くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

『五体不満足』乙武君の「災難」

2006年09月08日 | Weblog
『五体不満足』の乙武洋匡氏のブログでの発言がネット上で物議を醸している模様。毎日新聞によれば、賛否のコメントが殺到してブログが”炎上”だという。

騒動の発端となったのは、9月7日に乙武氏がブログ上に掲載した「紀子さま出産」。短い文章なので以下に全文載せることにする。

  紀子さま出産
  
  世間は昨日から「めでたい、めでたい」と騒いでるけど……
  ひとつの命が誕生したことがめでたいの?
  それとも誕生した命が「男児だったから」めでたいの?
  どちらにしても。
  これで、また大事な議論は先送りにされてしまうんだろうなあ…。
  (sports.cocolog-nifty.com/ototake/mail)

皇室の慶事に水を差した差さないとかいう以前に、これでは一寸言葉が足りないの感は否めず、誤解されたり、突っ込みを入れられても仕方があるまい。筆者のようなどこの誰とも知れない人間のブログではないのだ。数百万部を売り上げた著作を持つ有名人なのだ。日本国中プロもいればアンチもいるであろうことは、本人も認識しているはずだ。そんな御仁にしてはずいぶんとワキの甘いことをしたものである。ネットだから大丈夫とでも高をくくっていたとしたら、メディアに自らを露出してメシを食う者としては、現状認識が甘過ぎる。

乙武氏も、自らの言葉足らずが「誤解」と「憤り」を生じたことを自覚しているようで、翌7日、「深くお詫びします」との一文を同じくブログ上に掲載している。これまた前文載せてみたい。

  深くお詫びします
  
  2ちゃんねるを中心に、たいへんな反響を呼んでしまっているようです。
  お騒がせして、たいへん申し訳ありません。
  言葉足らずの文章を書いたために、多くの方の誤解と憤りを招いてしまったこ  とを、深くお詫びするとともに、弁明させていただければと思います。
  まず、今回、親王のご誕生を「めでたくない」と考えているように受け取られ  る文章を書いてしまったことを、深く、深く、反省しています。
  むしろ、僕は親王のご誕生を「おめでたいこと」「よろこばしいこと」だと思  っています。それは、性別の如何を問わず、ひとつの命が誕生したことを「よ  ろこばしい」と思っているのです。
  ところが、ご誕生を受けてのマスコミ報道や世論には、少なからず「男の子で  よかった」という風潮が感じられました。そのことに、僕は抵抗を感じてしま  ったのです。
  男であろうが、女であろうが、皇室であろうが、民間人であろうが、命の重さ  は等しく、尊ばれるもの。そう思っていた僕には、内親王がご誕生した時より  もはるかに舞い上がった今回の慶事ムードに違和感を覚えてしまったのです。
  どんな命でも尊いはずだ。
  その結論を急ぎすぎたあまり、ご誕生に対するよろこびの気持ちを欠いた表現  となってしまいましたことを深くお詫びするとともに、みずからの文才のなさ  を恥ずかしく思うばかりです。
  最後に、僕と同様の疑問を感じていた友人からのメールを紹介させてくださ   い。
  「テレビで『親王以外にも今日生まれた子おめでとう!! 』なんてセリフを言  ってくれるアナウンサーいたらカッコイイのになあ」
  思慮が足りず、みなさまにはたいへんご迷惑をおかけいたしましたことを深く  お詫びします。
  (sports.cocolog-nifty.com/ototake/mail)

筆者は乙武氏に対してプロでもアンチでもなければ、「叩いてやろう!」などというつもりもないが、ここに、氏とは見解を異にする点があることだけは、以下に述べておきたいと思う。

乙武氏は「ご誕生を受けてのマスコミ報道や世論には、少なからず「男の子でよかった」という風潮が感じられました。そのことに、僕は抵抗を感じてしまったのです。」と語っているが、筆者は氏とは違い何らの抵抗も感じない。なんとなれば、筆者も「親王様でよかった」と思っている一人なのだ。皇位継承問題について、「女帝はOK,女系は断固反対(女系の天皇などというものはそもそも存在しえない)」の立場をとる筆者にしてみれば、尚更のことである。

たとえ継承問題について筆者とは考えを異にしたとして、天皇制度(皇室制度? 少なくとも天皇制とは言うまい。個人的には国体と呼ぶことを最上とするが)の存続を否定しない日本人ならば、ごくごく自然に抱く感情ではないのだろうか。

