【王の物語】
【8月第5週:幻仔譚じゃのめ 第39話 想い地蔵】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10426.html
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/
「ギャンブル・フィッシュ」の減圧デスマッチが面白かったです。まだ、決着ついていないんですが、その試合の途中経過が面白い!!w「ギャンブル・フィッシュ」は、獅子堂学園に転校してきた白鷺トムが、行方不明の父親の居場所を探すために様々なギャンブル・ゲームに勝ち上がって行く物語。今はラスベガスで世界中のギャンブラーを集めたトーナメント戦が行われていて、トムと、トムの宿敵である確率を超える悪魔・アビ谷もこれに参加しています。“減圧デスマッチ”はマフィアのボス、ドン・ロメロと、一匹狼の博徒・竜島との対戦で採用されたゲームですね。
対戦する二人のキャラクターとゲームのルールの組み合わせがなかなか秀逸で、実際にやるゲームは12個の差し込み口をもった黒ヒゲ危機一髪ゲーム(ゴキ島が生贄に…w)。ただし、この場合当たりを出した方が勝ちというルールです。これが簡単に当たってしまうとそこでゲーム終了で面白くもなんともないのですが、どうもなかなか当たらない秘密(謎かけ?)があるみたいです。…で、二人は密閉されたガラスの部屋でこのゲームを行っており、1回外す毎に部屋の空気を“減圧”されて行くんですね。11回外すと部屋は真空になって、当然死にます。そこまで至らなくても次第に減圧症などに苦しめられて意識を失う所まで行きます。そうなったら負け。
ただし、これを回避する方法も提示されている。プレーヤーは“勇者”と“チキン”(名称がまた二人の琴線に触れるんだよなあ…w)の2枚のカードを渡されており、1回外す毎に両者が“勇者”のカードを出すか、“チキン”のカードを出すか試される。この時、減圧に耐えられ無くって一方が“チキン”のカードを出せば試合放棄と見なされ敗者となる。ただし、両者とも“チキン”のカードを出せば気圧は元の状態に戻され、ゲームは続行される。つまり、両者が申し合わせて(一度でいいので)“チキン”のカードを出せば、減圧に因る死というデス・ゲームからは抜け出せるんですよね。
しかし!ですwこれ「囚人のジレンマ」という奴で、このゲームの最適な戦略は“勇者”のカードを出し続ける事一択なんですね。“勇者”のカードを出し続ける時のみ、自分の敗北の可能性を最大値で排除できる。逆に“チキン”のカードを出した時の敗北の可能性は相手も最適戦略を承知している以上、半々の50%なんてもんじゃなく限りなく敗北の可能性は上がるんですね。……あ、さらに、これ「囚人のジレンマ」よりもタチが悪いですねw「囚人のジレンマ」は少なくとも両者黙秘すれば“両者の勝利”があるのに対して、この減圧ゲームは両者が協力してもゲームが楽に続行できるだけで“両者の勝利”にはならない。どちらか一方を勝者とするゲームは続行される。そのくせ下限が両者の死によるダブルアウトが用意されている(汗)w
加えて、ロメロも竜島も己の意地と度胸で死線をかいくぐり続けてきた悪党同士。それこそ本当に死んでも“チキン”のカードは出せない者同士なワケです。ロメロも竜島も当然その事は分っていて、減圧が続いて気温は氷点下を超えて下がり死の危険が迫るにつれ、出来得る限りの交渉で、相手に“チキン”カードを出させようと奮闘する。でも……
…となりますwいや、アイデアの乗ったバトル。それがキャラクターにマッチしたバトルは本当に面白いwどきどきワクワクしますw
※ちょっと「王」の話を……
ところで何ですが……。僕は、物語のキャラクターを評価する時に「正しい話(王道)」あるいは「王」という言葉を使う事があって(※ここでいう「王道」はストーリーにおける定番の、人気の、奇を衒う事のないパターンという意味とは違うもので、キャラクターの行動のあり方を評価するものです…いろいろ混乱を招きそうなので多くは「正しい話」、「正しい道」と言っているような気がします)、これはまあ、一種の「主人公論」みたいなもので、僕の作品評にいろいろ関わってくるのですが、実は説明するのが、なかなか難しい話なんで悩んでいます…。で、上の話、ちょっといい例になるかな?話せる機会かな?と思ったので、ちょぼちょぼと書き留めておこうと思います。
