箱館の歴史 略年表
箱館開港の前後から箱館戦争まで、そして函館へ
1853 嘉永6.6.3 ペリー、浦賀へ来航。
1853 嘉永6.6.9 ペリー、久里浜に上陸。
1853 嘉永6.7.18 ロシア使節プチャーチン(1)、長崎へ来航。
1854 嘉永7.1.16 ペリー、浦賀へ再来航。
1854 嘉永7.3.3 幕府、日米和親条約を調印。下田・箱館の開港。
1854 嘉永7.4.26 〇ペリー、箱館へ来航。
1854 嘉永7.8.30 〇プチャーチン、箱館へ来航。
1854 嘉永7.10.14 プチャーチン、下田に入港。(~1855 安政2.3.18 滞在)
1854 嘉永7.11.4 安政東海地震発生。(駿河・遠江ほか)M8.4 死者1万人余。
ロシアのディアナ号、津波で破損。のち沈没。
1854 安政1.12.21 日露和親条約を調印。(下田)
1855 安政2.2.22 〇幕府、箱館を松前藩から上知。箱館奉行を置く。
1855 安政2.10.2 安政の大地震発生。M7.0~7.1
1855 安政2.10.14 幕府、蝦夷地移住を許可し、開拓を命じる。
1856 安政3.7.21 アメリカ駐日総領事ハリス、下田に来航。
1857 安政4.4 〇アメリカ人ライス、箱館上陸。(蝦夷地初の外交官)
1857 安政4.6 〇五稜郭の工事着工。
1858 安政5.6.19 日米修好通商条約を調印。
1858 安政5.7 日蘭・日露・日英・日仏と修好通商条約を調印(安政の5か国条約)
1858 安政5.9 〇初代ロシア領事ゴシケーヴィチ(2)一行、箱館着任。
領事館は実行寺。
1859 安政6.6.2 〇神奈川(のち横浜)・長崎・箱館、開港。
(開港記念日、西暦7月1日)
慶応3年 兵庫開港。明治元年 新潟開港。
1859 安政6 〇イギリス領事ホジソン箱館着任。フランス領事兼任。
(称名寺止宿)
〇箱館 木津幸吉、仕立屋開業(のち蝦夷地初の営業写真師)
1859 安政7.1.13 勝海舟ら咸臨丸でアメリカに向かう。
1860 安政7.3.3 大老井伊直弼、暗殺さる。(桜田門外の変)
1860 万延1 〇ロシア領事館 元町の現ハリストス正教会敷地内に建てる。
1861 文久1.6.2 〇ニコライ、ロシア箱館領事館付司祭として来日。
1862 文久2 横浜 下岡蓮杖、写真館を開設。
1863 文久3 〇イギリス領事館完成。
1864 元治1.6 〇五稜郭で箱館奉行が業務開始。(工事は1866年まで)
1865 慶応1.10 〇蝦夷地 英人によるアイヌ墳墓発掘事件の発生。
1866 慶応2.12.5 京都 徳川慶喜、第15代将軍宣下。
1866 慶応2.12.25 京都 孝明天皇崩御(36)
1866 慶応2. 〇箱館 木津幸吉、写真館を開業。
1867 慶応3.9.23 京都 明治天皇即位
1867 慶応3.10.14 徳川慶喜、大政奉還。
1867 慶応3.12.9 王政復古の大号令。
1868 慶応4.1.3 鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争始まる)。
1868 慶応4.3.14 「五箇条の御誓文」公布。
1868 慶応4.4.11 江戸城の無血開城
1868 慶応4.閏4 〇新政府、箱館府設置。清水谷公考府知事就任。
1868 慶応4.5.15 上野彰義隊の壊滅(上野戦争)
1868 慶応4. 8 会津若松城の篭城戦(会津戦争)
1868 明治1.9.8 明治に改元。
1868 明治1.9.22 会津藩降伏。(9.15 仙台藩降伏、9.27 庄内藩降伏)
1868 明治1.10.12 旧幕府軍の艦隊、仙台を出航。
1868 明治1.10.22 〇旧幕府軍と新政府軍、箱館で戦闘。
10.25 〇新政府・箱館府(清水谷公考)五稜郭の放棄。
10.26 〇旧幕府軍、五稜郭に無血入城。占領。
11. 〇旧幕府軍、新政府軍(旧・松前藩)の松前城・館城を陥とす。
11.22 〇旧幕府軍、蝦夷平定。
12.15 〇旧幕府軍、箱館政権の樹立。(総裁・榎本武揚)
1869 明治2.1.3 旧幕府軍に対する追討令が下る。
3.28 東京遷都。
4.9 〇新政府軍(海陸軍参謀・山田顕義) 乙部に上陸。江刺奪還。
5.11 〇新政府軍、箱館総攻撃。
5.12 〇新政府軍、五稜郭を砲撃。
5.18 〇五稜郭の開城。旧幕府軍、榎本武揚ら降伏。戊辰戦争終る。
1869 明治2. 開拓使庁の設置(芝・増上寺)。(北海道と樺太、千島を管轄)
蝦夷地を北海道と改称する。松浦武四郎の提案。
〇箱館は函館となる。開拓使出張所を設置する。
参考 HP 『五稜郭・箱館戦争・箱館 年表』
HP 『函館日ロ交流史研究会』 函館・ロシア略年表
箱館戦争-Wikipedia
『見る・読む・調べる 江戸時代年表』 小学館
高田屋嘉兵衛・外国領事館・箱館戦争、所縁の寺院
浄土宗 称名寺 函館市船見町


