くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

最近の「渡嘉敷島集団自決事件」報道をめぐって その2: 人の生き様

2006年09月01日 | Weblog
誤解しないでもらいたい。

筆者は、なにも照屋証言を全面否定し軍命令はあったのだ!、などと言いたいのでない。座間味島の集団自決同様、軍命令など実際はなかったのではないかと筆者も考えている。加えて史実としての怪しさがかねてから指摘されてきたものが、史実としてまかり通り、それによって苦しめられてきた人間がいた(いる)という事実に心の痛みを感じずにはいられない。それどころか、思い込みや捏造・歪曲、あるいは歴史検証への怠慢に胡坐したままに赤松氏にような個人を糾弾してきた者達への怒りすら禁じ得ない。

それはさておき、この一件のみをとっても、人の生き様の一様ではないことを痛感せざるをえない。

あくまでも照屋証言が真実を伝えるものとの前提としてでの話だが、赤松氏が戦後長く渡嘉敷島住民を慮り「十字架」を背負い、世間の糾弾に甘んじ続けたとすれば、その生き様に胸熱くなるの感を禁じえない。氏をしてここまでの自己犠牲を選択した理由はいざしらず、軍の地元住民への暴虐の責任者というレッテルを貼られてまで、それに従容と数十年を行き続けた氏の強さには感服せざるを得ない。人は斯く生きることのできる強さを持つ生き物なのかと・・。筆者に真似のできるわざではない。

意を決して「真実」を語った照屋氏にもいくばくかの評価を与えたいとは思う、いくばくかではあるが。座間味島では、島民女性が、真実を明らかにした島民女性が、それによってかえって周囲の避難に晒されたという事例もあったそうであるから、照屋氏も証言をするにあたってそれなりの覚悟と勇気が必要であったはずだ。しかしながら、戦後61年を過ぎ今更の感は否めまい。照屋氏は「共謀者」であった玉井村長(個人)と「この話は墓場まで持っていこう」と誓い合っていたという。また余命幾許もない赤松氏からの要請にもかかわらず、真実を明らかにしなかったのは、援護法の適用を受けている人々への影響を懸念してのことであったという。

言葉がきつすぎるとの批判は甘んじて受けよう。だが、あえて言いたい(よしりんなら「ごーまんかましてよかですか」となるところか? ちなみに筆者はお国言葉でいえば、「ごーまんかましてもええきゃ?」になる)。照屋氏をはじめとする渡嘉敷島の人々は、人を食らうことを選択し、それによって戦後数十年を生きてきたことに他なるまい。背に腹は変えられぬという。かつてアンデスの山中でおきて飛行機墜落事故で、生存者は人の死肉を食らって命を繋いだことがあったが、筆者はそれを非難はしない。当時の渡嘉敷島住民の置かれた状況も人倫や人としての誇りなどとはいってはおれぬものだったのかもしれない。いや、きっとそうであったのだろう。何が何でも軍命令というシナリオを捏造してでも、国の援助という生きていく糧が是が非でも必要だったのだろう。しかしながら、武士は食うわねど、とも言う。そんな極限的状況を経験したことのないから偉そうなことはいえぬが、渡嘉敷島の住民が極限的な苦境を通り越した後も赤松氏を「餌食」にし続けてきたことに、筆者は納得できないものがある。他人を犠牲にしてでも生き延びたいというのは、誰もが持つ根源的な欲望に違いないが、それにしても・・・、と思わずにはいられない。

照屋氏は「悪いことをしました」と手を合わせてきたというが、それは自己満足というものだ。手をあわせて救われるのは、赤松ではなく照屋氏自身に他ならないからだ。

照屋氏だけではない。真相を知る渡嘉敷島住民の中から、真実を明らかにしようという声が戦後数十年の間に起こることはなかったのだろうか。かりにそういう気持ちがあったとしても、それが行動に移されることがなかったのは、それによって国の援助という「打ち出の小槌」を失うことを恐れたからのではないのか。あるいは、それゆえにこそ、真相を明らかにすることをためらわせる「圧力」なりそれに類する「雰囲気」のようなものが島の社会にあったたのではないのか。換言すれば、島ぐるみの共犯関係が、赤松氏を犠牲にし続け、真実を隠蔽してきたのではないのか。もっとも、繰り返しになるが、沖縄戦そして戦後と辛酸の限りを嘗め尽くしたのであろう島民の方々の労苦に十分な共感を示せるだけの人生経験を筆者は持たぬから、えらそうなことは言えぬが・・。