このゲーム…「減圧ゲーム」にしても「囚人のジレンマ」にしても、実は“本当の対戦相手”はルールを設定した学園長だったり、警官だったりして…まあ、神と言ってもいいんですが、本当に自分を試している相手、本当に勝利しなければならない相手は別の所にいるんですね。しかし、先述したように自分にとっての最適の戦略は、まんまとその相手の策略にはまったものになってしまう。理屈に拠る限りは、理論に徹する限りは、ここから抜け出す事はできない。理屈を超えた“何か”が必要になってくるんです。……とは言っても、理屈を超えるだけなら、熱血バカの主人公が考えなしに「たとえ可能性が1%以下でも!オレはそれに賭ける!」とか言ってチキンカードを出してもいいんですがwそういう話ではないです。
では、どういう事かと言うと、たとえばこのゲームって、相手が想定している“嵌めるポイント”がちょっとずれれば状況は全く別の物になってくるんですよね。たとえば相手が互いに助かる事を考えているなら、その選択はまるで違ったものになる。いや、片方だけでもどちらか一方が助かるだけで“勝利”と考えるなら、このゲームの“嵌め”となるポイントはずらされてしまって、プレーヤーがどうにも負けるゲームのはずが、プレーヤーがどうにも勝ってしまうゲームに一変するワケです。
仮に一方が悪党だったとしても→「バカが!こいつはチキンを出すと宣言したら必ず出すだろう!そしてオレは労せず勝利者となれる!自分の愚かさを思い知るがいい!!」→(相手の自信に満ちた眼差しを見て考える)→(チキンカードを出してしまう)→「くそ!くそ!こいつが『チキンカードを出します』と言って、オレが『はいそうですか』と勇者カードを出しても、オレはこいつに勝った事にならねえ!ただ勝ちを拾っただけだ!オレはオレの本当の力でこいつに勝つんだ!!本当の勝利を手にするんだ!」→とか、え~…僕はベタベタな展開しか思いつかないもんで恐縮ですが…(汗)まあ、こういうパターンあると思うんです。で、こうやって本来抜け出せない答えが出せないようなループに対して、理屈を超えたところで“ルールの書き換え”を引き入れてしまう。そういう展開を「正しい話」、その「正しい話」を必然的に体現して行ったキャラクターを「王」と僕は呼んでいます。
しかし、ちょっと待ってくれと。相手が助かる事も望むとか、そうやって状況が変れば理屈上の最適戦略も変るじゃないか。それに、そんな美味い状況ばかりが来るわけないだろう?とか。また、悪党が思い直すなんて偶然に過ぎない。それは最初に言った「たとえ1%の可能性でも…」の熱血バカとどこが違うんだ?それが必然的な話だとは思えない…と思う人もいると思います。
ここら辺から説明難しくなるんですが……たとえば、この話、絶対に相手を信頼しない人間には1000回やって1000回巡ってこない展開なんですよね。だから「自分が助からないと意味がないんだ」と考える人には、ちょっと考え方のピントが合い辛いかもしれない。別の考え方もあるかも?と思える人は伝わりやすいかもしれない。…つっても「正しい話」を2回か3回程度積み上げても、1000回やって2回か3回巡ってくる展開にしかならない。そうすると効率が悪く思えて、実践が伴う「正しい話」よりも、実践などなくても最適戦略を導き出せる「理に屈する話」に飛びついてしまう。そして1000回やって1000回巡ってこない展開にしてしまう。
しかし、「正しい話」をずっとずっと積み上げている者はどうか?それは相手が助かれば良い話も、悪党が心変わりする話も、必然的なものに変えて行ける。何の積み上げもない者が「お前を信じてチキンのカードを出す」といって、それで相手がチキンのカードを出してくれても、それは偶然に過ぎないでしょう。しかし、ずっと「正しい話」を積み上げて来たなら、それはやがて必然になるんですよね。それが「王の物語」なんです。まあ、“必然”という言葉が引っかかるなら確率を上げて行けるでもいいんですけどね(汗)
ただ「自分が助からなくてもいい」は「自分が(正しい話を)体現しなくてもいい」という事でもあるんで、「自分が助からないと意味がない」人には、この話、何処まで行っても誤魔化されているようにしか思えない気もします(汗)w……でも、正しい話を体現してしまった人は「王」で、それは必然なんです。(←誤魔化してる?w)
※先日、ネットラジオで「サマーウォーズ」の話をしたんですが、そこで出た「栄おばあちゃんの物語」も「王」と呼んでいいと思っています。(こっちもちょっと文章に起そうかな?)
