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玄倉川の岸辺

悪行に報いがあるとは限りませんが、愚行の報いから逃れるのは難しいようです

「水伝」騒動とリベラリズム

2008年04月16日 | 「水からの伝言」
一度は収束したかに見えた左のほうの「水からの伝言」騒動がまたくすぶってきた。

keep changing !実録 連合赤軍(追記あり) 4月3日
逝きし世の面影:極左系に殴りこんだ解同系の仁義無き戦い『水からの伝言』 4月8日
陰謀論者による「水からの伝言」騒動の総括 - kojitakenの日記 4月9日
たんぽぽのなみだ~運営日誌: 極左対解同? 4月12日
たんぽぽのなみだ~運営日誌: 極左対解同?(2) 4月13日
:いらっしゃい!ようこそニケのブログへ^^ : 「水伝」を本当に論議するのでなく、自分の主張を補完するために利用する者達。恥を知れ! 4月14日

HERIKUTSUなる日々(by jabberwock):思考のきっかけは、どこからでもいい(しかし、言っていいことと悪いことがある)。: 4月12日
HERIKUTSUなる日々(by jabberwock):無敵の論理。または「jabberwockはひどい!」の方程式。 4月14日
HERIKUTSUなる日々(by jabberwock):やっぱり、きちっと語っておこう。 4月15日
keep changing !:話が噛み合わないわけだよね。 4月15日

今回は「逝きし世の面影」のような極左(?)陰謀論系ブログも加わってますます面白さいがらっぽさを増している。
騒動の発端となった「らんきーブログ」の名前がないことを不審に思う方もいるだろうが、ぶいっちゃん氏はお仲間と楽しく政治活動ごっこに興じている。水伝問題を反省したようにも見えないが、(勝ち目がないと見て?)自分から蒸し返すつもりはないらしい。

私がいちばん不思議に思うのは「keep changing !」水葉氏の論調だ。一月から二月の水伝騒動で私が「中立・仲裁・「どっちもどっち」・竹内まりや(♪けんかをやめて)」派に分類したブログのほとんどはこの問題を継続的に取り上げてはいない。たぶん批判派の論理に正当性があることを認めるか、あるいは騒動が鎮静化したことに安心しているのだと思われる。そんななか水葉氏だけが「水伝騒動」問題について書き続け「らんきー一派」批判派への怒りを高めている。

それがなぜなのか、私なりにがんばって水葉氏の文章を読んでみたのだがどうもよくわからない。論理の筋道が見えず、理解も共感も難しい。なんとなくだが「みんな寛容に仲良くしてほしいという願いが伝わらなくて悔しい悲しい」という気持は想像できたが、それが水葉氏の本当に伝えたかったことなのかどうか。水葉氏はカウンセラーをお仕事としているそうで(「私はカウンセラーである」)、時には厳しく冷たいものになる論理や科学よりも感情と共感を大事にする人なのかとも思う。だが結局のところよくわからない。

基本的によくわかってないことを認めたうえで、わかった部分だけ批判する。
こういうやりかたに問題があることは知っているけれど、かといって見すごしておけない奇怪なことを水葉氏は書いているのだ。

実録 連合赤軍(追記あり)|keep changing !
リベラルという狭い世界で、「知性」や「論理」にこだわり、仲間割れを起こすのは愚かである。
リベラルブログが、今なおそういう世界であるというのなら、私はここを立ち去ることに未練はない。

いやもうなんと言っていいか。
失礼ながら水葉氏は「リベラル」について完全に誤解している。

私は自分のことをリベラリストだと思う。いや、リベラルでありたいと願っている。
かといってリベラリズムについて真面目に勉強したことはない。勉強したことはないけれどなんとなくわかっている。そのわかりかたがそれほど外れていないだろうと自信を持っている。われながらあつかましい。
さて、そんな私から見て「リベラル」とはどういうことか。水葉氏の文章に反論する形で書く。

「リベラルという狭い世界で」

…ここでまず絶句してしまう。リベラルが「狭い世界」って!?
学校や地域のサークル活動じゃあるまいし。
リベラリズムは世界の広さを、人間の多様さを知り尊重するものではなかったか。リベラリストが集まるとき、それが物理的にあるいはコミュニケーション的に狭い範囲であったとしても、精神は世界へと広がっている。
理念はとりあえず措いて、実際の人数を問題にしても日本人でリベラルな考えを持つ人はたくさんいる。
根拠はないが国民の二割か三割、もしかしたら五割近くがリベラリズム(それがどういうものかよくわかってないとしても)を尊重し好意を持っているはずだ。左翼が嫌悪するネオリベラリズムをどう見るかは人によるけれど、仮にネオリベを除いたとしてもリベラルが「狭い世界」ということはありえない。
私がブログで取り上げた問題でいえば「実銃所持者」などは人数が少ない。それにしたって約17万人ほどいる。中規模の市の人口に匹敵する。ましてリベラリズム・リベラリストを狭い世界と呼ぶのは無理だ。
たぶん水葉氏は「お互いをリベラルと見なしてトラックバックを送りあう一群のブロガー」を指して「リベラルという狭い世界」と言ったのだろう。
「らんきーブログ」とかそういったあたり、ネットの左のほうでトラックバックを送りあって喜んでいる人たちの数はせいぜい三桁と思われる。それなら狭い世界と呼んでいいが、もちろん彼らはリベラルの代表でもすべてでもない。
「リベラルという狭い世界」だって?馬鹿にするのもいい加減にしろ!と言いたい。


