さくらおばさんの ひとりごと

日々の想いを綴ります。

第五福竜丸展示館 「企画展・手紙」

2007-12-11 | 平和
 12月7日に“ちゃんと”行ってきました。
 11月8日のような失敗をしないよう気をつけて。

 新木場駅には14時30分頃到着。

          

 この日も穏やかな晴天に恵まれました。
 (この画像は、我が家の近所で撮影。)


   今から53年前
   子どもたちは
   毎日のラジオや新聞で報じられる
   水爆実験により被災した
   第五福竜丸乗組員の容態を気遣い
   家族や友人たちと語り合っては
   お見舞や激励の手紙を書きました。
   無線長・久保山愛吉さんの訃報に接して
   クラス中で作文を書いた学校もあります。
   兄弟姉妹でお小遣いを出し合って
   お花をそなえてくださいと書き添えた
   お悔やみの手紙も届けられました。
   久保山愛吉さんと
   その家族に届けられた
   3000通の手紙から
   あの頃の子どもたちの目に映った
   ビキニ事件と
   手紙に託された心をたどります。
                (チラシより)


      手紙   子どもたちが見たビキニ事件    
   2007年9月23日(日)~12月23日(日)
     午前9時30分~午後4時
    月曜休館(月曜祝日のときは開館し火曜休館)
    入場無料

   都立第五福竜丸展示館
    (江東区・夢の島公園内)

    主催・財団法人第五福竜丸平和協会


          

 小学生や高校生の団体が数グループ、見学に来ていて、館の方が説明をしていました。

 「企画展・手紙」には、70人ほどの小・中学生達の手紙が展示されています。


 「水爆の実験さえしなければこんな目にあうことはなかったのに、と思いました」

 「どうしてこのようなものを作るのでしょう」

 「おじさん、死なないでください」

 「もう一度目を開けてください」

 「ラジオのニュースを、全身を耳にして聞いています」


 などの言葉が、拙いけれど丁寧な字でしっかりと綴られている手紙。

 肉筆ですので余計心にしみます。

 中には「大人は何をするかわかりませんから」というような言葉もありました。

 そして、「このような爆弾は作らないように、僕たちが運動をしていこうと思います」というようなものも。

 お父さんを戦争で失った子どもも何人かいました。

 久保山さんが亡くなって、残された妻・すずさんや、3人の娘さんを励ます手紙も多くありました。

 わたしが、「ああ、そうだったのか」と思ったのは、反対の世論の存在です。

 
 「見舞金をたくさんもらって羨ましい。そんなにもらえるのなら自分もそうなりたい」

 「漁師が海で死ぬのは本望。だから幸せではないか」


 これらに対して、子どもたちは「そうではない」と言ってたたかっているのです。

 このような世論があったことなど、私には記憶がなく、後年、本などで知ったことばかり。

 高校生だった私は、何をしていたのでしょう・・・。

 思い出したのは、「久保山愛吉さんが亡くなりました」と、友だちに手紙を書いたことです。
 この言葉ははっきり覚えています。


 
 「企画展・手紙」は、12月23日までです。


          第五福竜丸展示館 企画展

            http://d5f.org/event.htm#1189733669_23653

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