【「物語三昧ラジオ」の録音ファイル:「サマーウォーズ」など】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/c6c61843f7c30f249304396bee167840
【8月第5週:幻仔譚じゃのめ 第39話 想い地蔵】
http://www.tsphinx.net/manken/wek1/wek10426.html
【漫研】
http://www.tsphinx.net/manken/
「ギャンブル・フィッシュ」の減圧デスマッチが面白かったです。まだ、決着ついていないんですが、その試合の途中経過が面白い!!w「ギャンブル・フィッシュ」は、獅子堂学園に転校してきた白鷺トムが、行方不明の父親の居場所を探すために様々なギャンブル・ゲームに勝ち上がって行く物語。今はラスベガスで世界中のギャンブラーを集めたトーナメント戦が行われていて、トムと、トムの宿敵である確率を超える悪魔・アビ谷もこれに参加しています。“減圧デスマッチ”はマフィアのボス、ドン・ロメロと、一匹狼の博徒・竜島との対戦で採用されたゲームですね。
対戦する二人のキャラクターとゲームのルールの組み合わせがなかなか秀逸で、実際にやるゲームは12個の差し込み口をもった黒ヒゲ危機一髪ゲーム(ゴキ島が生贄に…w)。ただし、この場合当たりを出した方が勝ちというルールです。これが簡単に当たってしまうとそこでゲーム終了で面白くもなんともないのですが、どうもなかなか当たらない秘密(謎かけ?)があるみたいです。…で、二人は密閉されたガラスの部屋でこのゲームを行っており、1回外す毎に部屋の空気を“減圧”されて行くんですね。11回外すと部屋は真空になって、当然死にます。そこまで至らなくても次第に減圧症などに苦しめられて意識を失う所まで行きます。そうなったら負け。
ただし、これを回避する方法も提示されている。プレーヤーは“勇者”と“チキン”(名称がまた二人の琴線に触れるんだよなあ…w)の2枚のカードを渡されており、1回外す毎に両者が“勇者”のカードを出すか、“チキン”のカードを出すか試される。この時、減圧に耐えられ無くって一方が“チキン”のカードを出せば試合放棄と見なされ敗者となる。ただし、両者とも“チキン”のカードを出せば気圧は元の状態に戻され、ゲームは続行される。つまり、両者が申し合わせて(一度でいいので)“チキン”のカードを出せば、減圧に因る死というデス・ゲームからは抜け出せるんですよね。
しかし!ですwこれ「囚人のジレンマ」という奴で、このゲームの最適な戦略は“勇者”のカードを出し続ける事一択なんですね。“勇者”のカードを出し続ける時のみ、自分の敗北の可能性を最大値で排除できる。逆に“チキン”のカードを出した時の敗北の可能性は相手も最適戦略を承知している以上、半々の50%なんてもんじゃなく限りなく敗北の可能性は上がるんですね。……あ、さらに、これ「囚人のジレンマ」よりもタチが悪いですねw「囚人のジレンマ」は少なくとも両者黙秘すれば“両者の勝利”があるのに対して、この減圧ゲームは両者が協力してもゲームが楽に続行できるだけで“両者の勝利”にはならない。どちらか一方を勝者とするゲームは続行される。そのくせ下限が両者の死によるダブルアウトが用意されている(汗)w
加えて、ロメロも竜島も己の意地と度胸で死線をかいくぐり続けてきた悪党同士。それこそ本当に死んでも“チキン”のカードは出せない者同士なワケです。ロメロも竜島も当然その事は分っていて、減圧が続いて気温は氷点下を超えて下がり死の危険が迫るにつれ、出来得る限りの交渉で、相手に“チキン”カードを出させようと奮闘する。でも……
竜島「ロメロの旦那…どうするよ?ここは戦術を変えるしか無さそうだぜ?」
ロメロ「やむを得ん…だが覚えてとけよ?裏切り者は死!!それがオレたちマフィアの掟だぜ」
竜島「てめェこそ裏切るなよ!!3つ数えて同時にチキンを出す!!いいな1!」
「2!」
あー!!!2人とも『勇者』だッ!!これで気圧リセットならずッ!!減圧続行だーッ!!!
