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気ままに出かけて 写真に残る植物や風景etcを 備忘録として足跡に残しています。

旧奥州街道歩き 青森湊宿(青森駅)~蓬田宿(蓬田駅)2018年秋・1日目

2018-11-03 23:33:23 | 街道歩き

10月21日(日)自宅を朝一番の電車に乗り、大宮駅で新幹線に乗り換え、前回打ち止めとした青森湊宿(青森駅)に向け出発です。

平成23年6月8日、日光街道との追分となる宇都宮宿を出発しましたが、平成23年11月11日に発生した東日本大震災と平成25年2月の前立腺がん手術とその後の放射線治療などで中断があり、平成26年4月に再開しました。

その後も台風などによる中断もあり、出発から延べ7年になりますが、今回の街道歩きで終着地の三厩宿に到着する事ができそうです。
私達の街道歩きは夫婦二人です。年2回春と秋のベストシーズンに5~6日間連続で歩き、一日の歩行距離は約25km前後としているので時間がかかるのは止むを得ないところです。

今回の街道歩きは3日間で67km程、予定通り歩くと3日目に終着地の三厩宿に到着します。ゴールした翌日から3日間は観光を予定、4日目は龍飛岬を散策し五能線に乗り深浦で1泊、5日目は十二湖を散策し秋田市で1泊、6日目は秋田市内を観光し帰路に着く予定です。

天気予報は、初日から3日間は好天、4日目は小雨模様でのようですが、5・6日目は好天と天候は味方してくれそうです。福島駅を過ぎると車窓から蔵王連峰(?)が目に入って来ます。                                                

そして、盛岡駅を過ぎると岩手山が綺麗です。        

新青森駅で新幹線から在来線に乗換え、青森駅には予定時刻の10時4分に到着しました。街道歩き開始時のルーチンとなる神社への旅の安全祈願のため、街道を少し戻り善知鳥(うとう)神社に向かいます。

善知鳥(うとう)とは鳥の名前で、青森市は江戸時代まで「うとう村」と呼ばれていたそうです。しかし、今は見かける事が少なくなったようです。
善知鳥神社は、
由緒書きによると大同二年(807年)坂上田村麿の東征の頃再建、御祭神は宗像三女神の多紀理毘売命(タキリヒメノミコト)、多岐都比売命(タギツヒメノミコト)、市寸嶋売命(イツキシマヒメノミコト)です。

境内には、寛永18年に建立されたと言われる「弁才天宮」や「竜神水」をはじめ、見所もたくさんあります。

     

この日は、七五三参りの家族も見られました。
また、後にパンフで、鳥居脇に平成3年に造られた「奥州街道終点記念の碑」がある事を知り、写真に残すことができずガッカリしました。

旅の安全祈願を終え、街道筋に戻ろうとしていると右手に「青森ベイブリッジ」が目に入りました。橋の上から景色を見ようと寄り道です。

     青森ベイブリッジ

こちらは、前回歩いた浅虫温泉方向です。

こちらは、青森駅と青森マリーナです。

青森駅

青森マリーナ

色々寄り道をしてしまったため、街道筋に立ったのは青森駅に到着してから1時間後となってしまいました。
青森駅西口から街道を進むと右手に「青森市森林博物館」が見えてきました。ただ、こちらは記録を残すだけにして先を急ぐ事にします。

青森市森林博物館

今回の街道歩きは、右手に陸奥湾を見ながら国道280号線(松前街道)をひたすら歩くことになります。峠越えもなく熊の出没も無く、アップダウンも少なく、ただこれまでと比べ街道筋の見所が少ない感じがします。

旧奥州街道の終着地には色々な説があるようです。日本橋から一番近い所は福島県の白河宿(白河の関所)、その他に福島宿、盛岡宿、青森宿、油川宿などあるようでますが、私達は江戸時代に松前藩が参勤交代で利用した街道の本州最北端の三厩宿を終着と決めました。

国道280号線を進み、新青森市森林博物館から歩く事30分程、新城川を渡ると油川宿に入ったようです。新城川から10分程進むと右手に案内板を見つけました。そこには「イタリア館」とあり、旧油川村に移住したイタリア人ジュセップ・ファブリーが1918年に建築したイワシの缶詰工場の事務所兼邸宅があった場所のようです

しばらく進むと左手に明誓寺さんと浄満寺さんが見えてきます。明誓寺

浄満寺

浄満寺さんには、弘前藩の奉行で「青森開港の祖」と言われる森山弥七郎の供養碑があります。

時刻は12時30分過ぎ、近くにあった「まこと寿司」に入り、ランチの握り寿司を食べ一休みしました。寿司店から少し進むと右手に立派な建物が見えてきます。こちらは、明治11年創業の西田酒造店で田酒・喜久泉の醸造元です。

こちらの立派な建物の近くに「羽州街道 松前街道合流の地」の案内板と石柱があります。奥州街道歩きで、福島県の桑折宿を歩いていた時に羽州街道との分岐を通ってきましたが、当時この油川宿で合流する事になるとは思っても居ませんでした。

街道(国道)歩きが飽きてくると、陸奥湾側に沿って続く狭い道を歩いたりし気分転換をしました。好天なので海がとても綺麗です。
青森市方向)

(下北半島方向)

油川宿から本日の打ち止め予定としている蓬田宿までは14㎞弱の距離です。蓬田宿には宿泊施設がない為、次の蟹田宿に宿を確保しています。蓬田宿と蟹田宿の間は8㎞強の距離があるので、津軽線・蓬田駅から電車に乗り蟹田駅で下車し宿に向かう予定です。

また、油川宿(油川駅)と蓬田宿(蓬田駅)間には、津軽線の駅が5駅(津軽宮田駅、奥内駅、左堰駅、後潟駅、中沢駅)あり、各駅間は2㎞程なので30分が目安となります。
時刻は
13時30分過ぎ、日没の17時過ぎまでには残り3時間30分程、残りの14㎞を考えるとそれほど余裕はありません。

しばらく進むと、気になっていた花をまた見つけたので撮る事に、この間の街道歩きでよく見かけました。マーガレットのような白い花ですが、良く見ると葉の形が違っています。                                   気になって、街道歩きから戻って調べてみるとハマギク(浜菊)のようです。このハマギク、関東以北、茨城から青森にかけての太平洋沿岸に自生しているようです。 

280号線を歩くこと2時間、津軽宮田駅、奥内駅、左堰駅を通過し15時30分頃、六枚橋と言う地域に入ったところで、右手に立派な松の木が見えてきました。                                   こちらの松は、龍が天に昇る姿に似ているため「昇龍の松」と呼ばれ、樹齢500年とも言われているようです。

松前藩の参勤交代の際、先祖が宿を提供したお礼として松前公から盆栽の黒松を賜り、その黒松を庭に植え替えたものと伝えられているそうです。

後潟駅を通過したところで、また陸奥湾を眺めに海岸沿いの細い道を歩く事にしました。 青森市方向) (下北半島方向)                

下北半島が少し大きくなってきたようです。                                   時刻は16時過ぎ、中沢駅を通過すると青森市から蓬田村に入ります。 

蓬田駅発17時10分の電車に乗らないと、次の電車迄1時間程待たなければいけません。残りの距離が2㎞程なので、電車に間に合う事を確信し少し歩くスピードを緩めました。

蓬田駅に到着、今日の街道歩きはここで打ち止めです。                            本日の予定歩行距離19km程、歩数計は、自宅を出てから35,306歩を示していました。        






コメント (2)
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