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気ままに出かけて 写真に残る植物や風景etcを 備忘録として足跡に残しています。

旧奥州街道歩き 蓬田宿~平館宿 2018年秋・2日目

2018-11-11 22:34:32 | 街道歩き

 今日は街道歩き2日目です。

天候は好天、昨日に続き快適な街道歩きが期待できそうですが、一つ問題は蟹田宿で津軽線とお別れしなければいけない事です。

今回の街道歩きは、ほぼ国道280号に辿って歩きます。この280号線と並行する形でJR東日本・津軽線が走っているので、何かアクシデントが発生した場合でも、津軽線の駅に辿り着ければ電車を利用する事ができます。
しかし、津軽線は蟹田宿(蟹田駅)から内陸に向かうので、蟹田駅以降は電車の利用ができず、今日の目的地とした平館宿までは何としても自力で歩くしかありません。

今日の街道歩きは、スタートが蓬田宿、打止めが平館宿です。
歩行距離は、蓬田宿から蟹田宿間が8.2km、蟹田宿から平館宿間が13.5km、合わせて21.5kmを予定しています。これまでの経験から、見学しながら、写真を撮りながらでは、1時間で歩く距離は3km程なので、計算では7時間ほど歩かなければいけない事になります。

打止め(宿到着)時間を15時と想定すると、昼食時間など加味すれば蓬田宿を7時にはスタートしたいところです。蓬田宿に停車する電車は蟹田駅始発が5:32で、以降は7:06、9:20発なので、前日投宿の際に朝食時間を6時15分でお願いし、7:06発の電車に乗車し、蓬田宿を7時16分スタートと計画しました。 

宿泊した「中村旅館」さんは街道筋にあるので、なるべく蓬田宿・蟹田宿間は身軽で歩こうと不要な荷物は旅館に預かってもらいました。

蓬田駅から歩き、今日のスタートとなる街道筋に立つと左手に立派なお寺「正法院」さんが見えます。寛文7年(1667年)に木喰僧・円空が、この街道を北上し蝦夷地(北海道)に渡ったそうですが、こちらのお寺にも円空仏「木彫観世音菩薩坐像」が伝わっているようです。 

その先に、二級河川の阿弥陀川が流れていますが、その畔に赤い鳥居が見えてきます。

こちらは稲荷神社です。
今日の朝のルーチンは、稲荷神社での旅の安全祈願となります。こちらの稲荷神社には二組の狛犬が奉納されています。その内の狛犬一対(大正十二年建之)をご覧ください。

  

狛犬の阿像、不二家のペコちゃんのように下をペロッと上向きに出しています。街道歩きではたくさんの狛犬たちを見てきましたが、このような姿は初めて出会いました。

川を渡ると左手が蓬田村役場です。明治22年(1889年)4月1日の町村制施行で蓬田村、長科村、中沢村、阿弥陀川村、郷沢村、瀬辺地村、広瀬村が合併し蓬田村が誕生しました。総面積は80.84平方キロメートル、その約80%が山林のようです。人口は、10月末時点で2,819人、世帯数は1,153世帯です。                    時刻は7時50分過ぎ、小学校のスクールバスが子供たちを乗せて出発するところでした。

蓬田漁港を過ぎ、郷沢駅を過ぎ、村役場から40分弱歩くと玉松海水浴場に隣接した「よもぎた物産館マルシェよもぎた」に到着です。幸い営業時間が8時からなので立ち寄ってみました。  

新鮮な野菜や村の特産品が並べられ、特に看板にもあるように「トマト」が有名のようです。私達もミニトマトを購入し、海を見ながら、トマトを食べながら、暫し休憩しました。
9時過ぎ、街道筋に戻り出発です。

しばらく進むと左手に小さな社があります。これまでも、街道筋にはこのような地蔵尊を祀る小さな社が百万遍石塔と共に何カ所も祀られていますが、集落の境に設けられているような気がします。

瀬辺地駅を過ぎ、津軽線は街道から離れますが蟹田駅に近づくにつれ、海岸線と280号線、津軽線が接近してきます。そんな所に蟹田駅9時20分発の津軽線の上り電車が通過して行きました。

私達は、この間暫く280号線下にある防波堤の上が道路の様になっているので、海を眺めながら歩きました

 10時少し前に蓬田村から旧蟹田町(現外ヶ浜町蟹田)に入りました。

ここから10分程進むと左手に「八幡宮」が見えてきます。

お参りに境内に入ると、こちらにも二対の狛犬が奉納されています。初めに出会う狛犬もユニークで、おかっぱ頭をしているような感じがします。昭和6年奉納とありました。

 