------------------------------------------------------------
竜島「嘘じゃねェ…今度こそ『チキン』カードだ…!!ギャンブルは登山と同じ…勝ったところで生きて帰れなきゃ意味はねェ…!!くだらねェ意地の張り合いはやめて…この減圧地獄がら生還するんだ!!」
ロメロ「確かに…このままじゃあのサド園長の思うツボ…いいだろう兄弟!!今度こそ裏切りはなしだぜッ…!!」
「1…!」
「2…!」
「クソッタレェエェ~!!!!」
…となりますwいや、アイデアの乗ったバトル。それがキャラクターにマッチしたバトルは本当に面白いwどきどきワクワクしますw
※ちょっと「王」の話を……
ところで何ですが……。僕は、物語のキャラクターを評価する時に「正しい話(王道)」あるいは「王」という言葉を使う事があって(※ここでいう「王道」はストーリーにおける定番の、人気の、奇を衒う事のないパターンという意味とは違うもので、キャラクターの行動のあり方を評価するものです…いろいろ混乱を招きそうなので多くは「正しい話」、「正しい道」と言っているような気がします)、これはまあ、一種の「主人公論」みたいなもので、僕の作品評にいろいろ関わってくるのですが、実は説明するのが、なかなか難しい話なんで悩んでいます…。で、上の話、ちょっといい例になるかな?話せる機会かな?と思ったので、ちょぼちょぼと書き留めておこうと思います。
このゲーム…「減圧ゲーム」にしても「囚人のジレンマ」にしても、実は“本当の対戦相手”はルールを設定した学園長だったり、警官だったりして…まあ、神と言ってもいいんですが、本当に自分を試している相手、本当に勝利しなければならない相手は別の所にいるんですね。しかし、先述したように自分にとっての最適の戦略は、まんまとその相手の策略にはまったものになってしまう。理屈に拠る限りは、理論に徹する限りは、ここから抜け出す事はできない。理屈を超えた“何か”が必要になってくるんです。……とは言っても、理屈を超えるだけなら、熱血バカの主人公が考えなしに「たとえ可能性が1%以下でも!オレはそれに賭ける!」とか言ってチキンカードを出してもいいんですがwそういう話ではないです。
では、どういう事かと言うと、たとえばこのゲームって、相手が想定している“嵌めるポイント”がちょっとずれれば状況は全く別の物になってくるんですよね。たとえば相手が互いに助かる事を考えているなら、その選択はまるで違ったものになる。いや、片方だけでもどちらか一方が助かるだけで“勝利”と考えるなら、このゲームの“嵌め”となるポイントはずらされてしまって、プレーヤーがどうにも負けるゲームのはずが、プレーヤーがどうにも勝ってしまうゲームに一変するワケです。
仮に一方が悪党だったとしても→「バカが!こいつはチキンを出すと宣言したら必ず出すだろう!そしてオレは労せず勝利者となれる!自分の愚かさを思い知るがいい!!」→(相手の自信に満ちた眼差しを見て考える)→(チキンカードを出してしまう)→「くそ!くそ!こいつが『チキンカードを出します』と言って、オレが『はいそうですか』と勇者カードを出しても、オレはこいつに勝った事にならねえ!ただ勝ちを拾っただけだ!オレはオレの本当の力でこいつに勝つんだ!!本当の勝利を手にするんだ!」→とか、え~…僕はベタベタな展開しか思いつかないもんで恐縮ですが…(汗)まあ、こういうパターンあると思うんです。で、こうやって本来抜け出せない答えが出せないようなループに対して、理屈を超えたところで“ルールの書き換え”を引き入れてしまう。そういう展開を「正しい話」、その「正しい話」を必然的に体現して行ったキャラクターを「王」と僕は呼んでいます。
しかし、ちょっと待ってくれと。相手が助かる事も望むとか、そうやって状況が変れば理屈上の最適戦略も変るじゃないか。それに、そんな美味い状況ばかりが来るわけないだろう?とか。また、悪党が思い直すなんて偶然に過ぎない。それは最初に言った「たとえ1%の可能性でも…」の熱血バカとどこが違うんだ?それが必然的な話だとは思えない…と思う人もいると思います。