「「知性」や「論理」にこだわり、仲間割れを起こすのは愚かである。」

ここでもう一度絶句してしまう。
水葉氏にとっては「知性・論理<仲間割れの危険」なのだろうか。
これだけはっきりとムラの論理を明言されるとむしろ清清しささえ感じる。清清しさが一回りしてグロテスクだ。
「仲間割れ」を防ぐためには知性と論理にあえてこだわらない、というのはたしかにある種の知恵である。日本社会のあちこちで実際に行われて効果を上げている。昔から日本では「和をもって尊しとなす」国だ。みんな表面上だけでも仲良くしてニコニコできれば結構なことだ(ほんとうにそうか?)。
だが、リベラルな人たちが知性と論理を用いて論争したとしてそれが「仲間割れ」につながるからやめろ、というのは余計なお世話である。ボクサーがリングで殴り合ってるのを見て「ケンカをやめて!」と叫ぶのと同じくらい馬鹿げている。
リベラリスト同士で論争しているとき、それが「仲間割れ」になるから良くない、愚かだ、というのはリベラリストの考え方ではない。仮に抜き差しならない感情的対立が生じて絶交したとしても、二人がリベラリストであり続けるならば仲間なのだ。好き好んで付き合うことはやめても、相手に理があると思えばそれを率直に認めるのがリベラルである。
もちろんこれは理想論であって、実際はなかなかうまくいかないことが多いだろう。だが、「論争してもリベラルはリベラルだ」というのと「仲間割れを防ぐために論争をやめろ」というのとはぜんぜん違う。
ボクサーが勝っても負けてもボクサーであり続けるのと同じことだ。試合の最中に一人のボクサーが「俺、ボクサー辞めた」と宣言してそれでも相手から殴られ続けたら悲惨だが、水葉氏が言っているのはたぶんそういうことではないだろう。


「リベラルブログが、今なおそういう世界であるというのなら、私はここを立ち去ることに未練はない。」

すでに書いたように、水葉氏の見ている「リベラルブログ」はリベラリストの一部に過ぎない。いや、私の見るところ左のほうで仲良しごっこをしている「リベラルブログ」の多くはそもそもリベラルではない。「そういう世界」に無理してとどまる必要など何一つない。水葉氏がリベラルであるのならこだわることなく立ち去って好きな場所で自分の意見を書けばいい(書かなくてもいい)。
私の衷心からの忠告である。

ありがとう問題と「水からの伝言」

2008年02月27日 | 「水からの伝言」
ありがとう問題の続き。

「客が店員に『ありがとう』と言うことが不快だ」と感じる質問者には多くの批判が集まった。
「ひねくれている」「理解不能」「自意識過剰」「ふざけてる」等等。
正直に言って私は質問者よりも批判する人たちのほうに嫌な感じがした。

「ありがとう問題」の背後には「水からの伝言」と同じ心理的メカニズムが働いているように思う。
ここでは仮に「一対一対応期待」と呼ぼう。心理学でこういう概念があるのかどうか知らない。私の造語である。
人間心理における「一対一対応期待」とは、あたかも一次方程式のように「入力A」を与えると確実に・自動的に「出力B」が出てくると期待する心の動きだ。

「ありがとう問題」の場合はこうなる。客が「ありがとう」と言う(入力A)とサービス提供者は必ず喜ぶ(出力B)と期待する。他の反応(「イラっとする」「馴れ馴れしい」「不快だ」)は想定されず、もし出てきたらそれはエラーとして存在を否定される。
「水からの伝言」の場合「一対一対応」は言葉・物質・精神という次元の違いを無視して「よいもの」「きれいなもの」を結びつける。と言うより「拘束する」。「ありがとう」→「美しい水の結晶」→「美しい心」という一直線の過程が期待される。「一対一対応期待」が強い人にとってはそれが自然であり正しい世界のあり方だ。

数学のイメージを借りて説明してみる。
実は私は数学が大の苦手で、微積分の入り口で躓いたクチである。間違いがあったらごめんなさい。
方程式 y=f(x) において特定のyが与えられたときxの値が一つだけ定まるとしよう。一次方程式 y=2x であれば、y=2 のとき x=1 だ。他の答えが出たとしたらそれは間違いでしかない。
だが、数学は解が一つに定まる一次方程式ばかりではない。二次方程式なら y=x^2 でyの値が4のときx=-2,2だ。二つの解がある。方程式が複雑になれば解の数が増えたり、あるいは答えを求められなくなったりする。
現実世界はもっと複雑だ。
善意の行為が誰も望まない結果につながることがある。きれいな言葉で道徳的に問題のある概念が表現されることもある(その典型が「水からの伝言」だ)。「一対一対応期待」は「こうだったらいいのに」という願望と現実を混同している。

「一対一対応」は生活のためにとても役立つ。
行為の結果について考えずにすむ。精神的な労力の節約だ。現代社会では便利な「一対一対応」があふれている。
たとえば自動販売機。お金を入れてボタンを押せば商品が出てくる。客を選んで販売拒否することはない。
たとえば自動車。アクセルを踏むと走り出す、マジで。ちょっと感動。
たとえば水道。蛇口を開ければ水が出て、閉めると止まる。
どれもあたりまえのように使っているが、考えてみればあまりにも便利である。

だが世界とは「一対一対応」がつねに成り立つほど単純で便利なものなのだろうか。そんなはずはない。
自動販売機も自動車も水道も、人間が一生懸命考えて作り上げた結果としてようやく「一対一対応」が実現できた。自然は人間の要求に常に素直にこたえるほど優しくない。農業で同じ労力を費やしても天候により豊作の年と不作の年がある。怒っても恨んでもどうしようもない。
複雑な人間の心理において「一対一対応」が常に成り立つはずもない。ときに「ありがとう」が反感を呼び、「美しい水の結晶」が差別につながる。人間とはそういう生き物であり、だれもが常に「一対一対応」するようになれば欠点だらけの愛すべき人間性は失われる。
「客が『ありがとう』と言えば店員は必ず喜ばなければならない」と期待する強い「一対一対応期待」は人間性を軽く見ている。店員が複雑な心を持つ人間であることを忘れている。「ありがとう」という言葉をかければ喜ぶ機械のように見なしているのだ。

「ありがとう問題」は今のところたいした問題ではない。サービス業従事者のほとんどはお客様に「ありがとう」と言ってもらえば自然とうれしくなるはずだ。そういう心の動きをする人でなければわざわざ気苦労の多い仕事を選ばないだろう。「ありがとう」と言う客も店員を軽んじているのではなく喜ばせたい、そして自分も気持ちよくなりたいだけである。お互いの気持に嘘や押し付けは(ほとんど)存在しない。

恐ろしいのは「水からの伝言」の「一対一対応」だ。
「ありがとう問題」では言葉と人間の心というお互い影響を与え合うものを一対一対応させていたが、水伝の場合「きれいな言葉」→「美しい結晶」→「よき心」という関係が偽造される。科学的事実と論理を無視して「言葉」「物質」「道徳」を拘束する。嘘をきれい事で飾り立ててインチキな道徳を押し付ける。
こんなものが「いい話」として通用するのはニセ札が流通するのと同じくらい困る。
大阪大学の菊池教授は「想像力が足りないからこそ、「水からの伝言」を肯定できるのだろうなあと思うわけです。」と言っている。私も同感だ。「一対一対応期待」にとらわれた思い込みは人を自由にする想像力とは違うものだ。

