くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

5年目の9・11 その1: あの日あの時

2006年09月13日 | Weblog
あれから5年目の9月11日を迎えた。

平成13(2001)年9月11日を忘れはしない。いつも朝4時半に起きるのに、その日に限って寝坊してしまった。筆者は当時仕事柄まだ夏休み。ただし午前中に大事なミーティングを控えていた。筆者の薄給のため共稼ぎする妻と託児所に行く子供を送り出し、TVにスイッチを入れると、いきなり「あの」映像が眼前に現れた。

ワールドトレードセンターには、学生時代、年末に観光でNYCに行った際立ち寄ったことがある。個人的に決して好みの建築物ではなく、「でかいな」とは思いながらも、内も外も「不細工なデザイン」という印象を持ったものだが、摩天楼の中でもひときわ高くそびえるツインタワーの一つからは黒煙が、そしてまさにもう一つにも飛行機が飛び込みオレンジ色の炎を上げ爆発する映像であった。

映像を見た瞬間、驚きはしなかった。まだ完全に目が醒めていないこともあったが、俄かにそれを現実として理解することができなかったのだ。新作映画の紹介か何かと勘違いし、「最近のCGはすごいなあ」と思ったのだ。だが、そう思った直後、TVから聞こえてくるアナウンサーかリポーターの声に、それがまごうことなき現実であることを悟った。あわただしくチャンネルを変えてみたが、どの局も同じ文字通り衝撃的な映像が流れていた。

その日は結局一日中TVに釘付けとなった。予定されていたミーティングは、予定していた場所が筆者が暮らす某州の公共施設であったために万一に備えて閉鎖となり、急遽キャンセルになってしまったのだ。

この一件の他にも、筆者の身の回りに事件の余波が若干及ぶことになった。

事件のおきた週末に予定されていた日本人コミュニティーの運動会が急遽延期となったのだ。

中止ではなく延期であり、結局次の週末に開催となったのだが、そこにいたるまでの顛末がいかにも「日本的」であった。事件に直面し、主催者は何をしたか。独自に思考し判断を下す前に、米国内の他の日本人コミュニティーと連絡を取り、「おたくはどうされますか」と聞き回ったのだ。加えて最寄の総領事館の判断を仰いだ。在外邦人の安全確保を職責とする総領事館に連絡を取るのはよしとして、自分なりに考え判断することなしに、他所がそうするなら自分たちも、という行動の主体性の欠如は我々日本人によくみられることではないだろうか。

話は9・11とは関係ないのだが、主体的判断を放棄した日本人の横並び意識の別例としてあきれ返ったことが、数年前にあった。筆者の暮らす地域に一大活動拠点を持つ某日系大企業が米国での事業立ち上げ25周年記念行事の一環としてディナーパーティーを催した時である。地元関連企業や下請けの経営者たちも招待を受けた。そのほとんどは日本から進出した企業の日本人経営者たちである。こちらの流儀で言えばディナーパーティーは言わずもがなに夫婦同伴。招待された側の日本人のご夫人方は、当然こちら流で自分たちもと、ディナードレスを新たに買うなどして、滅多にない大きなパーティーに嬉々としながらその日に待ちわびていた。ところが、である。パーティー主催者側の社長が夫人を同伴せずに来米することが判明やいなや、その情報は瞬く間に、電話、メールで広まり、横一列、パーティー当日は日本人客は皆ご夫人方を同伴せずの出席とあいなったのだ。もっとも、米国人招待客は、当然のことながらさにあらず。夫人を同伴しなかった本社社長にどのような理由があったかは知らぬが(好くなくとも離婚したとか、男寡という話を聞いたことはないが)、正直言って、20年以上も米国で商売してきたにもかかわらず、しかもこの大企業にして・・・とあきれてしまった。米国人招待客は、夫人を伴わぬ日本人たちを奇異に思い、ジャパンの異質さを改めて感じたに相違ない。もっとも、ジャパンをよく知る者は、驚きもしなかったかもしれないが。その大企業、以前「当社は日本企業ではありません」とのたまったそだが、言葉とは裏腹にどっぷり日本的な一面を25周年という晴れの場で晒してしまったのだ。生半可なことは言うものではない。何でも迎合すればよいとは決して思わぬが、郷に入らば郷に従えということをもう少し真剣に理解した法がいいと思ってしまう。金儲けのために見知らぬ土地に来たくせに、その土地の流儀や人情を理解しようとせぬ日本人って結構多いというのが、少なくとも筆者の周りの現実なのだ。

運動会の話に戻るが、加えて外務省の対応も、これで良いのかと首をかしげるものであった。ワシントンDCにある駐米日本大使館が、「中止するのが妥当との判断であったが、最寄の総領事館は「延期は考慮の必要があっても、取りやめることはない」との見解を下していた。後者が前者に一致しない判断を下したとして、それ自体は外務省の組織的に問題ではないらしい。だが、外務省が保護の責務を負う在外邦人の立場としては、アドバイスを仰いだ相手が異なった判断なり見解を下しては、余計に混乱し独自の判断を下しかねてしまう。確かに、テロの標的になった
ペンタゴンに近いDCにある大使館と、まず標的にはなるまい地方都市にある総領事館とでは、危機意識に差異があったとして不思議ではあるまいが、だからよいって在米邦人への対応がそのように一貫性のないものでは困る。そこは霞ヶ関がしっかりとしたイニシアティブを取るべきであったが、それが無かったということではないのか。もっとも、外務省に在外邦人を保護する意思があれば、の話だが。

運動会参加者の一人であった筆者を腹立たせたのは、主催者の延期説明のいい加減さ、不誠実さであった。予定されていた日の数日前に「都合により延期」とだけ電話連絡が回ってきた。余程の間抜けでもなくば、かりにおおよその理由は見当がついていたとして、「都合によりってどいうこと」と不審に思っても当然で、さすがに是に腹を立てたのは筆者だけではなかった。それからまた数日後に「翌週の週末に開催」との再度の連絡があったのだが、当日は欠席者が例年になく多く、団体競技やリレーの類など会の進行に若干の支障をきたし、舞台裏はてんてこ舞いとなった。欠席者の多くは、安全に確証が持てなかったり、主催者の説明の不十分に不審を持ったためであったと直接間接に聞き及んだ。そこでさすがに一言いわねばならぬばかりに、主催者に対して、延期という決定に及んだ経緯について、参加者に向けて、事前に「都合により」ではなくつまびらかに説明すべきであったし、今更ではあってもあえて説明することでけじめをつけるべきと意見した。すると、意外にすんんりと聞き入れ、関係ホームページ上において運営委員会の話し合いの過程と詳細を掲載してくれたのは、せめてもの救いだった。もしそうした事情説明まで拒否したなら、筆者は今頃幸いに何ら商売上の柵も無いその関係者とは完全に関係を絶っていたことであろう。

続く

コメント
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