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消防自動車と1200年の灯~比叡山延暦寺にて~

2016-01-20 | 小さな旅の思い出
 

ケーブル延暦寺駅から暫く坂を上ると


延暦寺の塔が見えてきます。




延暦寺は、滋賀県大津市坂本本町にあり

標高848mの比叡山全域を境内とする寺院です。

平安時代初期の僧・最澄により開かれたました。

平成6年には、古都京都の文化財の一部として

ユネスコ世界文化遺産にも登録されています。


歴史的風土保存地区 → 歴史的風土の保存に関する特別措置法

入口には木造の大きな案内板が



広い境内に貴重な建築物が点在しています。

時間にゆとりがないので、今回は東塔と呼ばれる区域を回りました。

延暦寺と聞いて思い浮かべる言葉は

日本史に出てきた僧兵、そして焼き討ちでしょうか。

こんなに急な山の上

鬱蒼と茂る森・・・

こんな場所で火事が起こったら大変なことになるでしょう。



自衛消防団があるらしく

消防自動車が待機していました。

火事はご免こうむりたいですが

遙か遠い昔から大切にされてきた火もあります。





急な階段の下に見えるのが延暦寺根本中堂です。

延暦寺の総本堂で、開祖最澄の自作と伝わる本尊薬師如来が祀られています。

法灯は「不滅の法灯」と称され、開創以来1200年の間灯り続けているそうです。

織田信長により焼き討ちされた時には分灯してあった山形にある立石寺から再び分灯されたのだそうです。

電車も自動車も無かった時代に大変なことだったように思います。

現在の堂は徳川家光の命により再建されたものだとか。

凛とした空気の中、圧倒されるような威厳のある建物でした。

内部は撮影禁止だったので写真がありません。

母の持つ瀬戸内寂聴さんの講話集(CD)では延暦寺での修行の様子が

面白おかしく語られてはいましたが

修行の厳しさで知られる延暦寺の一部分を垣間見る様な雰囲気でした。



真新しい鐘楼には開運の鐘が吊るされています。

一打 50円!

長い列が出来ていましたが、もちろん打ちましたよ。


重要文化財 戒壇院(かいだんいん)

参拝に来ていた人の話に聞き耳をたてると

「雪が無いなんて、変な感じだよな。どこか違う所みたいだ。」

例年雪があるのですね。

雪景色もまた風情がありそう。

そして、ガーデンミュージアムの開園している時にも来たいよねと

話しながら山を下りたのでした。

次回は門前町のご紹介をしたいと思います。








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10 Comments

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Unknown (Neko★)
2016-01-20 09:01:19
「不滅の法灯」・・・立石寺って山寺だとしたら
山形だと思われます。。。

中尊寺にもあったかな?

一打50円は安いですね
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こんにちは (小父さん)
2016-01-20 12:02:25
標高848mもあるんでしたっけ!

確か車道も巡っていますよね?

延暦寺のこと全く分かっていないんですが、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮などなどが修行したと通り道に出ていたような・・・。

それだけの権威があるみたいですね。

歴史的風土保存地区は自由にトレッキングできないんですかね。
歩いたら相当ありそうです。

>僧兵、そして焼き討ち

恥ずかしながら、私もその2語くらいしか頭にありません。
歴史ヒストリアくらいで取り上げて欲しいです!

「不滅の法灯」に消防車とは!
人間の文化とは面白いものですね。

>分灯してあった山形にある立石寺から再び分灯されたのだそうです。

ということは焼き討ちを予測していたんですかね?

そうか、船か籠か徒歩で火を山形まで運んだわけですか!

徳川家光が再建したのですか!
延暦寺の重要度と徳川家の力を感じますね。

瀬戸内寂聴さんの修行CD面白そうですね。
寂聴さんは、型破りだった今東光さんにもタッチが似ていますね。
ん?東光さん、僧名が春聽だとか!
ああやっぱり、「師僧となり「春聽」の一字を採って「寂聴」の法名を与えた」とありますね。

一番下の杉の写真が素晴らしいですね。
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こんばんは! (Neko★さんへ・・・pinky)
2016-01-20 22:36:08
お~っ!ありがとうございました!

立石寺のホームページまで行ったのに
何故か山形が仙台になってしまいました。
早速、修正いたしました。

延暦寺のような知名度の高いお寺の鐘をつけるなんて言う機会はなかなかありませんからね。

あ・・・巡拝料も必要ですけどね^^);
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こんばんは! (小父さんへ・・・pinky)
2016-01-20 23:18:57
比叡山はドライブウェイも整備されていますが
登山されるかたも多いらしいです。
先日NHKで比叡山トレッキングのポイントをやっていました。
歴史的風土保存地区は山ばかりではなく町並みもあるそうなので
入れると思います。

小父さんも如何でしょう!

