くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

宮鍵: 名古屋のひつまぶし

2009年12月01日 | Weblog
名古屋の納屋橋に宮鍵という老舗の料理屋がある。うなぎとかしわで有名だ。

そこの櫃まぶし。

今は、薬味の有無が選択できるが、ちょっと昔まではそうではなかった。
そうではなかったとは、薬味なんか付いていなかったということだ。櫃にはいったままのものを、丼か重のようにそのまま食べる式が、宮鍵の昔ながらの櫃まぶしだった。

ところが、しばらく行かないうちに、いば昇なんかのまねをして、薬味を付けるようになった。昔から宮鍵を知っている立場からすれば、寂しい限りだ。まあ、老舗といえども、時代の流れには逆らえないと? メディアがいけないんだろうな、櫃まぶし=薬味をのせて、なんてイメージを作っちゃうから。

でも、薬味の有無を選べるってところが、老舗の時流への抵抗かな?

でも、知らない客は、薬味の有無ごときで値段を変えやがって!なんて思うのもいるんだろうな。昔からの宮鍵を知っている立場からすれば、無粋なことだが・・。

でも、繰り返しになるが、老舗の時流への妥協、商売だから仕方がないとはいえ、やはり寂しい。

最後に、口コミなんか見てると、店員のオバちゃんたちの対応がよくないと?あれが昔ながらの宮鍵流。正直、子供の頃はちょっと怖かったりもしたけど、顔なじみになると、いい人たちばかりですよ。

それにしてもしばらく言ってないなあ・・・。

あそこのうまき、酒の肴になるんだ。酒の味を邪魔しない程よい甘みで。しかもあのおろしがよく合ってね・・。






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ふと知人のことを思い出す: ドラマ「それは、突然、嵐のように…」

2009年12月01日 | Weblog
昔(?)のドラマで山Pと江角の「不倫ドラマ」をふと思い出した。

そういえば、米国にいた頃、似たようなことがあった。

知人は、幸せそうな家庭人だった。経歴的にも多くの人がうらやむような人で、しかも美しいご夫人とお子さんがいて、はた目には幸せそうに見えた。

ところが、ドラマのタイトルのように、「それは、突然」ってなことになってしまった。ある日、文字通り突然に、私や周囲は「離婚」を知らされた。

原因はいまだ定かではない。本人に聞くわけにもいかない。ただ、うわさでは、ドラマと似たようなことがあったとのことだ。つまり、知人がギバちゃん演じた夫で、奥さんが江角。その間に、山Pよろしく別の男が割って入ったと。しかも、ドラマどおりに年下だったそうな。加えて、山Pのようなイケメンだったかどうかはいざ知らず。

真実は小説よりも何とやらというが、知人のケースもドラマよりも複雑だった。というのは、知人と年下の男に心を動かされた夫人との間には、お子さんが一人いたからだ。すったもんだあった挙句、結局米国でも母親は強く、離婚の有責者ではない知人は、家庭も、子供も失ってしまった。

それからまもなくして、私は職場からの帰国辞令があり、帰国。その後、知人ともメールで数回やり取りしたのみ。風のうわさでは、知人は今も一人。奥方も、山Pと再婚ということもなく、二人の関係も長くは続かなかった模様。知人は、子供にもほとんど会っていないんだとか。会うと奥方の顔を見なければいけないので、ツラいんだとか。未練ではなく、恨み骨髄だそうな。可愛さ余って憎さ百倍ってことなのだろう、きっと。でも、子供には関係ないと思うんだけどな。

ドラマでは、確か最後交差点で、江角とギバちゃんが再会したんではなかったか?
なんだか、関係修復あるいは復縁を匂わせるような終わり方だったけど、知人のケースを見ていると、一度夫婦の関係が、裏切った、裏切られたってことになると、そう簡単に元の鞘に納まるものかねえ・・と思えてしまう。

女性の気持ちはわからないが、男性として、女房に間男作られて裏切られたら、復縁なんて男の面子にかけてもあり得ないでしょう?子供のためにも、我慢するなんて選択もあるのかもしれないが、かりにそうした理由で復縁しても、仮面だろうし、子供が成人したら離婚だな、自分なら。

他所の男と寝た女房と夫婦関係を持つ気になれるものなのだろうか? 私はイヤです。どこの馬の骨とも知れない相手が箸を付けた食い残しのそばを食べる気になれるはずがない。あえて汚い言い方をすれば、他人が一度履いた汚れたパンツを履く気になれますか?っていう問題でしょ? 

女房をそば、パンツ呼ばわりは女性蔑視? じゃあ、もっと率直な言い方をしましょう。女房の不倫相手と「穴兄弟」になれますか、あなたは?

私は嫌です。

山Pと江角はそこまで行っていない? 確かにそうだが、結局抱き合った、肉体関係を持ったって、50歩100歩ではないかと?少なくとも、私は、そうした認識です。

ってなことを思うにつれ、しばらく連絡を取っていない知人がなんだか今更ながら哀れに思えてきてしまった。自分が彼の立場だったら、女房を殴っていただろうなあ。まあ、殺しまではしないだろうけど、でも、世が世ならば不義密通は手打ちだったんだからね。

そこまでしろとはいわないけど、やはり、姦通罪は復活させた方がよいのでは?
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鳥越俊太郎は「人種偏見発言」を謝罪せよ!

2009年12月01日 | Weblog
千葉女子大生殺害事件で、被害者の口座から現金を引き出す男の顔写真が公開された際に、鳥越は、「この顔は日本人ではない、外国人だ」と言っていた。さすがに司会者もまずいと思ったらしく、フォローしていたが、鳥越本人がそれを取り消すことも、言い直すこともしなかった。

で、果たして本当に外国人だったのか?

そうではなかった。

身体の特徴だけで、人種や民族の違いを決めつけるのは、人種偏見の典型である。戦時中の米国では、日本人と中国人の見分け方なんてばからしい比較が官によって行われたことすらあったが、鳥越発言は、同氏の人種・民族意識が60年以上前のレベルのままにとどまっていることを示している。

そんなレベルの人間が、ジャーナリストを名乗り、メディアであれこれ影響力を行使しようとする。こんな恐ろしいことがあって良いのだろうか?

ともあれ、鳥越は自らの発言の不適切を認め、何らかの謝罪をすべきだ。言い放ちはよくない。

まあ、でも、そんなことする殊勝な男じゃないだろうな。

コメント (1)
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