斯人行世間 能滅衆生闇」




大堂(祖師堂)


霊宝殿




霊宝殿、参観。
『古写真集 撮された戦前の本門寺』 購入。


日樹五輪塔


10月11日(月・祝)~13日(水) お会式
10月12日(水)夜6時から11時頃 万灯練供養(まんどうねりくよう)


 

「江戸時代の仙台藩上屋敷跡」 汐留遺跡

2010-10-06 | 都内散策・江戸検定
江戸東京博物館の3階、屋外広場「発掘された汐留遺跡」の表示板を見て、
汐留シオサイト、寄りつかないでいるのを思い出した。(変な表現。)
都営大江戸線からJR新橋に乗り換える時、すこし回り道をしてデジカメで撮った。







 「江戸時代の仙台藩上屋敷跡」
 ここは、汐留遺跡の発掘調査によって、仙台藩上屋敷跡であることが確認された場所である。
 江戸時代、全国の大名は江戸に藩主や家臣団が住む藩邸を設けており、初代仙台藩主伊達政宗の時代には、外桜田(日比谷公園)や愛宕下(新橋五・六丁目)などに屋敷があった。この地には、寛永十八年(一六四一)、下屋敷が設けられ、延宝四年(一六七六)には上屋敷となり、以後幕末まで仙台藩の江戸における拠点となった。
 屋敷の東北部から汐留川(仙台川ともいう)に接するかたちで大きな舟入場が発見されている。下屋敷時代は、藩の物資の集積場・倉庫の役割を担っていたので多くの物資の出入りがあったと考えられる。
                                                仙台市
                                                日本テレビ
                               (案内板の文章のまま。ふり仮名なし。)