忘れてはならないのは、今回の親王様誕生は、皇室においては41年ぶりのこと。天皇家、東宮家、幾つかの宮家とあって過去40年以上も男子の出生が無いというのは、決して普通なことではるまい。我々一般国民のレベルでも、自分のとこだけではなく、三四親等のうちに40年以上も男子が誕生していないなんて家はそうそうあるまい。それに加えて今回の41年ぶりの慶事は隣近所ではなく皇室でのことである。将来日本国・国民の統合の象徴になられるであろう方のお生まれなのだ。男子のご誕生に、またまたの女子ご誕生よりも、国民が歓喜として、何ら奇異とすることではあるまい。

また、もしお生まれになったのが内親王様であったなら、皇位継承に対する国民の不安感がより高まることになったであろう。男系男子の皇位継承のみを認めない現行の皇室典範の下、皇位継承者がここ40年一人も増えていないというということは、将来必ず皇統断絶の危機が訪れるであろうことは、誰にでも容易に想像できることだ。しかも、それを回避するための策としての皇室典範改正も、今年の常会への改正案の提出が見送られるなど、先行きが見えてこない。このような状況下で、天皇制度を否定しない国民が、皇室の将来に不安を抱いたとしても、何ら不思議ではあるまい。その不安の中での親王様ご誕生は国民感情に差し込んだ一筋の光のごときものだったのではないだろうか。もっとも、今回の親王様ご誕生によって皇統の将来的な危機が回避されたわけではない。「これで40年は」などとコメントした自民党総裁候補の某もいた。その某氏、妹君は某宮家の若宮様のお妃、すなわち皇室とは縁戚関係におありの方なのだからより一層驚きなのだが、皇統の行く末がそのような能天気なことが言っていられる状況でないことに変わりはないのだ。

乙武氏は、「男であろうが、女であろうが、皇室であろうが、民間人であろうが、命の重さは等しく、尊ばれるもの」と思うからこそ、「内親王がご誕生した時よりもはるかに舞い上がった今回の慶事ムードに違和感違和感を覚えてしまった」とのことだが、親王様ご誕生に「内親王がご誕生した時よりもはるかに舞い上がった」からといって、国民の多くが氏のいう命の重さの等しさや尊さという考えを共有していないということではあるまい。斯く言う筆者は、人の命に軽重や尊卑は「ある」と思っているが・・。

果たして、天皇陛下や皇族の方々と、筆者のようなド平民の命が現実の社会において等しく重く尊いものとして扱われ得るであろうか。とても不謹慎な例だが、例えば、今回お生まれになった親王様と筆者の子供が川か海で溺れているとしよう。そこで、一人しか助ける余裕がないとしたら、あなたはどちらを助けますか。日本国民として父親として筆者にとっては究極の選択ではあるが、一般の国民の多くにとっては必ずしも究極というほどのものでもあるまあいし、普通に考えて、アンチ天皇・皇室でもなければ親王様をお助けることを選択するであろう。こういう例をあげると、だから天皇制(度)などというものは、君主制などというものはということを言い出す御仁も出てこようから、かわりに、親王様とウチの子を最近人気の「ハンカチ王子」とそこらの見ず知らずの同年輩のイケメンではない高校生としよう。さあ、どちらを助けますか。イケメン優勝投手をやっかむ野郎どももがいるとしても、同じく答えは明々白々ではないだろうか。それでも、「どんな命でも尊いはず」なんて言っていられますか?確かに尊いには尊いのだろうが、その尊さが等しくないってのが、現実なんじゃないのだろうか・・・。

最後にもう一つ、乙武氏にご意見申し上げたい。氏は、「深くお詫びします」という9月7日の文章を、次のように結んでいる。

  最後に、僕と同様の疑問を感じていた友人からのメールを紹介させてくださ   い。
  「テレビで『親王以外にも今日生まれた子おめでとう!! 』なんてセリフを言  ってくれるアナウンサーいたらカッコイイのになあ」
  思慮が足りず、みなさまにはたいへんご迷惑をおかけいたしましたことを深く  お詫びします。

筆者は、上述のように乙武氏と考えを異にする部分はあっても、今回の「筆禍(と言うほどのものとは全く思わないが)」が詫びるような類のものだとはいささかも思わないのだが、氏が「深く」詫びるというのであれば、なぜ見方を同じくする友人のメールを紹介する必要があるのだろうか。こうした行為を「詫び」とは言うまい。詫びるならば、自身の言葉でするべきであり、他人の、しかも自分の立場を擁護するようなメールを紹介すれば、「あなた本当に詫び気があるの?」との疑問を呈されても仕方あるまい。「詫びる」ことを選択したのは乙武氏自身であり、「深くお詫びします」と言った以上は、詫びに徹する潔さを持つべきであったと思うのだが・・・。

コメント
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