箱館開港・幕末時は富岡町(現・弥生町 弥生小学校)に在った。
開港当初はイギリスとフランスの領事館として利用された。
境内に河野政通の供養碑、高田屋嘉兵衛の顕彰碑、土方歳三と新撰組隊士の供養碑がある。
墓地には高田屋一族の墓、日魯漁業創立者の堤清六の碑がある。
日蓮宗 実行寺

箱館開港・幕末時は富岡町(現・弥生町)に在った。
安政元年(1854) ペリー来航時、実行寺に写真スタジオが設けられた。
安政2年(1855) フランス軍艦の入港時に、疾病水兵の養生所となる。
同年、ロシア領事着任当初の領事館。
曹洞宗 高龍寺

箱館開港・幕末時は弁天町(現 入舟町)に在った。
開港当初、実行寺とともにロシア領事館一行の止宿所となる。
明治2年(1869)の箱館戦争時には箱館病院の分院となる。。
蠣崎波響(松前藩家老・画家)の『釈迦涅槃図』を所蔵。

横山松三郎
1838(天保9)年-1884(明治17)年 幕末・明治初期の写真師。洋画家。
択捉生まれ。函館移住。北洋漁場を開いた高田屋とは親類。
上記の寺院は、いづれも明治(1879)12年の函館大火の後、現在地に移転した。
(各寺院の説明文は、どれも案内板からの参考・抜粋です。)
注
(1) 〇 プチャーチン (エフィム・ワシリエビッチ・プチャーチン)
1803.11.8(11.20)-1883.10.16(10.28)
ロシア(ロマノフ朝)海軍軍人、政治家、文部大臣(1861)。
1853年、遣日全権使節として日露和親条約を締結。
1858年、日露修好通商条約を締結。
のち伯爵(1859)。海軍大将・元帥。勲一等旭日章(日本)(1881・明治14)
(2) 〇 ゴシケーヴィチ (ヨシフ・アントノヴィチ・ゴシケーヴィチ)
(ゴシケーヴィッチ、ゴシケービッチ、ゴスケビッチとも)
1814-1875.10.5
ロシアの初代駐日領事(在箱館)。外交官、東洋研究家。
1858年10月から1865年4月まで在任。
日露辞典『和露通言比考』(1857)
『日本語の起源について』
参考 エフィム・プチャーチン‐Wikipedia
ヨシフ・ゴシケーヴィチ‐Wikipedia
箱館開港の前後から箱館戦争まで、そして函館へ
1853 嘉永6.6.3 ペリー、浦賀へ来航。
1853 嘉永6.6.9 ペリー、久里浜に上陸。
1853 嘉永6.7.18 ロシア使節プチャーチン(1)、長崎へ来航。
1854 嘉永7.1.16 ペリー、浦賀へ再来航。
1854 嘉永7.3.3 幕府、日米和親条約を調印。下田・箱館の開港。
1854 嘉永7.4.26 〇ペリー、箱館へ来航。
1854 嘉永7.8.30 〇プチャーチン、箱館へ来航。
1854 嘉永7.10.14 プチャーチン、下田に入港。(~1855 安政2.3.18 滞在)
1854 嘉永7.11.4 安政東海地震発生。(駿河・遠江ほか)M8.4 死者1万人余。
ロシアのディアナ号、津波で破損。のち沈没。
1854 安政1.12.21 日露和親条約を調印。(下田)
1855 安政2.2.22 〇幕府、箱館を松前藩から上知。箱館奉行を置く。
1855 安政2.10.2 安政の大地震発生。M7.0~7.1
1855 安政2.10.14 幕府、蝦夷地移住を許可し、開拓を命じる。
1856 安政3.7.21 アメリカ駐日総領事ハリス、下田に来航。
1857 安政4.4 〇アメリカ人ライス、箱館上陸。(蝦夷地初の外交官)
1857 安政4.6 〇五稜郭の工事着工。
1858 安政5.6.19 日米修好通商条約を調印。
