くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

恥知らずな婆さんだ: <東京大空襲訴訟>86歳原告「国は謝罪を」

2009年12月14日 | Weblog
以下抜粋

<東京大空襲訴訟>86歳原告「国は謝罪を」14日判決
12月13日15時3分配信 毎日新聞

 東京大空襲の被害者や遺族計131人が、国に謝罪と総額14億4100万円(1人当たり1100万円)の賠償を求めた訴訟の判決が14日、東京地裁で言い渡される。父と姉を亡くした原告の清岡美知子さん(86)=東京都練馬区=は「国は被害者に、救済措置を取らなかったことを謝罪すべきだ。死者全員の名前を刻んで弔う石碑を建てるなど誠実に対応して」と訴えている。

被害者の救済責任ってか・・・?
法的根拠は何なんだ? 今じゃなくて、当時の?

賠償金額もさることながら、この訴訟自体、私の理解と常識を越えている?
「豆が欲しいか、そらやるぞ」ってわけに、こんなわけわからん連中に金をくれてやるわけにはいくまいよ。その金も考えてみれば、我々の血税なのだから。

この連中の背後関係、興味あるなあ・・・。
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私は朝鮮(韓国)に謝罪などする気は毛頭ありません!

2009年12月12日 | Weblog
朝鮮に何を謝罪するというのだ?

秀吉の出兵か?まあ、あれは大義なき戦いであり、弁解の余地はない。

それとも、日韓併合?

ああ、それなら、一体何を謝れというのだ? 終戦で見捨ててしまったことを謝れというのか?台湾映画「海角七号」ではないが、捨てたくて捨てたのではない、戦に敗れてそうぜざるを得なかったのだ。

違う?植民地化を謝罪せよと?

それなら、断固拒否は。日韓併合に何らの過ちもなし。

私は絶対に謝罪しない。

むしろ、海外に国威を張った先人を誇りにこそ思う。
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ベゾブラーゾフの日露同盟案

2009年12月12日 | Weblog
1904年1月って、もう既にベゾブラーゾフがかつてのような影響力を失っていた時期では?

現にニコライ二世は、同盟案に興味を示したということは寡聞にして聞いたこちはない。以前、Russian Reviewという学術誌に掲載された論文によれば、ニコライが日露開戦の可能性に懸念を抱くようになったのは、実際の開戦の2週間ほど前だという。

おそらく、同盟案などベゾブラーゾフ一人かその取り巻き連中の個人的な考えに過ぎず、ニコライはじめロシア政府の考慮・模索することろではなかったということなのであろう。

つまり、開戦前夜、ロシアの対日不妥協という姿勢に変化が生じていたわけではなかったということではないのか?

ひるがえって、2月初旬に開戦に踏み切った小村をはじめ日本側の対応を評価するならば、ロシアの対日姿勢の基調に変化のないことを見失わず、ロシア公使からの情報を過大視して安易に飛びつかなかった点で、むしろ評価されるべきではないのだろうか?

和田春樹先生としては、日露戦争=自衛戦争という図式を崩したい、何とかして日本側に批判の矛先を向けたいとの思惑があるのだろうが、そんな「釣り」に一斉に飛びつくマスコミって、やはりまだ自虐したいのかねえ・・・?

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鳩山民主党政権は逆賊、朝敵だ!

2009年12月12日 | Weblog
ついに、鳩山政権は、叡慮を犯した・・・。

小沢の意向があったという。そして最後に決断したのは政権だ。鳩山だ。

こいつらは、ことごとく逆賊、朝敵である。

朝敵は滅ぼされねばならない、必ず、必ず!