日本仏教各宗各派の祖師高僧を輩出しているので
日本仏教の母山といわれることもあるそうです。

焼き討ちを想定していたかどうかは分りませんが
火事も多かったらしいですから
もしもの時の為だったのかもしれません。
それにしても、どうやって運んできたのでしょうね。
途中で消えてしまったりしなかったのでしょうか。
何日かけてやって来たのでしょう。
知りたいことばかりです。

再建には家康ばかりでなく秀吉も力を貸したようです。
京都を見下ろす山であり、朝廷との繋がりもあったために
重きを置いたのだと思われます。

寂聴さんの講話は面白いです。
大勢の人が放しを聞きにわざわざ出かけられるのが納得です。

ありがとうございます。
樹齢数百年と思われるような木に寄り添うと
力を貰える気がします。
この杉、根本は一つなんですよ。
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延暦寺 (みのこ)
2016-01-22 14:48:10
何故か機会を逸している延暦寺こちらでゆっくり拝見。

立石寺から再び分灯…興味深いお話ですね。
何故前もって立石寺に…どのようにして持って行ったのでしょうね?

鐘を突いたのですね、今年も良い事がありますね。
愚息が昨年延暦寺に参拝の折「不滅の法灯御守」を
買って来てくれました。

瀬戸内寂聴さんと言えば病を乗り越え90歳過ぎてなお
書かづにいられない衝動に・・・の帯に誘惑されて
「わかれ」新潮社を最近読み終わりました。
やはり気持ちがお若いですね。
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この次は (みのこさんへ・・・pinky)
2016-01-22 23:08:41
三度目の正直という言葉もありますから
次の機会があるのではないかと思っております。

立石寺っていったいどこかと検索してみたら
ずっと遠い処だったので驚きました。
今なら車でランタンのようなものに入れていけばさほど苦労は無いように思いますが
一体どんなふうに持って行ったのか・・・
一日ではいけないでしょうから、宿泊するときは如何したのでしょうね。
考えれば考えるほど?が頭の中でいっぱいになってしまいます。

鐘の音がずっと聞こえていたので不思議に思っていました。
鐘を突くことが出来るの山ひとつ丸々境内だからなのでしょうね。
街中のお寺ではそうはいきませんものね。
貴重な体験が出来ました。
由緒ある法灯のお守りをお土産に買って来てくださったなんて
本当にお母様思いの息子さんですよ~!
愚息だなんてご謙遜を!!

最新作をお読みになられたのですね。
寂聴さんたら、全快されてのインタビューでも
病気をネタに面白い事ばかり仰っておられましたよね。
意欲は満々でも長く執筆していることが辛いとは
仰られていましたが
本当に90歳を過ぎているとは思えませんね。

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こんばんは (はちきんイジー)
2016-01-23 12:59:22
大津には友人が住んでおり
帰国するとそこで数泊していましたが
こんな所があったとは 知りませんでした。

今度行く事があったら ぜひ 訪れたい事です。

一月にお誕生日を迎えられたんですね

おめでとうございます。

私は今年、年女、、、です。

もう一度 申年を迎えられるだろうか、、、という年齢になってきました、、、。
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こんばんは! (はちきんイジーさんへ・・・pinky)
2016-01-23 21:42:11
大津にお友達がいらっしゃるのですね。
京都から近く、度々歴史の舞台に登場している場所ですが
ケーブルカーで比叡山に行けることを私も知りませんでした。
今度行かれたら、是非立ち寄られてみてください。

そして、ありがとうございます!

イジーさんは申年でいらしたんですね。
うちの母もそうなんですよ。
不安去る年 迷い去る年になりますように。
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Unknown (タワラジェンヌ)
2016-01-26 14:21:52
こんにちは♪

この時期、延暦寺は雪景色なんですね。
きっとこのところの寒気で雪景色になっていることでしょう。

不滅の法灯・・・多分見たと思うのですが、記憶にないんですよね~
最近忘れっぽくて本当に困ったことです。
しかし、この時代、どうやって山形まで運んだんでしょうね。
さぞ大変だったことと思われます。

開運の鐘、突いてこられたんですね。
きっと良い年になることでしょう。
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不滅の法灯 (タワラジェンヌさんへ・・・pinky)
2016-01-26 22:20:01
こんばんは!

そうらしいです。
まだこの頃は気温が高くて山道を行くと汗ばむほどだったのですが
近くにいらした方がそう話しておられて、なるほどと思ったのでした。
京都に比べたらそれは厳しい自然環境だったのでしょうね。

不滅の法灯はあちらこちらに看板は出ていたのですが
いざ中堂の中に入るとここという大きな印がないので
はっきり記憶に残らないのではと思います。
あ~タワラジェンヌさんでもそうなのですか?!
そうなんです。
忘れっぽくなって、冷や汗をかくことも度々です。
この法灯をどうして分けることになったのか。
それもそんなに遠い場所へ行ったのか。
教科書にはない歴史の裏舞台を覗いてみたくなります。

鐘の音は心に沁みますね。
余韻を楽しみながら、この一年が良きものになる様に祈って来ました。
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