ニセ科学と「断章取義」

2008年02月20日 | 「水からの伝言」
「水からの伝言」をニセ科学と知りつつ「いい話だから」と受け入れる人たちがいる。

 「水からの伝言」とカードの城
 受益者は当事者

彼らの姿を見て「断章取義」という言葉を思い出した。

だんしょう-しゅぎ 【断章取義】|〈―スル〉 - goo 辞書
断章取義 意味
書物や詩を引用するときなどに、その一部だけを取り出して自分の都合のいいように解釈すること。▽「章」は文章。また、詩文の一編。「断章」は文章の一部を取り出すこと。「取義」はその意味をとること。「章しょうを断たち義ぎを取とる」と訓読する。


山本七平によれば、日本人の思考法の底には体系的思想の「一部だけを取り出して自分の都合のいいように」解釈して利用する断章取義があるのだという。谷沢永一によるまとめがわかりやすいのでそちらから引用する。


 元亀・天正、少なくとも秀吉の時代までの戦国武士は主を選んだ。島左近のように、あるいは渡辺勘兵衛のように、幾人もの主に仕えたところで、それは武士の名誉であった。「七たび浪人せざるものは武士にあらず」という言葉が言われたように、武士が主を選択したのである。仕えている者はその主が意に叶わなければ、それを捨てて退散することが善であった。したがって、渡辺勘兵衛が藤堂高虎に仕えて、藤堂高虎の武将だか商売人だか分からないような処世態度に見切りをつけ、一万石をほうって逃げている。これに世間はヤンヤと喝采した。
 それと同じことが日本の思想と個人との関係にある。日本においては、人が思想を選択する。第一に選択である。非常に大まかな一つの思想体系、あるいは宗教体系があるとして、それを個人が選ぶのであって、そこに自分が全身を没入するわけではない。
 そうすると、すぐ次に、それなら丸ごと選ばなくてもよいではないかという議論が出てくる。こんどは部分的に、これを「断章取義」というが、儒学の体系、キリスト教の体系のなかから、自分にこれは真実だと思えるものだけをピックアップして、それだけを信じる、あるいはそれを最優先する。だから日本の場合に、おそらく宗教を信じるということがあり得ない。換骨奪胎して採用するのである。

「山本七平の知恵」谷沢永一 PHP文庫(64p)


よく言えば「欠点を捨て利点だけを取る」柔軟で賢いやり方だが、悪く言えば「おいしいところだけつまみ食い」である。お行儀が悪い。
だが日本人はそれを恥としない。「空気」を読んで自分を合わせるのが利口者だと考える。明治時代には華夷秩序と儒教で凝り固まった朝鮮の頑固さを蔑み、今はイスラム原理主義者の狂信に恐れを抱く。もちろん私も確かな思想を持たない日本人の一人である。
とはいえ、柔軟性も度がすぎるとご都合主義に堕ちる。極端な相対主義はアパシーやニヒリズムに繋がる。状況に適応するのは結構だが、時と場合で言うことをコロコロ変える人間は信用できない。
「科学」と「水からの伝言」という矛盾する考えを都合よく使い分けるのはどうだろう。私にとっては「その人を信用できるかどうか」の一線を越えている。「健常者なのに身障者用スペースに駐車する奴」とか「弱い立場の人に威張り散らす輩」「食器を灰皿代わりに使う喫煙者」と同じくらい不快である。

「水からの伝言」のようなニセ科学をニセモノと思わず、現在の科学を越えた真実と信じ込む人たちがいる。いわゆるビリーバーだ。
彼らはほぼ確実に間違っている。説得するのは不可能に近い。場合によっては狂信的で危険なこともある。だが私はビリーバーさんをあまり嫌いになれない。頑固さにうんざりしたり呆れたりしながら、彼らの奇妙な信念に潔さを感じる。もちろんニセ科学を使って金儲けをたくらむ手合いは別である。連中は単に浅ましいだけだ。

むしろ「水伝がニセ科学なのは知ってるよ、でもいい話じゃないか」としたり顔で容認し二重基準をもてあそぶ人たちのほうが嫌いだ。
不潔である。いやらしい。ご都合主義に過ぎる。本人は大人の知恵とか余裕ある態度を気取っているが、私にはステーキとケーキを一度に口に詰め込むような卑しい振舞に見える。マナーを知らないのか恥を感じないのか、それとも味覚がおかしいのか。どちらにしても見苦しい。

ニセ科学のようなニセモノを「いい話」と認めたとき何が起きるか。
一貫して「いい話」でありうるのは本物だけだ。ニセモノを「いい話」にしてしまうと「いい話」がニセモノになる。おとぎ話や小説・映画が「いい話」になりうるのはフィクションとして本物だからだ。ニセ歴史やニセ実話を「いい話」にしてはいけない。もちろんニセ科学もそうだ。
「水からの伝言はサンタクロースのようなもの」と言う人がいるが間違っている。サンタクロースは正直なファンタジーである。決してニセ歴史やニセ宗教ではない。トルコにいた実在人物の聖ニコラオスと、空想されたキャラクターのサンタクロースは区別される。「聖ニコラオスがフィンランドに移住してサンタクロースになった」「やがてそれが明らかになる」と真顔で主張する人を見たことがない。「水からの伝言」のように意図的に虚実をごたまぜにするインチキは存在しない。
野菜で肉や魚の料理を再現する精進料理は本物だが、消費者を騙す偽装食品はニセモノだ。シェルビー・コブラランチア・ストラトスのレプリカをレプリカとして製造販売するのは結構なことだが(できれば私も買いたい)、本物を称してはいけない。

現在の日本で身の回りにあるものが「本物ばかり」と言える幸せな人はそれほど多くないだろう。町にも家のなかにも胡散臭いものがあふれている。こんな世の中でわざわざニセモノを擁護し珍重する必要があるのだろうか。私はせめて「いい話」は本物であってほしいと願う。

