曲学阿世:真実を追求し、虚実の世間に迎合するようなことはしたくない。

真実を曲解し不正な情報によって世間の人々にこびへつらい、世間にとり入れられるような、ことはしたくない。

埋立承認撤回・取消確約求めるシンポ開催成功(動画)

2014年10月10日 12時44分43秒 | 政治経済、社会・哲学、ビジネス、

         

 

植草一秀の『知られざる真実』」

                             2014/10/08

             埋立承認撤回・取消確約求めるシンポ開催成功

               第980号

   ウェブで読む:http://foomii.com/00050/2014100809212623337
   EPUBダウンロード:http://foomii.com/00050-24004.epub
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昨日、10月7日(火)午後6時半から、沖縄県那覇市国際通りにある、てん
ぶすホール(てんぶす那覇4F)にて、シンポジウム

「埋め立て承認撤回なくして 辺野古は守れない!」

が開催され、盛況裏にシンポジウムを終えた。来場された県民の方の多くが、
「目からうろこ」の感想を持たれたようである。

主催はNPO法人:ピースメーカーズ・ネットワーク

http://goo.gl/e38hzF

11月16日に実施される沖縄県知事選における最大の選挙争点となっている辺野
古米軍基地建設問題について、これを阻止するためには、

新知事による埋立申請承認の撤回または取消の行動が必要不可欠である。

翁長雄志氏は現段階では「撤回または取消」を公約に掲げることを拒絶してい
る。

この現状を踏まえて元参議院議員の喜納昌吉氏が知事選への出馬を表明した。

私は、現時点では、翁長氏が「撤回または取消」を明確に公約に掲げることに
より、翁長氏を辺野古米軍基地建設阻止を求める県民の統一候補者とすること
が望ましいと考えている。

しかし、最終的に翁長氏が埋立申請承認の「撤回または取消」の公約化を拒絶
する場合には、これを明確に公約として掲げる候補者を統一候補者にする必要
があると判断する。

9月10日の菅義偉官房長官による記者会見で、改めて米軍基地建設阻止を実
現するには、埋立申請承認の「撤回または取消」が必要不可欠であることが明
確化した。

翁長氏を支持する陣営は、この問題が争点化することを阻止する行動を強めて
いるが、これは、純粋に辺野古米軍基地建設阻止を求める人々の心を尊重する
ものでないと感じられる。



詳報ならびに論評は改めてブログおよびメルマガに掲載させていただく。

シンポジウムはフロアからも活発な意見が提示され、極めて意義深いものに
なった。

会場には多数の県民の方が来訪下さった。

辺野古で米軍基地建設反対の座り込みを毎日続けておられる方も参加され、現
地の立場から貴重な意見も提示くださった。

この貴重なシンポジウムの模様をIWJが生中継してくださった。

さすがはIWJ。GJ!

まずは、IWJが公開くださっているシンポジウムの動画配信をじっくりとご
覧いただきたいと思う。

IWJには深く感謝の意を表したい。

2014/10/07 【沖縄】緊急提言 「埋め立て承認撤回なくして、辺野古は守れな
い!」シンポジウム:植草一秀氏(基調講演)、喜納昌吉氏、上里直司氏(
画)

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/177154
 
 
(゜o゜) 今回の地元住民の要請に答えて、シンポ開催講演講師を引き受けて、
住民として真実の対応はいかにあるべきかを、明快に述べている講演内容には頭
が下がる思いである。
今、沖縄県民強いては国民に求められているのは、何時までも卑屈であってはなら
ないし、政治権力に迎合してはならず、地元の旧来のしがらみにもとらわれてはなら
ないことである。 あすの沖縄県のために強い意志力で自分たちのあくまでも意思を
貫くことである。
 

     


憲法9条の功罪 小林節 慶応大学名誉教授 

2014年10月10日 12時44分15秒 | 政治経済、社会・哲学、ビジネス、

                    

憲法9条の功罪

2014/10/07

 憲法9条を保持している私たち日本国民にノーベル平和賞を与えようという話に現実味が出てきたという報道に接して、驚いた。もちろん、うれしい驚きである。今でも9条改憲論者である私に反発はない。

 そこで、この機会に、わが国の現代史の中で9条が果たしてきた役割について、あらためて考えてみたい。

 まず、9条が大好きな「護憲派」の人々が、「9条のおかげで、第二次世界大戦終戦以降わが国は一度も戦争に巻き込まれないで済んだ」と断言することがある。しかし、私はそれには全面的に賛成することができない。

 戦争には大きく分けて三つの種類がある。第一が、わが国が他国に不当に軍を進める「侵略」戦争で、第二が、わが国が侵略の対象にされた場合に抵抗する「自衛」戦争で、第三が、世界の中のならず者に対して国際社会の意思として制裁を加える「国際警察」戦争である。

 そこで検討してみるが、まず、わが国が侵略戦争に加担しないで済んだのは、まさに、憲法9条がわが国の海外派兵を禁じている(と理解されてきた)からである。ところが、わが国がこれまで他国から侵略されずに済んだのは、私は、「9条のおかげ」ではないと思う。かつての冷戦時代には、ソ連(現ロシア)はわが国に対する領土的野心を隠していなかったし、現在では、軍事大国家になった中国が露骨に尖閣諸島に干渉している。このような状況下で現実にわが国が侵略されずに済んだのは、私は、他でもない自衛隊と日米安保条約(つまり米軍)の存在の故で、9条の故ではないと思う。

 とはいえ、戦後70年近く、地球上でたくさんの戦争が勃発・継続している中で、わが国は唯一戦争(正確には戦闘)に参加したことのない大国として、独特の存在感を示している。

 冷戦後の世界では、キリスト教文明対イスラム教文明のような大戦争が続いている。そして、日本以外の大国は全て冷戦かその後の戦争に参加した体験を有している。

 その中で、日本ほどの大国が、憲法9条の故に戦争に参加しないでこられた意義は大きいのではなかろうか。これは世界史上で例を見ないことである。だから、日本は地球上の「平和のクッション」のような存在になっており、それを支える9条の意義が、今、あらためて見直されるべきであろう。

 ノーベル平和賞も夢ではない。