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生まれながらの”ラッキーマン”=小泉進次郎

2009年12月09日 | Weblog
最近アニマックスで放映中に「ラッキーマン」に親子してはまっている。

つーいてつーいてつきまくる、という八代亜紀の歌う主題歌のサビが耳について離れないくらいだ。

子供たちは、八代亜紀が誰なのかも知らず、「ラッキー、クッキー、八代亜紀」なんて歌っている。

先日、それを見ながらふと、

「小泉ジュニアってのも、ある意味ラッキーマンだよなあ」

と。

しかも、マンガのラッキーマンの場合は、らっきょを食べて変身するまでは追手内洋一という名前のとおり、まったくアンラッキーな中学生なのだ。ところが、変身すればたちまちにして、実力はないのに敵を倒せてしまう正義の味方になってしまうのである。

小泉ジュニアも、学歴的には、我が国の大学序列において最底辺の関東学院大学。まあ、率直に言って、アホ大学である。亡くなった父はよく私に「○○大学(三流行)に行くくらいだったら、学費は出さんから、就職するか、自衛隊へ行け」と言ったものである。が、関東学院の場合、その三流大学よりもこれまたはるかにレベルが低い。

コロンビア大学留学なんてのが、肩書きについているが、まあ米国の一流大学の院に入ろうとすれば、「関東学院卒」という時点で、アウトである。米国国内の学生に対しても、学部レベルでの出身大学が非有名校である場合、願書を出してもはなから相手にしないというケースはある。今お騒がせの某プロゴルファーの出身大学(とは言っても彼は卒業していないのだが)の日本研究の某教授は、「うちはブルーカラー大学出には入学許可を出さない」と、まさにそのブルーカラー出の知人に言い放ったそうだ(まあ、それだけで大学人いや教育者として失格だろ、コイツは?)。まあ、そこまで露骨にいう人間はあまりいないだろうが、あまりレベルの低い大学では、成績がよくとも一流校の院にはあいてにもしてもらえないというのはよくあることだ。つまり、小泉ジュニアの場合、「なんらかの事情」があってコロンビアが入れてくれたということに違いない。

そしてその「ある事情」こそは、ジュニアがラッキーマンたる最たるものではないのか。つまり、小泉純一郎の子として生まれたということである。まあ、小泉家に生まれたがゆえに、母親を事実上知らず、その意味で家庭的にはアンラッキーなのかもしれないが、少なくとも彼の場合、社会的にはそれがラッキーな方向へと働いているわけだ。父親の地盤をそのまま労なく継承し、しかもその知名度と強固な支持基盤に支えられ国会議員の座を手に入れたのである。

しかも、これは母親にも感謝しなければいけないのだろうが、イケメンである。政治家にとってやはり見たくれは大事だ。亀井静香を見ればわかる。あのお世辞にも「普通」とも言えないブサイクさ。一説には、本人もあの容貌にはコンプレックスを抱いているとか。それから、小沢一郎。あれも何とも言えないブサイク、しかも人相が実に悪い。まあ、あの歳であの人相ってのは、そういう人生を歩んできたってことなんだろう。

小泉の血統やイケメンというだけではなく、自民党大敗北という状況のなかで生まれた若手新人議員として、今や自民党の宣伝マンとしての役割を担わされている。つまり、ジュニアは自民党の看板に依存しなくても議席を維持できるだろうが(横粂氏は次回大変だろうなあ・・・)、自民党は今やジュニアに頼らざるをえないのだ。これを梃子にジュニアが自民党の中で頭角を現す可能性は否定できない。他の一年生議員にはとてもマネのできることではない。しかも、それは、彼自身の実力のなせるわざではなく、生まれながらに与えられたものによってもたらされたものなのだ。

追手内洋一はらっきょを食べないとラッキーのはなれないが、小泉ジュニアの場合、らっきょを食べずしてラッキーマンになれるわけだ。いや、純一郎の子として命を授かったときから、「生まれながらのラッキーマン」なのだ。

人間運だけで人生がどうこうなるものでもないが、運がない人間はどんなに実力があっても陽の目をみないのもこれまた事実だ。しかも、その運というものは、呼び込もうと思って呼び込めるものでもない。むしろ運を求めれば逃げていくケースの方が多いのではないか。

この「生まれながらのラッキーマン」、オツムの方はイマイチみたいだが、これからも目を話すことができない存在であると、私は思っている。

追記 横粂は戦う相手を間違えた。家柄もない。でも頭脳はあった。見た目も悪くはない(声はショボいが)。風にのって国会議員にもなれた。でも、「敵」は彼以上に運に恵まれていた。まあ、運な無かったということだね。