受益者は当事者

2008年02月02日 | 「水からの伝言」
このごろ不思議に思うことがある。
「お金についての常識を持ちましょう」「詐欺は悪いことです」と言っても拝金主義者とは呼ばれないのに、「科学的常識を持ちましょう」「ニセ科学は見過ごせない問題だ」と言うとなぜか「科学原理主義」だの「そんなに目くじら立てなくてもいいのに」といった批判を受ける。
一体なぜなのか、私にはよくわからない。

現代社会で快適な生活を送るのに必要不可欠なのは「経済」と「科学技術」である。
経済(お金)が大事なのはわかりやすい。
お金がなければ何も買えない。社会の中でお金がうまく回らなければ自分の懐にも影響が出る。世の中には詐欺師やインチキ商売が存在し、自己防衛のためにはリテラシーを高め警戒心を持つ必要がある。誰もが経済活動の受益者(当事者)として理解すべきことだ。
ところが、科学(科学技術)については「当事者意識を持たない」と言って恥じない人がいる。

tak shonai's "Today's Crack" (今日の一撃): 「波動測定器」 を巡る冒険
ああ、私は 「水伝」 を巡る 「科学 vs 疑似科学」 のマターなんて、元々それほど興味がなくて、深入りするつもりもなかったのだが、ちょっと覗いてみたらその周辺事情が存外面白いので、今月、これで 4本もそれ関係の記事を書くことになってしまった。

だが、私がブログで関わっているのは、疑似科学の 「周辺」 というつもりなので、そりゃ、疑似科学批判の方々みたいに、先鋭的に切って捨てるみたいな書き方はしない。それで、こんな 批判も受けてしまうのである。

まあ、確かにこの件に関する私のエントリーのトーンが無責任に見えても、そりゃしょうがないのだけれど、別に私は 「科学」 にも 「疑似科学」 にも、全然 「当事者」 としてなんかタッチしてないのだから、どちらにも義理立てする必要がないのである。

引用部の強調は玄倉川による。

私はこれを読んでちょっと呆然としてしまった。
庄内さんがどういうつもりで書いたのか理解できない。ジョークとか悪ふざけのつもりならまだわかるけれど(ちっとも面白くはないが)、本気でこんな風に思っているのなら何をかいわんやである。庄内さんがニセ科学(疑似科学)にどれほど関わりがあるのか、それともないのか私は知らない。関わりがゼロでも生きていくのに支障はないだろう。だが科学に「全然 「当事者」 としてなんかタッチしてない」というのはありえないことだ。そのことを知らないのであればあまりにも無知であり、知っていて無視するのはつまらない虚勢である。

まず「当事者」の意味をはっきりさせておこう。

とうじ-しゃ たう― 3 【当事者】 - goo 辞書
その事に直接関係のある人。

この上なく簡潔明快だ。直接関係があればすなわち当事者なのである。
たとえば、どこかの会社に問題が起きたとしよう。とある食品会社で偽装が発覚し生産停止したとする。
会社の経営者・社員・株主が当事者であることは明らかだ。庄内さんが「 私は「科学」 にも 「疑似科学」 にも、全然 「当事者」 としてなんかタッチしてない」と主張するのはこのレベルの当事者を想定しているのだろう。つまり「自分は科学者でも疑似科学の信奉者でもない」ということだ。
だが、当事者は「会社に所属する人」だけではない。食品会社が生産停止すれば広く影響が出る。原料を卸す会社・製品を輸送する会社・製品を販売するスーパー・製品を購入する消費者がそれぞれに損害や影響を被る。彼らもまた当事者である。

それでは科学(科学技術)が現代社会の人間にどれほどの影響を与えているかといえば、例に挙げた食品会社などとは比べ物にならない。まさに空気や水のようにあらゆる面に浸透し生活を支えている。科学(科学技術)がなければ生きていけないのが現代人だ。庄内さんが科学について「「全然 「当事者」 としてなんかタッチしてない」とお気楽な放言をネットに発信することができるのも科学のおかげだ。物理学がなければ発電所は動かないし、計算機科学や通信科学がなければPCもインターネットもありえない。庄内さんは、いや、現代社会に生きる人間すべてが科学(科学技術)の受益者であり当事者である。
現代人が「自分は科学に当事者としてタッチしていない」と思うのは「空気中の酸素なんて知らないよ」と言うようなものだ。小島よしおのように半裸で「でもそんなの関係ねえ、オッパッピー!」と叫ぶのであればムチャクチャで面白いが、常識ある(はずの)社会人が真顔で(あるいは半笑いで)非常識なことを言うと引いてしまう。

しばらく前に馬鹿げた、しかしありふれた詐欺事件があった。

疑似通貨「円天」による詐欺疑惑
同社のホームページにおいて公開されている映像によると同社に10万円以上を預け、あかり会員になると、1年ごとに預けた金額と同額の円天を受け取ることができるとされており、また受け取った円天は、円天市場で利用することが可能とされている。「年利100%の金利が払われる」と言う事だったが、詐欺の可能性が濃厚であり、2007年10月に出資法違反の疑いで同社は強制捜査を受けた。

詐欺師たちが「円天」なるニセ通貨を使い、インチキ経済学・経営学で「年利100%」の夢を煽った。
私はエル・アンド・ジーの社員でもあかり会員でもないので庄内さんの(おそらくは)定義するところの当事者ではない。だが、ニセ通貨やインチキ経営学、詐欺商売といったものが横行するのを他人事として見過ごしてはいられない。強制捜査を受けたのは当然のことであり、首謀者が厳正な裁きを受けることを願う。社会の一員、まさに当事者として経済の営みが健全に行われることを願うからだ。
私が理解したところの庄内さん式「当事者」の定義からすれば、私は円天詐欺の当事者ではないので「どちらにも義理立てする必要がない」。無関係な野次馬として事件を面白がり囃し立て、「夢を与えたのだから有害無益と断定はできない」と公平中立を気取り、自分は賢いから詐欺に引っかかることはないと嘯き、強制捜査は「経済君」が立腹しただけだと茶化せばいい。

tak shonai's "Today's Crack" (今日の一撃): 水伝論争と自虐史観論争は似てる
「科学でない」 と言いながら、「いずれは証明される」 などと、まだ科学の文脈で往生際の悪いことをおっしゃる。水伝信奉者に共通するこのあたりのいい加減な曖昧さが、純粋な血を引く科学君にとっては我慢のできないところであるようなのだ。