こちらは本殿に近い狛犬です。風化した感じが、可哀そうな、不気味なような、偶然出会った神社関係の方の話では、大正時代に奉納されたもので、冬期に松の枝に積もった雪が解け落ちて狛犬を侵食したとの事でした。

 

参拝を終わり、しばらく進むと蟹田駅入口です。地方の街道歩きで困るはトイレと食事、時になかなか見付ける事ができず困ってしまいます。これまでトイレは、駅か食事を採るお店、運が良ければ寺社でと言った感じです。今回も蟹田駅近くの公衆トイレを利用するため街道筋を少し離れます。

街道に戻る前に、旅館から蟹田駅に向かう途中で見つけた真宗大谷派のお寺「長楽寺」を参拝する事にしました。

その後、「中村旅館」さんに寄り、預かって頂いた荷物を受け取り、リュックの重さに耐えながらの街道歩きが始まります。                                                   蟹田川を渡り、しばらく進むと右手に高い建物が見えてきたので、何だろうと思い建物に向かいました。この建物、「風のまち交流プラザ・トップマスト」と言い、観瀾山公園海水浴場に隣接し地上30mの展望台となっているようです。1階には、蟹田の特産品を販売する売店と津軽と下北を結ぶ陸奥湾フェリーの乗船手続き所があります。一日2往復、蟹田港から脇野沢港間を就航しています。

売店のお姉さんが、展望室まで階段を上ると素晴らしい景色が見えますよと教えてくれたので、覚悟を決め登る事にしました。                                                 実は、階段のステップが格子状で下が見えてしまうので、高所恐怖症に打勝ち上らなければいけないのです。

でも、展望台からの景色は最高です。                                    こちらは、眼下が観瀾山公園海水浴場、遠景は今日の打止めとする平館宿方面です。

こちらは、眼下が蟹田港、遠景は下北半島です。

11時過ぎ、トイレも済ませ街道に戻ります。蟹田塩越地区まで40分程、この辺りは京都・伊根の舟屋のような感じの建物が続きます。

 

国道沿いには、トイレ休憩できる場所が殆んどありませんが、唯一「ゆとりの駐車場」が4~5kmの間隔で設けられているので助かります。そして、待望の「松前街道」と書かれた石柱を見つけ、街道を歩いている実感が湧いて来ました。

 

一段と下北半島が近づいて来たようです。

しばらく進むと平館地区に入ったようです。テトラポットにはカモメ?ウミネコ?が陽を浴び、アザミには遠距離を移動するアサギマダラ?(この時期にこの地域にいるのかなー?)が留まっているので、気付かれないようにパチリ。

 

13時過ぎ、平舘舟岡地区に入ったようです。久須志神社の鳥居がありますが社が全く見えないので、参拝に向かうのをためらってしまいます。

13時30分、平舘今津尻高地区で国道280号線を右に曲がり、今津と書かれている旧道に入って行きます。これまで食堂が見付からず、昼食がわりに蟹田駅近くの物産店で購入したリンゴしか食べていません。ホタテの看板を見て近くに食堂がありホタテを食べる事ができると思ったのですが、残念ながら、この看板は春の街道歩きで通った平内町の「ほたて広場」のものでした。

                    国道280号線は松並木が続いているようです。

分岐から10分ほど歩くと平館今津間沢地区となります。左手に稲荷神社が見えますが、階段を見ると写真だけ撮って参拝はパスします。

さらに10分ほど歩くと平館野田山下地区に入ります。これまでも、たくさん見てきましたが、左手に地蔵堂と百万遍碑があります。やはり、集落の境に造られているようです。

ここから少し進んだ所に「吉田松陰 乗船の場」と書かれた、新しそうな案内板を見つけました。さて、この地からどこに向かったのか? 

