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今週の一番『この彼女はフィクションです。』この“妄想彼女”は、なかなか正体不明

2011年03月11日 | マンガ
【2月第4週:ケルベロス 第五十六刻 手の、先に】
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【漫研】
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マガジンで連載がはじまった『この彼女はフィクションです。』(作・渡辺静)が相当『面白い』です。主人公・ユーリが10年間、妄想に妄想を重ねて99冊分の設定につめこんだ“理想の彼女・ミチル”が、突然、実体化した。しかし、彼女はユーリの理想の美少女であると同時に、子供の頃の思いつきを含めた、様々な設定を内臓(?)して顕現したようなのだ…!みたいな出だしですかね。あと、ユーリくんは、既に“現実の女の子”フーコ先輩を好きになっていて、ミチルの実体化を手放しで喜べない状態です。(´・ω・`)

主人公が理想の彼女を“自作”する物語と言うと『AIが止まらない』(作・赤松健、1994年)と『ぼくのマリー』(作・竹内桜、1994年)を思い出しますが……おっと。両作品とも1994年開始ですね。
その彼女がある程度予想外の動きをする事含めて構図自体は、かなり近いと思うのですが、冒頭からミチルをヤバい存在として扱っている所が『面白い』なと思っています。“理想の彼女”が現れたんだから、もう少し手放しに喜ぶフェーズがあってもいいと思うんですが、10年間という彼女を設定する歳月の中で子供の思いつきである怪力とか、目からビームとか、とんでもない設定が混じっていて、てんてこ舞い(古い)な状態で、かつ、心の中身もかなり怪しくて、ユーリに他に好きな人がいる事を知ると、その人の抹殺(?)を目論んだりしています。…いや、そこが楽しいのですよね。まず、ヒロインの女の子をヤンデレっぽく描いた、はらはら感が面白いでのです。(主人公も本質的にはイタい奴なんですよね)

……ふむ。そう考えると構図は似ているけど、動作自体は従来の『自作彼女もの』(←今、勝手に作った)とはちょっと違うなあ?段々と、人間ではない彼女、作られた彼女である事が問題になって行く『AIとま』、『ぼくのマリー』に比べて、いきなりその制御されなさが問題になっている。
…このスーパーパワー…むしろ『DR.スランプ』の方が近いのだろうか?………ん~…(考)うまく言えないんですが、いろいろチェックして行くと微妙にズレている所が興味を引きますね。まず、ミチルは既にユーリくんにとって“理想の彼女”ではない。10年間設定を詰め込んだために、今、現在のリアルタイムのユーリくんの理想ではない。…しかしながら、10年分の自分の想いの丈を詰め込んだ創造体である事も間違いないわけです。これが何を意味するのか?どっちに針が振れるのか?俄には分からないですね。第二話でミチルが言ったように「責任をとらないといけない」ようにも思えます。

何にしても『自作彼女もの』にある「自分だけをずっと好きでいてくれる…という設定が在る!」という事の重さ…というか怖さを、速攻で観せてくれました。それが、意外に軽いタッチというか、コメディな告発になっているのは、やはり「目からビームが出る」ことのインパクトで緩和されているのでしょうwそっちに気になってしまうw
そして、これからミチルの足りない“心”を次第に調整して行くとは思うんですが、それが主体なら子育て的な話になって行くのでしょうね。しかし、僕としては、ミチルのこの“怖さ”のようなものはなるべく保っていて欲しいという気がしています。
まあ、単純に僕がヤンデレが好きだというのもあるんですが(汗)……サイコ・コメディとでも言うのか、初動において、その感覚に強く惹かれているものがあります。そこらへん、どう変わって行くか?観て行きたいです。


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