1858 安政5.7 日蘭・日露・日英・日仏と修好通商条約を調印(安政の5か国条約)
1858 安政5.9 〇初代ロシア領事ゴシケーヴィチ(2)一行、箱館着任。
領事館は実行寺。
1859 安政6.6.2 〇神奈川(のち横浜)・長崎・箱館、開港。
(開港記念日、西暦7月1日)
慶応3年 兵庫開港。明治元年 新潟開港。
1859 安政6 〇イギリス領事ホジソン箱館着任。フランス領事兼任。
(称名寺止宿)
〇箱館 木津幸吉、仕立屋開業(のち蝦夷地初の営業写真師)
1859 安政7.1.13 勝海舟ら咸臨丸でアメリカに向かう。
1860 安政7.3.3 大老井伊直弼、暗殺さる。(桜田門外の変)
1860 万延1 〇ロシア領事館 元町の現ハリストス正教会敷地内に建てる。
1861 文久1.6.2 〇ニコライ、ロシア箱館領事館付司祭として来日。
1862 文久2 横浜 下岡蓮杖、写真館を開設。
1863 文久3 〇イギリス領事館完成。
1864 元治1.6 〇五稜郭で箱館奉行が業務開始。(工事は1866年まで)
1865 慶応1.10 〇蝦夷地 英人によるアイヌ墳墓発掘事件の発生。
1866 慶応2.12.5 京都 徳川慶喜、第15代将軍宣下。
1866 慶応2.12.25 京都 孝明天皇崩御(36)
1866 慶応2. 〇箱館 木津幸吉、写真館を開業。
1867 慶応3.9.23 京都 明治天皇即位
1867 慶応3.10.14 徳川慶喜、大政奉還。
1867 慶応3.12.9 王政復古の大号令。
1868 慶応4.1.3 鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争始まる)。
1868 慶応4.3.14 「五箇条の御誓文」公布。
1868 慶応4.4.11 江戸城の無血開城
1868 慶応4.閏4 〇新政府、箱館府設置。清水谷公考府知事就任。
1868 慶応4.5.15 上野彰義隊の壊滅(上野戦争)
1868 慶応4. 8 会津若松城の篭城戦(会津戦争)
1868 明治1.9.8 明治に改元。
1868 明治1.9.22 会津藩降伏。(9.15 仙台藩降伏、9.27 庄内藩降伏)
1868 明治1.10.12 旧幕府軍の艦隊、仙台を出航。
1868 明治1.10.22 〇旧幕府軍と新政府軍、箱館で戦闘。
10.25 〇新政府・箱館府(清水谷公考)五稜郭の放棄。
10.26 〇旧幕府軍、五稜郭に無血入城。占領。
11. 〇旧幕府軍、新政府軍(旧・松前藩)の松前城・館城を陥とす。
11.22 〇旧幕府軍、蝦夷平定。
12.15 〇旧幕府軍、箱館政権の樹立。(総裁・榎本武揚)
1869 明治2.1.3 旧幕府軍に対する追討令が下る。
3.28 東京遷都。
4.9 〇新政府軍(海陸軍参謀・山田顕義) 乙部に上陸。江刺奪還。
5.11 〇新政府軍、箱館総攻撃。
5.12 〇新政府軍、五稜郭を砲撃。
5.18 〇五稜郭の開城。旧幕府軍、榎本武揚ら降伏。戊辰戦争終る。
1869 明治2. 開拓使庁の設置(芝・増上寺)。(北海道と樺太、千島を管轄)
蝦夷地を北海道と改称する。松浦武四郎の提案。
〇箱館は函館となる。開拓使出張所を設置する。
参考 HP 『五稜郭・箱館戦争・箱館 年表』
HP 『函館日ロ交流史研究会』 函館・ロシア略年表
箱館戦争-Wikipedia
『見る・読む・調べる 江戸時代年表』 小学館
高田屋嘉兵衛・外国領事館・箱館戦争、所縁の寺院
浄土宗 称名寺 函館市船見町