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米国市場におけるトヨタの「災難」から予感する今後の世界

2009年12月02日 | Weblog
米国でトヨタがいろいろとトラブルに巻き込まれている。「陰謀論」的な見方もある。米国政府や米国の一部にそうした思惑をもってそうした行動に出ている勢力が存在するのか否かは知らないが、今、米国にある種の「雰囲気」というか「動き」みたいなものが生まれつつあるのではないだろうか。

つまりそれはトヨタに対してだけではない、「排外」というやつだ。

かつて90年代の始めにも米国衰亡論が論じられ、米国内では国産品購入が推奨されたことがあった。これに似たやつだ。しかも、今後のそれは、かつて米国経済に回復とともに消えてしてまったものとは大きくことなる動きをみせることになり、日本企業はその大波に、おそらく今後当分続く円高の波とともに、翻弄されることになるだろう。つまり、米国は、自由貿易主義を手前勝手にかなぐり捨て、保護主義的な方向に走るだろう。建前では自由主義貿易の放棄なんて決して言うまい。でも、実質的には国内産業保護、外国企業・製品排除の方向に向かうだろう。なぜなら、米国景気は今後当分回復しないからだ。「本音と建前」は日本人の専売特許のように言われるが、実は、欧米人こそ狡猾にそれを使い分けるという事実を知るべきだ。表向きは耳触りのいい原理原則や理想を雄弁に語りながら、裏では一般の日本人には考えの及ばないようなえげつないことをするのが欧米人なのだ。

かといって、戦後の日米関係をすっかり清算してしまえば良いという単純なものではない。残念ながら、我が国にそうする力も準備もない。ただ、米国に対する見方、姿勢をもっと計算づくの怜悧なものに切り替えていく必要はある。おかしな対米幻想を抱かないことだ。米国から学ぶべきを学ぶのは良い。今後も続けようでないか。しかし米国は理想郷ではないし、「友人」でもない。あくまでも、互いの計算づく、狐と狸の化かしあいをしながらの、関係でしかないのだから、所詮。所詮、人種、宗教等の壁は越えられない。あの人たちは、我々とは「違う」、完全に理解しあうなんてはムリ。でも、まだ利用価値はある、ということなんだろうなあ・・。いかに米国が対外的な軍事的なプレゼンスを縮小せざるを得ないとはいえ、アジア地域をそっくりそのまま中国の覇権にゆだねるなんてことは、オバマが余程の馬鹿でもない限りしないでしょう。まあ、もっとも、ゲイツみたいな間抜けが国防長官やっている限り若干のブレが生じ、それが対外的にも波風を立てることはあるだろう。でも、キルギスの件しかり、米国は中国の今後の動向に備えて、東アジアから安易に引くなってことはしないだろう。

その中国は、残念ながら、ダメ。今がムリしすぎで、早晩ボロが出る。それでも「地域」としての中国は発展し続け、国際的なプレゼンスを拡大し続ける。しかし、「国家」としてはこれからさまざまな苦難に喘ぐことになるだろうなあ・・。「地域」として相対的に発展し続け、「国家」として苦悩する? どういうこっちゃ?と思う人もいるだろうが、あの国、地域の歴史を振り返れば、政治的にはハチャメチャでありながら、経済的・文化的には発展を続けるなんてことはよくあったことで、今後しばらくはそういうことになるのではないかと。まあ、だからこそ、台湾有事の可能性は高まるだろうけど。

インド、も期待薄。そもそも、あの国に何を期待するというのだ? 市場としての価値、あるいは中国をけん制するうえでの戦略的価値以外にはなにもない。まあ、それだけあれば十分なのだが、それだけ。世界秩序の構築ないしは維持に何らかの役割を期待?あの自己中度では中国人に負けないインド人にそんなことを期待すること自体、猫にワンと鳴けというようなものだ。それに、あの国はあの国で、発展はするのであろうが、いろいろと問題を抱えていて、混沌も同時並行で続いていく。