ここら辺から説明難しくなるんですが……たとえば、この話、絶対に相手を信頼しない人間には1000回やって1000回巡ってこない展開なんですよね。だから「自分が助からないと意味がないんだ」と考える人には、ちょっと考え方のピントが合い辛いかもしれない。別の考え方もあるかも?と思える人は伝わりやすいかもしれない。…つっても「正しい話」を2回か3回程度積み上げても、1000回やって2回か3回巡ってくる展開にしかならない。そうすると効率が悪く思えて、実践が伴う「正しい話」よりも、実践などなくても最適戦略を導き出せる「理に屈する話」に飛びついてしまう。そして1000回やって1000回巡ってこない展開にしてしまう。
しかし、「正しい話」をずっとずっと積み上げている者はどうか?それは相手が助かれば良い話も、悪党が心変わりする話も、必然的なものに変えて行ける。何の積み上げもない者が「お前を信じてチキンのカードを出す」といって、それで相手がチキンのカードを出してくれても、それは偶然に過ぎないでしょう。しかし、ずっと「正しい話」を積み上げて来たなら、それはやがて必然になるんですよね。それが「王の物語」なんです。まあ、“必然”という言葉が引っかかるなら確率を上げて行けるでもいいんですけどね(汗)
ただ「自分が助からなくてもいい」は「自分が(正しい話を)体現しなくてもいい」という事でもあるんで、「自分が助からないと意味がない」人には、この話、何処まで行っても誤魔化されているようにしか思えない気もします(汗)w……でも、正しい話を体現してしまった人は「王」で、それは必然なんです。(←誤魔化してる?w)
※先日、ネットラジオで「サマーウォーズ」の話をしたんですが、そこで出た「栄おばあちゃんの物語」も「王」と呼んでいいと思っています。(こっちもちょっと文章に起そうかな?)
【「物語三昧ラジオ」の録音ファイル:「サマーウォーズ」など】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/c6c61843f7c30f249304396bee167840
婆ちゃんの正しさは主体的にならない事と引き換えなので。
道士郎で言うと道士郎が神で健タンが王。道士郎はもうちょいモンスター的な側面もありますけど。
> 婆ちゃんについては「王」より「神」的な属性の方が大きいのでないかと思います。
「王」や「神」といった言葉の認識や使い方によると思いますが(また、ここでの僕の「王」という言葉の使い方は独特な面があります)、この場合、僕はおばあちゃんが平凡な日常の積み上げ~人様の役に立ちなさいといった普通の“正しさ”の積み上げ~によって、この事件を解決に導く“場”が生まれているよね…といった評価になります。(※詳しくはラジオを聞いてもらえれば…)
僕の「神」という言葉の認識だと、何か超常的な能力を連想してしまうので、おばあちゃんの(人間としての)平凡な生き方…といった所は押えておきたい気がします。
> 「道士郎」
殿は今「王」とするべきかどうか悩み中です。でも「王」でもいいと思います。普通にそう解釈できると思うんですが、何かこう僕の中の変な拘りが考え込んでしまうんですね(汗)道士郎はモンスターですよねw天才とか神話的英雄というか…w
死後の婆ちゃんはネットワーク上の架空の存在と言う点では化け物AIと同質なんですが、主体性を無くしながら「あんたならできる」って信頼して背中を叩く婆ちゃんと、アカウントを奪いながら唯一無二の主体に膨れ上がるラブ魔は対照されてますよね。
道士郎が説く武士道もあまりに説明不足で意味不明なんですが、とりあえず「武士はどこにでもいる」恐怖の存在なので、登場人物それぞれがそれぞれなりの正義を為したり逆に悪い事すんのを思いとどまったりする助けにはなります。神さまや世間さまの代替物というか。
主体性の話は、伊藤悠さんのこのへん↓の話が念頭にあったり。
http://d.hatena.ne.jp/ityou/20050321
http://d.hatena.ne.jp/ityou/20050505