時刻は14時30分過ぎ、食堂や食品を購入できるお店が全くありません。あ~腹へった~。仕方なく、先を急ぎ歩いていると湯の沢温泉「ちゃぽらっと」の案内板を発見、スマホで調べてみると日帰り温泉施設で食事もできそうです。そこで、街道から離れ施設に向かいました。                                   ところが、到着してみると何と残酷な事か「本日休館日」とあります。

よく考えて見れば、今日は月曜日、公共施設であれば休みは納得できます。ここでの食事を諦め、今日の宿泊場所「ペンションだいば」近くにある、道の駅「たいらだて」目指し街道に戻ります。                  30分ほど歩くと左手に「平舘神社」の鳥居が見えてきました。

ここから10分ほど歩くと、旧道の両側は松並木が続き、「津軽国定公園」の標識があります。津軽国定公園は、東津軽郡外ヶ浜町(旧平舘村)から西津軽郡深浦町(旧岩崎村)に至る、延長約180キロメートルの海岸部と山岳部、湖沼群等から成り、昭和50年3月31日に指定されました。                           高野崎や竜飛岬、十三湖や屏風山、世界自然遺産に登録されている白神山地や青池で有名な十二湖などが含まれる広範なエリアのようです。

この辺りから、砂防林となっているのか松林が続きます。また、松林の中にはハマギクの群生が見られます。

  

海岸線は平舘海水浴場となっているようです。遠景で見えるのは下北半島です。

しばらく進むと、幕命に寄り津軽藩が外国船の警戒のために造った西洋式台場の土濠跡が扇状に残っています。吉田松陰が、嘉永五年(1852年)3月に、台場と附近の情景を「東北遊日記」に残しているそうです。  

そして、台場跡の隣には国道280号沿いに立つ真っ白な平舘灯台あります。一般的に灯台は岬の突端近くにあるので、国道沿いにあるのは珍しいようです。平舘灯台は、鉄筋コンクリート造高さ23m、灯火標高23mで、明治32年(1899年)に設置され、昭和35年(1960年)に改修され、外壁は白色ペンキ塗り仕上げられています。

                                      今日の宿泊は、この灯台の近くにある「ペンションだいば」です。時刻は16時過ぎ、チェックインには丁度良い時間です。チェックインを済ませましたが、夕暮れにはまだ少し時間が有るので付近を散策しました。付近には、コテージやオートキャンプ場などの施設がある「おだいばオートビレッジ」と目標としていた道の駅「たいらだて」があります。道の駅に寄ってみましたが、残念ながら16時で閉館していました。                       結局、今日の昼食はリンゴだけとなりました。

 

宿に戻る前に、もう一度海を眺めに海岸線向かいました。宿に戻って、夕食時間は早めの18時でお願いし、疲れをとろうとお風呂に向かいました。

 

本日の予定歩行距離21.5km程、歩数計は前日宿泊した中村旅館を出てから39,911歩を示していました。    


 

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秋田県秋田市を代表する二つのカラーマンホール蓋

2018-11-09 23:30:29 | ぶらり散策

10月下旬に旧奥州街道歩きに出かけ、青森湊宿(青森市)から三厩宿(外ヶ浜町)まで無事完歩し、延べ7年間を要した旧奥州街道歩きが完結しました。

その帰路、新青森駅から五能線を利用し秋田で途中下車し、市内観光した際に見つけたご当地マンホール蓋です。    こちらは、秋田駅周辺で見つけたカラーマンホール蓋です。秋田市の夏祭り「秋田竿灯まつり」の竿灯がデザインされています。

こちらは、秋田港にある秋田ポートタワーセリオン近くで見つけたカラーマンホール蓋です。土崎港曳山まつりとして親しまれている土崎神明社祭りの曳山行事、その周りに荒波を越えて各地の港を巡った北前船がデザインされています。

祭り良し、マンホール蓋のデザイン良しですね。

 

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旧奥州街道歩き 青森湊宿(青森駅)~蓬田宿(蓬田駅)2018年秋・1日目

2018-11-03 23:33:23 | 街道歩き

10月21日(日)自宅を朝一番の電車に乗り、大宮駅で新幹線に乗り換え、前回打ち止めとした青森湊宿(青森駅)に向け出発です。

平成23年6月8日、日光街道との追分となる宇都宮宿を出発しましたが、平成23年11月11日に発生した東日本大震災と平成25年2月の前立腺がん手術とその後の放射線治療などで中断があり、平成26年4月に再開しました。

その後も台風などによる中断もあり、出発から延べ7年になりますが、今回の街道歩きで終着地の三厩宿に到着する事ができそうです。
私達の街道歩きは夫婦二人です。年2回春と秋のベストシーズンに5~6日間連続で歩き、一日の歩行距離は約25km前後としているので時間がかかるのは止むを得ないところです。

今回の街道歩きは3日間で67km程、予定通り歩くと3日目に終着地の三厩宿に到着します。ゴールした翌日から3日間は観光を予定、4日目は龍飛岬を散策し五能線に乗り深浦で1泊、5日目は十二湖を散策し秋田市で1泊、6日目は秋田市内を観光し帰路に着く予定です。