では、EU? いや、あそこもダメ。欧州の金融・経済はとてつもなく大変なことになっているはずなのだが、あまりにも平穏すぎる。これこそが、怪しい。しかし、今「隠蔽」されている危機は必ず噴き出して、あの地域を混乱に陥れることになるだろう。最近のドバイの危機に対する欧州の動揺をみるにつけ、やかり導火線は中東か? あそこには、導火線が何本もあるから。どこかで火がつけば、欧州はたちまちに・・。

ロシア? はは、御冗談を。

ブラジル? 所詮ラテンアメリカ。まあ、それなりに発展は続けるだろうが、所詮ちゃらんぽらんですから。

では、残るは神州日本? いや、これもダメ。もっとダメ。米国にイジめられ、円高と輸出減でガタガタ。財政はもう一縷の望みもなし。結局、堕ちるところまで堕ちるしかない。そして、そこから明治維新なみの国家改造を行うしかないでしょう。きっと、後10-20年は苦しみ続けると思うけどなあ。「政権交代」なんてなまやさしいことでは、この国は変わらないし、救われることもないでしょう。

というわけで、世界中が苦しむことになる。でも、苦しみは永久ではない。終わらない冬はない。結局は、柔軟性とダイナミズムに富む米国あたりが、一抜けして、かつてにような存在感は回復できないにしても、やはり大国、超大国の一つとして存在感を示していくのでは?

だから、嫌でも、どんな嫌なヤツでも、米国とはそれなりに付き合っていかなくてはならない。それが日本のみならず、各国の宿命では? 特に、隣にやっかいな国々を持つ我が国は、太平洋をはさんだ隣国の大国との関係はおざなりにはできないでしょう? 米国をいかにうまく利用し、いかに国益を損なわない程度に利用されるか、ってのが日本の対外政略の要であり続けるでしょう、きっと。
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宮鍵: 名古屋のひつまぶし

2009年12月01日 | Weblog
名古屋の納屋橋に宮鍵という老舗の料理屋がある。うなぎとかしわで有名だ。

そこの櫃まぶし。

今は、薬味の有無が選択できるが、ちょっと昔まではそうではなかった。
そうではなかったとは、薬味なんか付いていなかったということだ。櫃にはいったままのものを、丼か重のようにそのまま食べる式が、宮鍵の昔ながらの櫃まぶしだった。

ところが、しばらく行かないうちに、いば昇なんかのまねをして、薬味を付けるようになった。昔から宮鍵を知っている立場からすれば、寂しい限りだ。まあ、老舗といえども、時代の流れには逆らえないと? メディアがいけないんだろうな、櫃まぶし=薬味をのせて、なんてイメージを作っちゃうから。

でも、薬味の有無を選べるってところが、老舗の時流への抵抗かな?

でも、知らない客は、薬味の有無ごときで値段を変えやがって!なんて思うのもいるんだろうな。昔からの宮鍵を知っている立場からすれば、無粋なことだが・・。

でも、繰り返しになるが、老舗の時流への妥協、商売だから仕方がないとはいえ、やはり寂しい。

最後に、口コミなんか見てると、店員のオバちゃんたちの対応がよくないと?あれが昔ながらの宮鍵流。正直、子供の頃はちょっと怖かったりもしたけど、顔なじみになると、いい人たちばかりですよ。

それにしてもしばらく言ってないなあ・・・。

あそこのうまき、酒の肴になるんだ。酒の味を邪魔しない程よい甘みで。しかもあのおろしがよく合ってね・・。






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ふと知人のことを思い出す: ドラマ「それは、突然、嵐のように…」

2009年12月01日 | Weblog
昔(?)のドラマで山Pと江角の「不倫ドラマ」をふと思い出した。

そういえば、米国にいた頃、似たようなことがあった。

知人は、幸せそうな家庭人だった。経歴的にも多くの人がうらやむような人で、しかも美しいご夫人とお子さんがいて、はた目には幸せそうに見えた。

ところが、ドラマのタイトルのように、「それは、突然」ってなことになってしまった。ある日、文字通り突然に、私や周囲は「離婚」を知らされた。

原因はいまだ定かではない。本人に聞くわけにもいかない。ただ、うわさでは、ドラマと似たようなことがあったとのことだ。つまり、知人がギバちゃん演じた夫で、奥さんが江角。その間に、山Pよろしく別の男が割って入ったと。しかも、ドラマどおりに年下だったそうな。加えて、山Pのようなイケメンだったかどうかはいざ知らず。