しかしその対照として、頭数はいても人材は集まらず、しかもセキュリティがザルだった「OZ」は本当に厄いですね。時かけの坂の下の踏み切りもそうですけど、事件が起こる場が凄まじく厄いってのはこの人の作風なんですかね。
> 死後の婆ちゃんはネットワーク上の架空の存在と言う点では化け物AIと同質
(ネットラジオで)「地球へ…」のソルジャー・ブルー、あるいは「劇場版パトレイバー」の帆場の逆神(?)のみたいな感じでしょうかねw
この話に沿うなら、道士郎は「鬼」(あるいはナマハゲw)という言い方が合うのではないか?と思いました。実際、般若の顔になりますしwwただ、道士郎は殿の下命でその力を振るってもいるので、単純に潜在的な力場だけのキャラではなさそうですね。
> 骨のある人材とそのネットワークを築きあげるのは「王」の仕事って感じですね。
そう“とも”言えますwえ~っと、本文中で書いたように説明するのがなかなか難しくって…(汗)ちょっと機会をみてポツポツ書いて説明して行きたいと思っています。
…で、こちらの話に沿うなら、おばあちゃんはたとえば「ラブ・マシーン」を倒す人間を揃えるために生きてきたワケではないんですよね。むしろ、彼女の人生から考えるとイレギュラーな出来事です。しかし、圧倒的に「正しい話」を積み上げて来た者はその死後も多少のイレギュラーなどお構いなしに「正しい話」(解決する道筋)は示され続ける…という考え方でしょうか。
今回、おばあちゃん(=「王」)の仕事は、骨のある人材とそのネットワークを築きあげる形で、顕われた…(別の顕われ方もある)という言い方が適切な表現になるかなあ…?
> 仮に一方が悪党だったとしても→「バカが!こいつはチキンを出すと宣言したら必ず出すだろう!そしてオレは労せず勝利者となれる!自分の愚かさを思い知るがいい!!」→
本文中にこういう事を書きましたが、この場合、絶対に相手を信用しない!疑い続ける!という悪党を、それまでの“正しい積み上げ”によって、そんな悪党さえも、まず信用する所から入らせてしまう。→そして結果、気がついたら協力させてしまう。…そういう顕われ方になる事もある…という話ですね。
「王」はどう行動するのかがもっとも正しいのかを自然に体現してしまうようにデザインされたキャラで、特にその行動が作品世界内で影響や流れを生み出していくもの、と言う風に解釈しております。的を得てますでしょか?
婆ちゃんは自分が動くより人の背中を押す印象が強かったので「王」としての属性は弱めなんじゃないかと思ったんですが、「場」を築いてきた人と捉えればたしかに「王」そのものですね。
「神」と言う表現は、トップ2の3話でチコに説教するノノの向こうからこちらを見つめるキャトフヴァンディスの透徹とした瞳を見てたらふいと浮かんだんで以後採用してます。そしてそのさらに向こうに一万年かなたのノノリリがいるという。
道士郎は確かに立ち位置によっていろんな面を見せる複合的なキャラですね。
ああ、良い表現だと思います。一つ、付け加えるなら、“影響や流れ”は“正しい影響や流れ”…といった言い方に変えると僕の言いたい形になるかな?
…いや、大して違いませんがwその場の正しさだけではなく、それが積み上がって行く様を表現したいかなと。
また、その「正しさ」とは理屈上の正しさとは違ったもの……上記したように理屈=戦略上の正しさだけでは「囚人のジレンマ」からは抜け出せないんですよね。だからそれを超えた答え…という事になってきます。
> 一万年かなたのノノリリがいるという。
「トップ2」においてノノリリは「神」だと思います。その神が帰還する(人類が彼女たちを迎えるその約束を果たす)ラストシーンで締められていますよね。
同時に「トップ1」を知っている人はノリコが普通の女の子である事を知っている(普通じゃないけどw)。そこはつながっているんですよね。ノリコとノリコを迎え入れるラルクはつながっている。…そういう物語だと思っています。
どうも長々お邪魔しました。これで撤退します。お付き合いいただいてありがとうございました。