つまり、科学でもないのに科学のような体裁を取ろうとした、あるいは、現状の科学では理解不可能だろうが、科学ももう少し進化すればわかるだろうという (エラソーな) 言い方をしたために、科学君の方がむっときてしまったというわけだ。


なんともお気楽なことだ。
ある意味うらやましくもあるけれど、ちっとも見習いたくはない。

参考記事
 So-net blog:Chromeplated Rat:当事者意識
 So-net blog:Chromeplated Rat:科学への「信頼」

「水からの伝言」とカードの城

2008年01月23日 | 「水からの伝言」
野次馬と呼ばれても仕方ないが、左翼・リベラル系政治ブログ界の「水からの伝言」騒動はとても興味深い。
人間性や道徳について考える材料をたくさん与えてくれる。

 左のほうの「水からの伝言」騒動を観察する
 たんぽぽさんと斉藤さん

以前「なぜこれが騒動の火種になるのか不思議」と書いたが、彼らは「批判の存在を否定せざるを得なかった」のである。大切なカードの城を守るために。

らんきーブログ 言葉の結晶

色んな言葉を発せられた水の結晶を見た事がある。
汚い言葉をかけつづけた水の結晶はひどいものだった。
「ありがとう」等の愛のある言葉はダイヤモンドのようにきれいな結晶になります。 
水でさえそういうことがあるのですから人間では尚更というのは言うまでも無いでしょう。
思っているだけではなく、やはり口に出して言う事は大事な事なのです。
 ※「水の結晶 言葉」とかで検索すると画像も見られるサイトがいくつかありました。
(科学的には証明はされていないということらしいですが・・私的はそれはどちらでもいいことです) 

最後に
「ここまで読んで下さりありがうございました。皆様のお蔭様で今日も書く事が出来ました。
本当にありがとうございます」 
今日の記事は結晶にすると、どんな形になったでしょうか?

【追記:2008/01/07)
なお「水の結晶」の話しは科学的に完全に否定されています。
[参考]「水からの伝言」を信じないでください
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fs/


騒動の発端となる記事を書いた「らんきーブログ」ぶいっちゃん氏は、どうやら「言葉が水の結晶(?)の形に影響を与える」という「水からの伝言」(以下『水伝』と表記)の主張を信じてはいないらしい。追記を見るかぎり「科学的に完全に否定されている」ことは理解しているようだ。
だが、ぶいっちゃん氏は「水でさえそういうことがあるのですから人間では尚更」「科学的には~どちらでもいい」という主張を撤回していない。
ぶいっちゃん氏の現在の態度はつまりこういうことである。

 「『水伝』は科学ではなく、科学の名を騙るインチキであることを認める」
 「だがそれは『どちらでもいい』ことだ」
 「『水伝』に共感し、肯定的に伝えるのは良いことだ」

私にはインチキと嘘を「愛」という綺麗事の言葉で正当化しているとしか思えない。
要するに偽善である。自分を騙し、読者を騙し、共に愚者の楽園に向けて行進している。
バカバカしくも痛々しくて見ていられない。

ぶいっちゃん氏と仲間たちは何かといえば連帯・共感・応援・共闘・優しさ…といった「美しい」言葉を並べる。たぶん彼らは「水伝」の主張と同じく「人間の心と『美しい言葉』が直接的に対応する」と思いたいのだろう。だが、彼らがそれを心から信じることは決してできない。
ぶいっちゃん氏自身が「水伝」のインチキ性を知りつつ「水伝」の主張を肯定しているのである。そこには明らかなごまかし、知的・道徳的不誠実が存在する。彼が同じごまかしを用いてニセモノの「連帯」や「共感」を賞賛しないと誰が信じられるだろう。

「水からの伝言」は科学の偽ブランド商品だ。偽ブランド商品を作る連中が詐欺師なのは言うまでもない。
そして、偽ブランド商品をそれと知りつつ「いいものだ」と賞賛し、身につけるのを恥じない人の誠実さは疑われる。偽ブランド愛好家はインチキやごまかしに違和感を持たない人だ。彼らの甘言を信じることはできないし、一緒に仕事をするのは困難だ。

「水伝」がインチキであると知りつつ受け入れ、お互いを「応援」し「共闘」する人たちの道徳的退廃を見ると寒気がする。
嘘のレンガを偽善のシックイで固めた城に住むのは裸の王様だけで充分だ。政治性を自認するブログの書き手が裸の王様を真似るのは滑稽である。しかも、彼らの城はたんぽぽの葉を揺らす程度のそよ風にも耐えられない「カードの城」なのだ。



偽善というテーブルの上に薄っぺらな「連帯」「共感」のカードで建てた城を守るには、真実を運んでくる風の進入を許さない鉄壁の守りが必要である。そして、彼らは見事にそれをやってのけた。たんぽぽさんの「非礼」をなじり、批判に聞く耳を持たず、お互いの連帯感を再確認してカードをさらに高く積み上げた。すでに頭の高さを超え、「TVチャンピオン」の決勝に残れそうだ。
なんという偉業、そしてなんという愚行!
眩暈と吐き気がする。

たんぽぽさんと斉藤さん

2008年01月20日 | 「水からの伝言」
左翼・リベラル系政治ブログ界の一部で起きた「水からの伝言」騒ぎを見ていて「まるで『斉藤さん』だな」と思った。
「斉藤さん」とは日本テレビ系列で水曜10時に放送されているドラマである。

斉藤さん 公式サイト
うるさかろうが、煙たかろうが、斉藤さんは正義の道をゆく。

悪いことを悪いと言って、何が悪い?
ムレない、へつらわない、絶滅珍種“NOと言える日本人”
斉藤さんに今、世の女性たちから大絶賛が寄せられています。

「KY」(空気読めない)という言葉がはやるように、いまの日本、何事もまわりの様子をみながら行動するのが無難で当たり前という風潮。そこに斉藤さんは斬り込みます。

「空気なんて読むな」
こんな「斉藤さん」のそばにあなたがいたら…
味方ですか?敵ですか?それとも知らんぷり?
このドラマは「斉藤さん」とそのそばにいてしまった人たちの物語です!

