越後浦佐 毘沙門堂 別当・吉祥山多聞院 普光寺 (真言宗)
新潟県南魚沼市浦佐2495 JR浦佐駅・西口より徒歩5分
浦佐案内 毘沙門堂・普光寺
道すがら
山門(仁王門)
案内板 楼門の概説*
浦佐毘沙門堂
扁額 「夛聞天王」(多聞天)
不動明王(石像仏)と、うがい鉢
案内板 水行
扁額 「聖徳太子」
年中行事
〇越後浦佐毘沙門堂 裸押合大祭 毎年3月3日
『北越雪譜』 二編巻之一「浦佐の堂参(どうまいり)」(中見出しでは、「浦佐の堂押」)の項に、詳述。江戸後期における、厳冬の裸押合い祭りの様子が、熱気とともに伝わってくる。旧暦 正月三日。
楼門の概説*
此の山門は今から凡そ一七〇年前の天保二年(一八三一)当所の豪商関市四郎氏の造営寄進によるものである。日光の陽明門を型どり 総欅造りで雪国の豪雪にも耐え得る工法と金釘を用いることなく組立てられた建物として知られている。
楼上には毘沙門天二十八使者の彫像を奉安し十六羅漢壁画及び格天井天女の画は京都仏画師板谷桂舟の力作で何れも鮮やかな色彩が当時のまま遺されている。
楼下天井の双龍図(九龍)板絵は江戸時代の画聖谷文晁の傑作で殆んど現存しない文晁の板絵としても大へん価値あるものと言われており長い間毘沙門堂のシンボルとして多くの信者から崇められてきた。
ところが双龍図は最近老朽が進み全く確認できないような状態となってきたのでこの程屋根葺替工事を機に日本画家永森一郎氏の手により修復されたものである。
平成九年五月吉日
毘沙門堂 別当 普光寺