
柏崎 番神堂




日蓮聖人像 (番神堂の後方・番神岬の丘上)

番神岬からの日本海


御堂より柏崎の市街地を臨む




佐渡配流を赦された日蓮聖人は、佐渡を出て寺泊に向かう途中嵐にあい、流されてここ番神岬の岩場に着岸した。 文永11年(1274)3月


柏崎 番神堂 宗門史跡・日蓮聖人着岸の霊地
柏崎市番神2丁目
日蓮宗 本坊・妙行寺(柏崎市西本町1丁目)の境外御堂
現在の御堂は、明治4年(1871)の大火で焼失した後、7年の歳月をかけて明治10年(1877)に再建されたものである。当時の住職は31代新居日薩上人、32代水野日定上人。
新居日薩上人は、のち身延久遠寺73世、日蓮宗初代管長に就任する。明治19年(1886)、池上本門寺65世として瑞世。



この写真は、そしてここの場所は、結果として二つの意味がある所なんだけれど。
東京電力刈羽柏崎原子力発電所(遠方、後方に)
蓮池薫氏が北朝鮮の工作員に拉致された現場。
これらには、言及したくない。(関心はあるけれど、人と論じたくないです。)
メモ)
当事者ではなくとも、忘れてはならない。
新潟県中越沖地震 2007年(平成19年)7月16日 10時13分
新潟県中越地震 2004年(平成16年)10月23日 17時56分
余談)
これが一番関心があって、記事にしたかったことかもしれない。
角栄少年と ’三番くん’ が番神岬までデートをしたときのエピソード。
そして柏崎駅から東京へ旅立ったとき、次の鯨波駅のホームで手渡された ’三番くん’ からの 「よく勉強できますように、番神さまにおいのりしています。」という手紙のこと。