これでは斉藤さんが「女性たちから大絶賛」される完璧なヒロインのようだが、二話までのドラマでは「空気の読めない・自分勝手な・乱暴な・友達のいない」はぐれ者として描かれている。ヒロインというよりトラブルメーカー扱いだ(やがて状況が変わるのだろうが)。
下は原作マンガの書評の一例。

本とテレビと映画のブログ | 小田ゆうあ 斉藤さん
斉藤さんだって、好きでひとりでいるわけじゃない。友達だって、本当は
ほしいんです。でも、嫌われることより、ひとりになってしまうことより、
「悪いことを悪いと思えない人をほっとく方が怖い。そんな人たちばっか
の社会が、自分の子供の未来だなんて怖い」。そう言えるのが、斉藤さん。


Amazonの読者レビューでは賛否両論だ。

斉藤さんのような内部志向型(リースマン「群衆の顔」)の人間は幼稚園ママグループのような他人指向型の人たちには異常に見える。ヒロインであるはずの彼女がトラブルメーカー扱いされる(そして斉藤さん自身も半ばそれを受け入れている)描写にはリアリティーがある。プロットは変だけど(高校生が幼稚園児に嫌がらせするか!?)。

「水からの伝言」をめぐる今回の騒ぎでは、たんぽぽさんが「斉藤さん」の役回りである。
「『水からの伝言』は科学的にはトンデモであり道徳的にも問題だ」という正論を言ったことで「らんきーブログ」ぶいっちゃん氏と彼の支持者たちから強い反発を受けた。

第1話
衝撃的な出会いが、若葉に強い影響を与えることになる。それは、ゴミ収集所で規則を守らない年配主婦に物申す、勇敢な女性の姿・・・そう、この人こそ、相手が誰でも「ダメなものはダメ!」と、ハッキリ物申す、『斉藤さん』こと、斉藤全子(観月ありさ)。面倒な事に巻き込まれたくないと去る若葉だったが、尊が入園する、こばと幼稚園で、息子・潤一(谷端奏人)を連れた斉藤さんと再会することになる。
斉藤さんは、こばと幼稚園でも、トラブルメーカー扱いされ、園ママ達からは敬遠されている。それどころか、身体中に刺青を入れるヤクザだとか、若い男と不倫しているとか、評判は散々。

そういえば斉藤さん、じゃなくてたんぽぽさんを「共産党の手先」であるかのように中傷したSOBA氏のような人物もいた。
幸いなことに、たんぽぽさんに味方するブロガーが続々と現れてそれぞれに論陣を張った。たんぽぽさん一人でも負けることはありえなかったと思うが、衆を頼んで威圧する手合いには数の力が効くのも事実だ。
馴れ合いと罵倒は得意でも対話と論争は不得手な「らんきー」一派はすっかりおとなしくなってしまった。そのかわり自称「中立」の人たちが「どっちもどっち」「批判の仕方に問題がある」とブツブツ言っている。

あっさり揉め事が収束したようで私のような野次馬には物足りないのだが、「らんきー」一派や自称中立の人たちはたんぽぽさんの正論に納得したわけではないだろう。被害者意識を溜め込んで、やがてどこかに噴き出すはずだ。
そのエネルギーが外部の敵に向くのか、それとも内ゲバになるのか、あるいは明後日の方向でトンデモや陰謀論に結びつくのか。予想するのは難しい。


ドラマの斉藤さんはどうなるのだろうか。
第二話の最後で友達が一人できたけれど、それ以上仲間が増える気配はない。しばらくは孤独な戦いが続きそうだ。
私はありきたりなハッピーエンドにしないほうがいいと思う。
斉藤さんの生き方・考え方が簡単に理解され園ママたちが喜んで仲間になる、なんていうのは都合が良すぎて嘘臭い。正論を通すのはほとんどの場合つらく苦しいことだ。自分も他者も傷つけるイバラの道である。だから、「真昼の決闘」のように苦味の利いたエンディングがいい。

真昼の決闘 - Wikipedia
ウィル・ケインはハドリーヴィルという町の保安官。彼は結婚したばかりで、その日を最後に退職する予定であった。そのウィルの元に、以前彼が逮捕した悪漢フランクが釈放され、正午の列車でハドリーヴィルに到着するという知らせが舞い込む。フランクは彼の仲間と共に、ウィルに復讐するつもりであった。

ウィルはエミイと共に逃げようとするが、思い直して引き返す。父と兄を殺された経験を持つクエーカー教徒のエミイは、正義よりも命の方が大事だと説得するが、彼の意思は固い。ウィルは仲間を集めに奔走するが、誰も耳を貸さない。判事は早々に町から逃げ出した。保安官補佐のハーヴェイは腕はいいが精神的に未熟な若者で、ウィルの後任に自分が選ばれなかった恨みと、かつてはウィルやフランクの恋人だった婚約者のヘレンとの因縁もあって協力を断る。酒場の飲んだくれ達はウィルよりもフランク一味を応援している始末。教会では意見が分かれて議論になるが、結局ウィルが町を去るのが一番良いという結論が出る。保安官仲間たちは居留守や怪我を理由に辞退する。結局一人も集まらないまま、フランクの乗った汽車が到着し、4人の悪党相手にウィルの孤独な戦いが始まった。

ヘレンはハーヴェイにも町にも愛想を尽かし、エミイを連れて汽車に乗ったが、銃声が鳴り響くと、エミイは飛び出して戻っていった。ウィルは建物に隠れながら応戦し、2人を倒したが、肩を撃たれてしまう。そこへエミイが来て1人を撃ち倒すが、フランクに捕まってしまう。フランクは彼女を人質にとってウィルを誘い出すが、エミイが抵抗してひるんだ隙にウィルに撃たれる。住民が集まるなか、ウィルはバッジを投げ捨てると、エミイと共に去っていった。

左のほうの「水からの伝言」騒動を観察する

2008年01月19日 | 「水からの伝言」
ネット界の片隅でちょっとした揉め事があった。
きっかけは「たんぽぽのなみだ~運営日誌」たんぽぽ氏と、「らんきーブログ」ぶいっちゃん氏の間で起きた「水からの伝言」をめぐる論争だ。

2006.03.09 らんきーブログ 言葉の結晶
色んな言葉を発せられた水の結晶を見た事がある。
汚い言葉をかけつづけた水の結晶はひどいものだった。
「ありがとう」等の愛のある言葉はダイヤモンドのようにきれいな結晶になります。 
水でさえそういうことがあるのですから人間では尚更というのは言うまでも無いでしょう。
思っているだけではなく、やはり口に出して言う事は大事な事なのです。