天気予報は、初日から3日間は好天、4日目は小雨模様でのようですが、5・6日目は好天と天候は味方してくれそうです。福島駅を過ぎると車窓から蔵王連峰(?)が目に入って来ます。                                                

そして、盛岡駅を過ぎると岩手山が綺麗です。        

新青森駅で新幹線から在来線に乗換え、青森駅には予定時刻の10時4分に到着しました。街道歩き開始時のルーチンとなる神社への旅の安全祈願のため、街道を少し戻り善知鳥(うとう)神社に向かいます。

善知鳥(うとう)とは鳥の名前で、青森市は江戸時代まで「うとう村」と呼ばれていたそうです。しかし、今は見かける事が少なくなったようです。
善知鳥神社は、
由緒書きによると大同二年(807年)坂上田村麿の東征の頃再建、御祭神は宗像三女神の多紀理毘売命(タキリヒメノミコト)、多岐都比売命(タギツヒメノミコト)、市寸嶋売命(イツキシマヒメノミコト)です。

境内には、寛永18年に建立されたと言われる「弁才天宮」や「竜神水」をはじめ、見所もたくさんあります。

     

この日は、七五三参りの家族も見られました。
また、後にパンフで、鳥居脇に平成3年に造られた「奥州街道終点記念の碑」がある事を知り、写真に残すことができずガッカリしました。

旅の安全祈願を終え、街道筋に戻ろうとしていると右手に「青森ベイブリッジ」が目に入りました。橋の上から景色を見ようと寄り道です。

     青森ベイブリッジ

こちらは、前回歩いた浅虫温泉方向です。

こちらは、青森駅と青森マリーナです。

青森駅

青森マリーナ

色々寄り道をしてしまったため、街道筋に立ったのは青森駅に到着してから1時間後となってしまいました。
青森駅西口から街道を進むと右手に「青森市森林博物館」が見えてきました。ただ、こちらは記録を残すだけにして先を急ぐ事にします。

青森市森林博物館

今回の街道歩きは、右手に陸奥湾を見ながら国道280号線(松前街道)をひたすら歩くことになります。峠越えもなく熊の出没も無く、アップダウンも少なく、ただこれまでと比べ街道筋の見所が少ない感じがします。

旧奥州街道の終着地には色々な説があるようです。日本橋から一番近い所は福島県の白河宿(白河の関所)、その他に福島宿、盛岡宿、青森宿、油川宿などあるようでますが、私達は江戸時代に松前藩が参勤交代で利用した街道の本州最北端の三厩宿を終着と決めました。

国道280号線を進み、新青森市森林博物館から歩く事30分程、新城川を渡ると油川宿に入ったようです。新城川から10分程進むと右手に案内板を見つけました。そこには「イタリア館」とあり、旧油川村に移住したイタリア人ジュセップ・ファブリーが1918年に建築したイワシの缶詰工場の事務所兼邸宅があった場所のようです

しばらく進むと左手に明誓寺さんと浄満寺さんが見えてきます。明誓寺

浄満寺

浄満寺さんには、弘前藩の奉行で「青森開港の祖」と言われる森山弥七郎の供養碑があります。

時刻は12時30分過ぎ、近くにあった「まこと寿司」に入り、ランチの握り寿司を食べ一休みしました。寿司店から少し進むと右手に立派な建物が見えてきます。こちらは、明治11年創業の西田酒造店で田酒・喜久泉の醸造元です。

こちらの立派な建物の近くに「羽州街道 松前街道合流の地」の案内板と石柱があります。奥州街道歩きで、福島県の桑折宿を歩いていた時に羽州街道との分岐を通ってきましたが、当時この油川宿で合流する事になるとは思っても居ませんでした。

街道(国道)歩きが飽きてくると、陸奥湾側に沿って続く狭い道を歩いたりし気分転換をしました。好天なので海がとても綺麗です。
青森市方向)

(下北半島方向)

油川宿から本日の打ち止め予定としている蓬田宿までは14㎞弱の距離です。蓬田宿には宿泊施設がない為、次の蟹田宿に宿を確保しています。蓬田宿と蟹田宿の間は8㎞強の距離があるので、津軽線・蓬田駅から電車に乗り蟹田駅で下車し宿に向かう予定です。

