★クラシック音楽LPレコードファン倶楽部(LPC)★ クラシック音楽研究者 蔵 志津久

嘗てのクラシック音楽の名演奏家達の貴重な演奏がぎっしりと収録されたLPレコードから私の愛聴盤を紹介します。

◇クラシック音楽LP◇ボロディン弦楽四重奏団のチャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番/第2番

2023-02-09 09:48:09 | 室内楽曲(弦楽四重奏曲)


チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番/第2番

弦楽四重奏:ボロディン弦楽四重奏団

LP:日本ビクター SMK‐7540

 このLPレコードで演奏しているボロディン弦楽四重奏団は、1944年にモスクワ音楽院の学生によって結成された。当時から「現代世界屈指のクヮルテット」と高い評価を得ていた。完璧なアンサンブルと極めて高い音楽性が特徴で、当時は「現代の弦楽四重奏曲演奏の一つの頂点を示すもの」とも言われた。作曲家のショスタコーヴィチとのゆかりが深く、しばしば作曲の相談を受けたという。また、ピアニストのスヴャトスラフ・リヒテル(1915年―1997年)とも長年にわたって共演を重ねてきたことでも知られる。そして、メンバーの入れ替わりを経て、世界で最も活動歴の長い弦楽四重奏団として、現在でも活発な演奏活動を続けている。ボロディン弦楽四重奏団は、1912年にブリュッセルで結成後、ウィスコンシン州マディソンに拠点を移して活動を続けているプロ・アルテ弦楽四重奏団に次いで活動歴の長い弦楽四重奏団であり、2015年には結成70周年を迎えた。当初、モスクワ・フィルハーモニー四重奏団と名乗っていたが、1955年に、近代ロシアの室内楽の開拓者というべき作曲家ボロディンにちなんで改名された。そのボロディン弦楽四重奏団が、同胞であるチャイコフスキーの2つの弦楽四重奏曲を収めたのがこのLPレコード。チャイコフスキーは、全部で3曲の弦楽四重奏曲を作曲した。これら3曲はそう馴染みがある曲でもないが、1871年に作曲された第1番の第2楽章の「アンダンテ・カンタービレ」だけは、クラシック音楽のファンでもなくても、誰もが知っているメロディーで有名。チャイコフスキーは1869年の夏、カーメニカ村でペチカ職人の歌っていた民謡を採譜したが、これが基となって、この有名な「アンダンテ・カンタービレ」の主題が生まれたという。初演は1871年3月16日に行われたが、好評を得たようだ。「音楽評論」の1885年11月7日号で、音楽評論家のキュイはこの弦楽四重奏曲第1番について「第1楽章で、すでにこの才能あふれる作者の個性が打ち出されている。快い旋律、素晴らしい和声法、変化に富み、手の込んだリズム」と高く評価している。そして、1873年12月の終わりから、翌74年の1月にかけて作曲されたのが弦楽四重奏曲第2番。この作品も好評で、初演で「強い感銘を与えた」と記録されている。ただ、ロシアの作曲家、ピアニスト、指揮者のアントン・ルービンシュテイン(1829年―1894年)は「これは室内楽の様式でない」と言ったというが、この意味は「古典様式のわくからはみ出した作品」という意味のようだ。つまり、チャイコフスキーが意欲的に弦楽四重奏曲に取り組んだ結果、そのような批評が生じたとも言える。これは作曲時期は、ちょうど交響曲第2番「小ロシア」と交響曲第3番「ポーランド」の両交響曲のほぼ中間に当たり、この2つのシンフォニーに似かよった性質をもつとも言われている。第1番に比べ、この第2番の方がより本格的な弦楽四重奏曲の様式を備えた作品となっている。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのブルックナー:交響曲第8番(ライブ録音盤)

2023-02-06 09:40:21 | 交響曲


ブルックナー:交響曲第8番(ハース版)

指揮:ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1949年3月15日、ベルリン、ティタニア・バラスト(ライヴ録音)