2007年12月29日 たんぽぽのなみだ~運営日誌: 水からの伝言
こんなのを見つけました。
ずばり、「水からの伝言」を、信じていらっしゃるエントリですよ。
 (中略)
あたりまえのことですが、水には、人間の声を聞く耳も、
文字を読む眼もないし、人間のことばを解釈する脳もないです。
水がことばの意味を理解して結晶のかたちを変えるなど、
あるはずもないなんて、自明としか言いようがないです。
 (中略)
ひとつは、科学に道徳を求めるのが、根本的にまちがいということです。
科学とは、自然現象がどうなっているか、
客観的に理解するための学問であり、人間がどう生きるべきか、
といったことに、回答を与えるものではないです。
「水からの伝言」が教育で使われると、科学とはこういうものと、
あやまった科学観まで、蔓延することにもなるでしょう。


なぜこれが騒動の火種になるのか不思議だが、たんぽぽさんの指摘に反発したり怒ったり謝罪を要求したりする人たちがいて面白いえらいことに。
「水からの伝言」問題(正確には『水からの伝言』受容批判問題)について発言したブログを並べてみる。
(リンクの後ろに●が付いているのは追記分)


■ 「水からの伝言」受容批判

たんぽぽのなみだ~運営日誌 (たんぽぽ氏)
  水からの伝言       http://taraxacum.seesaa.net/article/75373760.html
  にせ科学への反論    http://taraxacum.seesaa.net/article/76180449.html
  水からの伝言(2)     http://taraxacum.seesaa.net/article/76690014.html
  水からの伝言(3)     http://taraxacum.seesaa.net/article/76691306.html
  水からの伝言(4)     http://taraxacum.seesaa.net/article/77077559.html
  水からの伝言(5)     http://taraxacum.seesaa.net/article/77472139.html
  水からの伝言(6)     http://taraxacum.seesaa.net/article/77657453.html
  カチカンの多様性の濫用 http://taraxacum.seesaa.net/article/78325950.html
  水からの伝言(7)     http://taraxacum.seesaa.net/article/78755258.html
  水からの伝言(8)     http://taraxacum.seesaa.net/article/78756539.html
  水からの伝言(9)     http://taraxacum.seesaa.net/article/79492272.html
  水からの伝言(10)    http://taraxacum.seesaa.net/article/80444093.html ●
  水からの伝言(11)    http://taraxacum.seesaa.net/article/80612831.html ●
  水からの伝言(12)    http://taraxacum.seesaa.net/article/81130572.html ●

デザイン夜話 (sivaprod氏)
  「共感」という「ものがたり」 http://sivaprod.exblog.jp/7929855
  全ての感情は等価である。 http://sivaprod.exblog.jp/7940070

Chromeplated Rat (pooh氏)
  見慣れないリファラ    http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2008-01-11
  確かな根拠を求めること http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2008-01-13-2
  「ものがたり」を選ぶこと http://blog.so-net.ne.jp/schutsengel/2008-01-15

nagonaguの日記 (nagonagu氏)
  空気の底で     http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20080114#1200274906
  影との戦い     http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20080115#1200427364
  超えてゆけそこを http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20080117#1200540037
  バベルの混乱   http://d.hatena.ne.jp/nagonagu/20080120#1200811078

遠方からの手紙 (かつ7416=http://d.hatena.ne.jp/PledgeCrew/PledgeCrew氏)
  「水伝」 の話から考えたこと                     http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200801050000/
  問題を分けられない人たち                     http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200801070000/
  「価値観の多様性」 と批判への不寛容               http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200801120000/
  問題がこじれるのはしばしば周囲の人間のせいだったりする http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200801130000/
  すべての行為は 「政治的」 である                 http://plaza.rakuten.co.jp/kngti/diary/200801160000/

黒猫亭日乗 (黒猫亭=黒猫亭とむざう氏)
  今更ではあるが http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2008/01/post_a933.html
  心の外      http://kuronekotei.way-nifty.com/nichijou/2008/01/post_323c.html

アルバイシンの丘 (papillon9999氏)
  ブログ社会もムラ社会(追記あり) http://papillon99.exblog.jp/7280246/#7280246

きまぐれな日々 (kojitaken=古寺多見氏)
  擬似科学と政局主義からの訣別を!            http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-544.html
  馬鹿に屈してはならない                    http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-547.html
  「雑談日記」 は 「自民党TBP」 からパージされたが... http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-548.html
  お玉おばさんから当ブログへの批判コメントのご紹介  http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-549.html
  「水からの伝言」をめぐるトラブルの総括          http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-551.html
kojitakenの日記
  コメント欄炎上は誰が招いたか? http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080104
  陰謀論者たちがまだ蠢いている  http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20080120/1200800305

かめ? (gegenga氏)
  「言語」を用いた表現行為について  http://blog.livedoor.jp/gegenga/archives/51273223.html

Gazing at the Celestial Blue (碧猫氏)
  RE;謎の独り言(再追記有) http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-357.html

HERIKUTSUなる日々(by jabberwock) (jabberwock氏)
  「論理的でありたい」人と「共感性を重んじる」人の「議論」。 http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51178134.html
  「議論の批判」と「個人の批判」。                 http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51183325.html
  敵は誰か?:または「ムラが嫌いでネットに来た私」と「ネットにムラをつくりつづける人々」。
  http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51184371.html

くりずの雑感 (くりず氏)
  自分の考えに都合の良い話であれば真偽は問わない人々 http://kurizu.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_0074.html
  つぶやき http://kurizu.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_1861.html

いわれも無き罪によって無実のmiracleさんは13年間檻の中に閉じ込められていたのであった (miracleさん)
  水から伝えられたのは馬鹿の見分け方 http://miraclemiracle.seesaa.net/article/78238849.html
  篩 http://miraclemiracle.seesaa.net/article/79060859.html

Living, Loving, Thinking (SUMITA=sumita-m氏)
  陰謀理論批判(メモ)       http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080112/1200165144
  「水伝」問題についてあれこれ http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080115/1200402676

vanacoralの日記 (vanacoral氏)
  石根氏とか「ゼリ幸」氏とかと同レベルな左派系ブロガー  http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20080106
  これで文字通り水に流せる…と思います           http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20080108
  ぶいっちゃん氏、愚痴る                     http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20080114
  ごめん、kojitaken様、こればかりは同意できん       http://d.hatena.ne.jp/vanacoral/20080117