また、油川宿(油川駅)と蓬田宿(蓬田駅)間には、津軽線の駅が5駅(津軽宮田駅、奥内駅、左堰駅、後潟駅、中沢駅)あり、各駅間は2㎞程なので30分が目安となります。
時刻は
13時30分過ぎ、日没の17時過ぎまでには残り3時間30分程、残りの14㎞を考えるとそれほど余裕はありません。

しばらく進むと、気になっていた花をまた見つけたので撮る事に、この間の街道歩きでよく見かけました。マーガレットのような白い花ですが、良く見ると葉の形が違っています。                                   気になって、街道歩きから戻って調べてみるとハマギク(浜菊)のようです。このハマギク、関東以北、茨城から青森にかけての太平洋沿岸に自生しているようです。 

280号線を歩くこと2時間、津軽宮田駅、奥内駅、左堰駅を通過し15時30分頃、六枚橋と言う地域に入ったところで、右手に立派な松の木が見えてきました。                                   こちらの松は、龍が天に昇る姿に似ているため「昇龍の松」と呼ばれ、樹齢500年とも言われているようです。

松前藩の参勤交代の際、先祖が宿を提供したお礼として松前公から盆栽の黒松を賜り、その黒松を庭に植え替えたものと伝えられているそうです。

後潟駅を通過したところで、また陸奥湾を眺めに海岸沿いの細い道を歩く事にしました。 青森市方向) (下北半島方向)                

下北半島が少し大きくなってきたようです。                                   時刻は16時過ぎ、中沢駅を通過すると青森市から蓬田村に入ります。 

蓬田駅発17時10分の電車に乗らないと、次の電車迄1時間程待たなければいけません。残りの距離が2㎞程なので、電車に間に合う事を確信し少し歩くスピードを緩めました。

蓬田駅に到着、今日の街道歩きはここで打ち止めです。                            本日の予定歩行距離19km程、歩数計は、自宅を出てから35,306歩を示していました。        






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入間基地航空祭2018 予行練習でブルーインパルスも

2018-11-02 21:41:37 | 入間基地

11月3日(土)、基地創設60周年を迎える航空自衛隊入間基地で入間航空祭が開催されます。最寄り駅は西武池袋線・稲荷山公園駅(大変込み合うようです)、少し歩きますが西武池袋線・入間市駅、西武新宿線・狭山市駅からでも大丈夫です。

基地内のイベントは9時から15時迄、飛行展示は9時30分から14時5分迄、ブルーインパルスの飛行展示は13時30分から14時5分迄となっています。明日の天気は晴のようです、お時間のある方は是非ご来場ください。
詳しくは、こちらをご覧ください。
http://www.mod.go.jp/asdf/iruma/koukuusai/event.pdf

今日11月2日、入間基地ではブルーインパルスやT-4訓練機などの予行練習が行われました。また、10月29日にもYS-11輸送機やC-1輸送機、C-2輸送機などの予行練習も行われていますので、その様子を少しご紹介します。

10月29日(月)起床後、いつものルーチンで西の方角を眺めると冠雪の富士山をキレイに見る事ができます。久し振りに見る富士山ですが、富士山は雪が似合います。

朝食が済み、時刻が9時30分過ぎ頃に外から飛行機の音が聞こえます。通常の訓練飛行なのか航空祭の予行練習なのか、気になってベランダに出て確認すると予行練習のようです。
そこで、チャンスとばかりカメラを取出し撮影しました。

最初は、富士山を背景に撮った飛行機を整理します。YS-11輸送機)C-1輸送機)

こちらは、基地創設60周年記念塗装”歌舞伎”モデルです。

C-2輸送機)(T-4)

今度は、予行練習のYS-11を切り取ってみました。

次は、予行練習のC-1を切り取ってみました。         

次は、予行練習のC-2を切り取ってみました。 

次は、本日の予行練習の風景を切り取ってみました。
最初は、今日の富士山の風景からです。

次は、富士山を背景の飛行機ですが、T-4ブルーインパルスしか撮る事が出来ませんでした。

続いて、T-4ブルーインパルスの予行練習を切り取って整理します。ただ、残念なことが一つ、スモークを使って星形やハート形などを描く飛行は、建物の上空となるため写すことができない事です。

それでは、時系列に切り取って整理します。

 (飛来時です)                  

次は、T-4を時系列に切り取って整理します。      

次は、飛来時に撮ったF-15J戦闘機です。 

次は、U-152飛行点検機です。

次は、CH-47J輸送ヘリコプターです。 

以上で予行練習の切り取りは終了です。
明日の本番では、青空のもと素晴らしい飛行を見る事ができると思います。
ご来場をお待ちします。



 




 


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