箱館開港・幕末時は富岡町(現・弥生町 弥生小学校)に在った。
開港当初はイギリスとフランスの領事館として利用された。
境内に河野政通の供養碑、高田屋嘉兵衛の顕彰碑、土方歳三と新撰組隊士の供養碑がある。
墓地には高田屋一族の墓、日魯漁業創立者の堤清六の碑がある。
日蓮宗 実行寺

箱館開港・幕末時は富岡町(現・弥生町)に在った。
安政元年(1854) ペリー来航時、実行寺に写真スタジオが設けられた。
安政2年(1855) フランス軍艦の入港時に、疾病水兵の養生所となる。
同年、ロシア領事着任当初の領事館。
曹洞宗 高龍寺

箱館開港・幕末時は弁天町(現 入舟町)に在った。
開港当初、実行寺とともにロシア領事館一行の止宿所となる。
明治2年(1869)の箱館戦争時には箱館病院の分院となる。。
蠣崎波響(松前藩家老・画家)の『釈迦涅槃図』を所蔵。

横山松三郎
1838(天保9)年-1884(明治17)年 幕末・明治初期の写真師。洋画家。
択捉生まれ。函館移住。北洋漁場を開いた高田屋とは親類。
上記の寺院は、いづれも明治(1879)12年の函館大火の後、現在地に移転した。
(各寺院の説明文は、どれも案内板からの参考・抜粋です。)
注
(1) 〇 プチャーチン (エフィム・ワシリエビッチ・プチャーチン)
1803.11.8(11.20)-1883.10.16(10.28)
ロシア(ロマノフ朝)海軍軍人、政治家、文部大臣(1861)。
1853年、遣日全権使節として日露和親条約を締結。
1858年、日露修好通商条約を締結。
のち伯爵(1859)。海軍大将・元帥。勲一等旭日章(日本)(1881・明治14)
(2) 〇 ゴシケーヴィチ (ヨシフ・アントノヴィチ・ゴシケーヴィチ)
(ゴシケーヴィッチ、ゴシケービッチ、ゴスケビッチとも)
1814-1875.10.5
ロシアの初代駐日領事(在箱館)。外交官、東洋研究家。
1858年10月から1865年4月まで在任。
日露辞典『和露通言比考』(1857)
『日本語の起源について』
参考 エフィム・プチャーチン‐Wikipedia
ヨシフ・ゴシケーヴィチ‐Wikipedia