発売:1977年

LP:日本コロムビア OC‐7139~40‐RC

 ブルックナーは、生涯9つの交響曲を作曲したが、この第8番は、ブルックナー自ら「最も美しい作品」と自負していたように、聴きこ込めば聴き込むほど、内容が充実した傑作交響曲であることが聴き取れる。そして、管弦楽の編成の規模が大きいことでも特筆できる作品だ。すなわち、4本のワーグナー・テューバやブルックナーとしては初めて用いた3台のハープ、トライアングルや6個のティンパニー、それに3管編成という、限りなく大きな編成で演奏されるのであるから、聴いていてその壮大なスケールに酔いしれるのである。ブルックナーの交響曲第8番は、ブルックナー60歳の誕生日の1884年9月4日、フェクラブルックの町の妹のロザリエの嫁家で着手され、第1楽章のスケッチがその年の10月1日にでき、1885年8月に全曲のスケッチが完成。そしてオーケストラ用スコアが1887年9月4日に完成した。ブルックナーは、交響曲第7番を見事に指揮してくれたドイツの指揮者ヘルマン・レヴィ(1839年―1900年)に第8番の写しを送り、初演をを期待したが、結果は演奏を拒否されてしまった。つまり、ヘルマン・レヴィは、あまりにも巨大な第8番に恐れをなして指揮を辞退してしまったのだった。すっかり彼を信じ切っていただけにひどく落胆したブルックナーは、一時は自信を全く失い、自殺を考えたほどだったという。しかしその後、周囲の意見をを取り入れるなどして、ブルックナーは第8番の全面的な書き換えを行い、1年をかけて1890年3月10日に完成。初演は1892年12月18日、ハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルによって行われた。このLPレコードの録音は、フルトヴェングラー(1886年―1954年)とベルリン・フィルのライヴ録音盤という願ってもないものだ。しかし、音質は残念ながら1949年という年代を考慮しなければないもので、現在のレベルからするとおよそ良好とは言えず、何とか鑑賞に耐えられるといったところだ。後年、このライブ録音盤がCD化されたが、音質はLPレコードの方が数段良かったと報告されている通り、このLPレコードの存在価値は高い。演奏内容は、フルトヴェングラー独特の深い洞察力と地の底から湧きあがってくるような迫力に、ただただ圧倒される思いがする。ライヴ録音ならではの1回の演奏に全神経を集中させる緊迫感、テンポを自在に変化させ、音楽自体のスケールを限りなく大きく持っていくところなどは、“神様”フルトヴェングラー以外には到底真似できない、正に神業といっても過言でない。宇野功芳氏も著書で「1日前の放送用ライヴ録音よりもさらに壮絶な表現で、正に“ディオニソス的なブルックナー”である」(「フルトヴェングラーの全名演名盤」講談社+α文庫)と、この録音のことを取り上げ、この録音を高く評価しているのである。(LPC)

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◇クラシック音楽LP◇グルダのバッハ:イタリア協奏曲/モーツァルト:ピアノソナタ第15番/シューベルト:スケルツォ第1番、第2番/ショパン:アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ

2023-02-02 09:51:29 | 器楽曲(ピアノ)


バッハ:イタリア協奏曲
モーツァルト:ピアノソナタ第15番
シューベルト:スケルツォ第1番/第2番
ショパン:アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ

ピアノ:フリードリヒ・グルダ

録音:1965年2月1日~4日、ウィーン

発売:1979年

LP:日本フォノグラム 13PC-10(AVRS19 029)

 このLPレコードは、オーストリア出身の名ピアニストであったフリードリヒ・グルダ(1930年―2000年)を偲ぶ1枚。息子のパウル・グルダは現在ウィーンを中心とするピアニストとして活躍し、時々来日していたのでお馴染みの方もおられよう。フリードリヒ・グルダの特徴は、何と言っても、その歯切れのいいピアノ演奏にある。まるでジャズ演奏を聴いているみたいというと、グルダを信奉してるリスナーからお叱りを受けるかもしれないが、このLPレコードをよく聴くと、あながち的外れでないことが分かってくるのではないであろうか。1950年代にはジャズに傾倒するあまり、1956年にアメリカに渡り、ニューヨークの名門ジャズクラブ「バードランド」にフィル・ウッズらセプテットを率いて出演、実況録音盤を発表した。また、ジャズのスタジオ録音盤も存在している。グルダのピアノ演奏の技巧は、全く素晴らしく、非の打ちどころがない。それでいて少しの無機質なところがないところにグルダの真の魅力があると思う。モーツァルトの第15番のピアノソナタを聴いてみると、装飾音の扱いに長けていて、あたかも精緻に作られた織物を見ているようで、何とも豊かな空間がリスナーの前にパーッと広がる。要するに繊細な感覚のピアノ演奏なのだが、聴く者に少しも緊張感を与えないところにグルダの真の偉大さがあると私は思う。グルダのピアノ演奏は、グレン・グールド(1932年―1982年)に似ていると言われる。しかし、グレン・グールドは、過去にはきっぱりと別れを告げた演奏法であるのに対し、グルダの演奏は新しい感覚の上に過去の遺産も引き継ぐという姿勢が鮮明だ。このLPレコードでも、バッハ、モーツァルト、シューベルト、ショパンを、グルダの一貫した感性で弾きこなしており、誠に鮮やかこの上ないものに仕上がっている。フリードリヒ・グルダは、オーストリア出身。ウィーン音楽院(現ウィーン国立音楽大学)で学ぶ。1946年「ジュネーブ国際音楽コンクール」で優勝を果たす。20世紀を代表する巨匠ピアニストの一人であり、1960年代は日本においてイェルク・デームス(1928年―2019年)、パウル・バドゥラ=スコダ(1927年―2019年)とともに“ウィーンの三羽烏”と呼ばれていた。1947年、初のレコーディングを行い、バッハ、ベートーヴェン、ショパン、プロコフィエフなどを録音。そして1967年~1968年には、3回目となるベートーヴェン「ピアノソナタ全集」を録音している。日本に対しては、妻が日本人だったこともあり、親近感を抱いていたことでも知られる。来日歴は1967年、1969年、1993年の3回。フリードリヒ・グルダは生前「最も敬愛するモーツァルトの誕生日に死にたい」と語っていたそうだが、実際にモーツァルトの誕生日(1月27日)に、自宅で心臓発作によって亡くなった。(LPC)

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