沖縄戦を直接経験していない渡嘉敷島の住民も、赤松氏を「喰らって」生きてきたことを忘れてはなるまい。彼らの父母あるいは祖父母が赤松氏という犠牲をもって国の援助を得ることで、自らの命を保ち、家族を養う戦後生活の基盤を構築することができたのだということを忘れてはならない。

赤松氏に対してだけではない。渡嘉敷島は、歴史の捏造によって公金を得ることで、これまで日本国民をも欺き続けてきたことになるのだ。

いささかなりとも、赤松氏に対して、また長年にわたって欺き続けてきた国民に恥じ入る気持ちがあるのなら、ただ単に手を合わせるだけではなく、また照屋氏のみに任せるのではなく、贖罪の行動を起こすべきではないのか。

照屋証言が真実とするなら、渡嘉敷島と歴史の捏造と公金の事実上の詐取に加担した厚生省(現厚生労働省)も責任の一端を認めるべきではないのか。ところが役人というものは、特に学歴エリートで人を下に見て生きてきた高級官僚という類の人間は人情の機微といものに疎い者達のようだ。マスメディアの官僚出身政治家に関して「人情の機微に・・・」との人物評を紹介したものを見たことがある。また、一昨年の東南アジアでの津波の被害を受けた邦人への在外公館の気の利かないといか冷たい対応に関する記事をも読んだことがある。もっとも、マスメディアの情報操作や捏造というものは既に周知のことであるから、そうした人物評なり記事を鵜呑みにすることには用心を必要とするのかもしれないが、厚生労働省審査室長山内忠淳氏によれば、「軍命令がなかったという話も聞いているが、再調査はしない」(山内忠淳・審査室長)とのこと。お役所にはお役所の都合といもののあろうが、公金詐取にもかかわる問題に「再調査はしない」とは、納税者ないしは国民を馬鹿にした言い草だ。それ以上に、集団自決の強制の事実の有無は、赤松氏並びにその家族の名誉にかかわる問題ではないのか。もっとも、再調査しないことは、援護法の適用を受けてきた渡嘉敷島住民への人情のなせるわざなのかもしれない。ただし、中央官庁として一つ大きな問題を忘れてはなるまい。椿原泰夫氏(稲田朋美衆院議員の実父)の指摘するように、軍命令事実の有無は、国家の名誉にかかわる問題のはずだ。そのような問題を、国家行政にかかわる官庁が「再調査」せずとは、何事と言うべきか。(www.jiyuu-shikan.org/faq/daitoasensou/okinawa.html)

人の生き様と言えば、照屋証言に対して、大江健三郎、岩波書店、そして沖縄タイムズの諸氏が、今後どのように対応してくるのか、興味のあるところである。彼らの対応の如何にもまた、人としての生き方が投影されてくるに違いない。

吉田松陰の歌に、かくすればかくなるものと知りながら、已むに已まれぬ大和魂
がある。泉岳寺に立ち寄った際のものだという。

渡嘉敷島の住民や厚生労働省がしてきたことはさしづめ、かくすれば かくなるものと知りながら 已むに已まれぬ人身御供、でったのではないか。

人として斯くあるべしとの思いを、そのまま実際の生き様に投影することの容易ならざることなど誰でも知ってはいるはずだ。しかしながら、それを「已むを得ない」、「仕方が無い」と自分への言い訳にしてしまうところに、人としての弱さがあることも、これまた認めんわけにはいくまい。

一個の人として、男として、日本人として、そして子の親としての生き様をもう一度自分自身に問いかけながら見つめなおしてみたいと思う。





コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 最近の「渡嘉敷島集団自決事... | トップ | 「変態」山拓の変節 その2 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事