Non-Fiction(Remix Version) (うちゃ氏)
  上善如水 http://uchya.blog109.fc2.com/blog-entry-747.html

躁うつ病高齢ニートの映画・TV・床屋政談日誌 (HALTAN氏)
  信じることの満足と、信じないことの不愉快と http://blog.seesaa.jp/tb/75373760

NOBODY:PLACE (is=konaze氏)
  論拠を選ぶセンスとか http://www.nobodyplace.com/mutter/2008/01/20/031625.php

good2ndの日記 (good2nd氏)
  疑似科学、批判、道徳 http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20080120/1200799001

Apes! Not Monkeys! (Apeman氏)
右翼もすなる疑似科学といふものを、左翼もしてみむとて…  http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C497052863/E20080120151831/index.html


■ 「水伝受容批判」に対する反発・批判

らんきーブログ (ぶいっちゃん氏)
  言葉の結晶                        http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-116.html
  明けましておめでとうございます            http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-766.html
  水の話だけに水掛け論か?(笑) 【言葉の力】   http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-767.html
  共闘が共倒とならない為に・・・             http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-768.html
  色々な人に支えられて・・・ 【感謝と反省】      http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-771.html
  考える事は果たして自由か?  【脳内掃除日記】 http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-772.html

携帯版雑談日記(徒然なるままに、) (SOBA氏)
  日共の、政治系ブロガー教育大作戦が開始された模様?(笑)直観ですがね。たたき台にされた人気ブログはたまらんなぁ、。(笑)
  http://yuhodo.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_96c5.html
  きっこさんが携帯版にコメントしてくれました。しかし、何が何だかで唖然(笑)TB元携帯版雑談日記が重いと苦情が来たからとか
  http://yuhodo.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_80c3.html
  『「自民党TBP」 からパージ』の言い回しもあれですが、バナーをはってる人への侮辱は見逃せません。しかも御自分はまだバナーを
  http://yuhodo.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/tbp_ccd0.html

喜八ログ (喜八氏)
  ぶいっちゃんと共闘する http://kihachin.net/klog/archives/2008/01/rankeyblog2.html

人工樂園 (池野 土左衛門氏)
  【声明】「らんきーブログ」との連帯を表明します http://niphonese.jugem.jp/?eid=369

世の中を騒がすニュースとOLの妄想 (newsol氏)
  「水からの伝言」騒動に一言 【いらだちをコントロールする大切さ】 http://lovenews.exblog.jp/7934008

いらっしゃい!ようこそニケのブログへ^^ (ニケ=pierrot_789氏)
  お正月早々と批判を受けた<(_ _)>        http://nikemild.exblog.jp/6917717/
  探索開始^^;                     http://nikemild.exblog.jp/6927681/
  科学とは、科学的とは?             http://nikemild.exblog.jp/6934614/
  いつもこの人の言うことに感心しています。   http://nikemild.exblog.jp/6952666/
  馬鹿と賢者を見分ける目を持ちましょう(笑)  http://nikemild.exblog.jp/6954056/
  裁判官と死刑執行人と弁護士(自己弁護w)の役割が出来るなんて素晴らしい!(爆) http://nikemild.exblog.jp/6977916/
  「陥穽と」いう言葉がある                 http://nikemild.exblog.jp/6989397/
  震災被害者への思いと、今日は“うれしい”ご報告。 http://nikemild.exblog.jp/6998251/
  「工作員モドキ」の怒り(笑)              http://nikemild.exblog.jp/7035076/
  「電脳仮想空間」その一                http://nikemild.exblog.jp/7035086/
  和平の方法も、撤退の方法も知らず、戦いを仕掛けた○○○○○! http://nikemild.exblog.jp/7035004/
  「水伝騒動」について考える。第一幕の終わり?^^  http://nikemild.exblog.jp/7091804/ ●

■ 中立・仲裁・「どっちもどっち」・竹内まりや(♪けんかをやめて)

「猫の教室」 平和のために小さな声を集めよう (眠り猫氏)
  最近の政治ブログ界の論争を憂う http://heiwawomamorou.seesaa.net/article/77934585.html

わんばらんす (ココロ氏)
  敵は本能寺にあり!・・・「大同小異」でいきませんか? http://wanbalance.blog75.fc2.com/blog-entry-594.html

瀬戸智子の枕草子 (瀬戸智子=せとともこ=ともやん氏)
  水伝アレコレからみていくべきものは http://ts.way-nifty.com/makura/2008/01/post_af8c.html
  他山の石                  http://ts.way-nifty.com/makura/2008/01/post_7f2d.html
  ブログでの討論とは  追記あり    http://ts.way-nifty.com/makura/2008/01/post_f0a1.html

keep changing ! (水葉氏)
  戸惑いと悲しみと・・・ http://ameblo.jp/aqualeafree/entry-10065138221.html
  「論理」と「感情」   http://ameblo.jp/aqualeafree/entry-10065908256.html
  「共感」の立ち位置 http://ameblo.jp/aqualeafree/entry-10066347486.html

dr.stoneflyの戯れ言 (dr.stonefly氏)
  「ブログで連帯は可能なのか?」…運動とは情か原則か http://dr-stonefly.at.webry.info/200801/article_4.html
  「問題は終息しない」…感情からの解放、論理からの解放 http://dr-stonefly.at.webry.info/200801/article_5.html

みんななかよく (kuroneko=kandanoumare氏)
  いいお話なら聞きたいねえ http://ameblo.jp/kandanoumare/entry-10065146672.html

愚樵空論 (愚樵氏)
  ブログって、繋がってるってことでしょ http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-87.html

お玉おばさんでもわかる 政治のお話 (お玉おばさん=お玉氏)
  水の話は信じてないけどさ。 http://potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-177.html
  (無題)             http://potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-182.html
  真の敵に怒りを向けよ 1  http://potthi.blog107.fc2.com/blog-entry-184.html

SIMANTO BBS (simanto114氏)
  最近の政治とブログが変だよ http://simanto114.blog116.fc2.com/blog-entry-151.html

そいつは帽子だ! (gon氏)
  緩衝地帯という言論の場 http://teagon.seesaa.net/article/78873229.html

パフィンのたはごと (northpuffin=パフィン氏)
  論理的であるということ http://blog.livedoor.jp/northpuffin/archives/50844724.html