真実は小説よりも何とやらというが、知人のケースもドラマよりも複雑だった。というのは、知人と年下の男に心を動かされた夫人との間には、お子さんが一人いたからだ。すったもんだあった挙句、結局米国でも母親は強く、離婚の有責者ではない知人は、家庭も、子供も失ってしまった。

それからまもなくして、私は職場からの帰国辞令があり、帰国。その後、知人ともメールで数回やり取りしたのみ。風のうわさでは、知人は今も一人。奥方も、山Pと再婚ということもなく、二人の関係も長くは続かなかった模様。知人は、子供にもほとんど会っていないんだとか。会うと奥方の顔を見なければいけないので、ツラいんだとか。未練ではなく、恨み骨髄だそうな。可愛さ余って憎さ百倍ってことなのだろう、きっと。でも、子供には関係ないと思うんだけどな。

ドラマでは、確か最後交差点で、江角とギバちゃんが再会したんではなかったか?
なんだか、関係修復あるいは復縁を匂わせるような終わり方だったけど、知人のケースを見ていると、一度夫婦の関係が、裏切った、裏切られたってことになると、そう簡単に元の鞘に納まるものかねえ・・と思えてしまう。

女性の気持ちはわからないが、男性として、女房に間男作られて裏切られたら、復縁なんて男の面子にかけてもあり得ないでしょう?子供のためにも、我慢するなんて選択もあるのかもしれないが、かりにそうした理由で復縁しても、仮面だろうし、子供が成人したら離婚だな、自分なら。

他所の男と寝た女房と夫婦関係を持つ気になれるものなのだろうか? 私はイヤです。どこの馬の骨とも知れない相手が箸を付けた食い残しのそばを食べる気になれるはずがない。あえて汚い言い方をすれば、他人が一度履いた汚れたパンツを履く気になれますか?っていう問題でしょ? 

女房をそば、パンツ呼ばわりは女性蔑視? じゃあ、もっと率直な言い方をしましょう。女房の不倫相手と「穴兄弟」になれますか、あなたは?

私は嫌です。

山Pと江角はそこまで行っていない? 確かにそうだが、結局抱き合った、肉体関係を持ったって、50歩100歩ではないかと?少なくとも、私は、そうした認識です。

ってなことを思うにつれ、しばらく連絡を取っていない知人がなんだか今更ながら哀れに思えてきてしまった。自分が彼の立場だったら、女房を殴っていただろうなあ。まあ、殺しまではしないだろうけど、でも、世が世ならば不義密通は手打ちだったんだからね。

そこまでしろとはいわないけど、やはり、姦通罪は復活させた方がよいのでは?
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鳥越俊太郎は「人種偏見発言」を謝罪せよ!

2009年12月01日 | Weblog
千葉女子大生殺害事件で、被害者の口座から現金を引き出す男の顔写真が公開された際に、鳥越は、「この顔は日本人ではない、外国人だ」と言っていた。さすがに司会者もまずいと思ったらしく、フォローしていたが、鳥越本人がそれを取り消すことも、言い直すこともしなかった。

で、果たして本当に外国人だったのか?

そうではなかった。

身体の特徴だけで、人種や民族の違いを決めつけるのは、人種偏見の典型である。戦時中の米国では、日本人と中国人の見分け方なんてばからしい比較が官によって行われたことすらあったが、鳥越発言は、同氏の人種・民族意識が60年以上前のレベルのままにとどまっていることを示している。

そんなレベルの人間が、ジャーナリストを名乗り、メディアであれこれ影響力を行使しようとする。こんな恐ろしいことがあって良いのだろうか?

ともあれ、鳥越は自らの発言の不適切を認め、何らかの謝罪をすべきだ。言い放ちはよくない。

まあ、でも、そんなことする殊勝な男じゃないだろうな。

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