東北地方第二の都市で今、県立美術館の移設問題が議論を呼んでいる。
移設がとやかくされる背景には、この美術館がいくつかの問題を抱えているからだ。まず、入場者実績がよろしくない。年間1万人余。その多くが県外からの来館者だという。それでは施設としての存立目的や存在意義が問われても仕方あるまい。よもや「存在することに意義がある」とは言うまい。次に、施設自体にも問題がある。老朽化し高齢者、身障者対応の設備が欠如していたり、寒冷地にある美術館としては致命的なことに冬場には館内に結露が生じるという。
現在位置の最寄にあり再開発が計画されている空地に移設しようとの案が持ち上がっているのだ。この町も他の地方都市同様衰退が続いている。町の中心部のそれは顕著で、人の流れは郊外の大型商業施設へと向かう。それで町の中心部にある某病院跡地に複合商業施設の建設でもって再開発し、にぎわいを取り戻そうとの計画なのだ。そしてその「にぎわい」のために県立美術館もそこに移そうではないかというのだ。ありふれた発想だが、既存の大型商業施設に負けぬ魅力と十分な駐車スペースが確保できれば、それなりの成功はおさめることができよう。但し、地域活性化の起爆剤になるかというと、逆に周辺の既存の商業施設から更に人を奪うことになる可能性もないわくえではなく、商業施設さえ作ればそれで後は万事うまくいくというわけにはいくまい。また、公共交通機関の乏しい地方都市である。町の中心部に人を呼びたいのであれば、十分かつ無料あるいは最悪でも安価な駐車スペースの確保と周辺の道路整備も必要になるはずだ。さもなくば、交通の不便さや商業施設オープンに伴う渋滞等で敬遠され、思ったほど客足が伸びないなどという事態になりまえまい。現時点にままでは自家用車で行くには非常に不便な場所であることは間違いない。
対して、2年前から美術館を運営する財団法人は「反対」の姿勢を取っている。財団役員がマスコミに答えたところでは、人の多い商業施設と併設では美術館の静寂が保たれないとのこと。にわかに信じがたい反対理由である。これは建前であって、真の反対理由が他にあるのではないかと疑いたくもある。板子1枚で作った掘立小屋を美術館にするというわけではあるまい。周囲の環境が人ごみで騒々しいものになっとして、美術館の内部の静寂を保つことは可能なはずだ。むしろ人が多く訪れる立地にあれば買い物ついでに美術館へ足を運ぶ人もいるはずで、今より来館者が増えることも見込めるはずだ。美術館は土蔵ではないのだ。多くの人に美術品を公開してこそそ存在意義もあるというものだ。静寂が保たれないというのは、「当館にはあまり人に来ていただきたくはない」と聞こえてしまっても致し方あるまい。多くの人に見せたくないのであれば、それこそ土蔵の奥にでもしまっておけばいいのだ。
繰り返しになるが、もし上記が移設反対の真の理由であるならば(とは、あまりにもバカげた反対理由で信じ難いが)、発想が貧困であり思考力があまりにも乏しいとしか言いようがない。率直に言って「低能」の発想というか、発想以下、発想ですらない。そうした思考程度の人間が美術館の運営をするということは、美術館や収蔵の美術品ばかりではなく、地域の人々にとっても非常に不幸なことだ。こうした間抜けな言い分がまかり通るようなお粗末が特殊例ではなく沈滞する地方都市における共通ないしは類似の状況だとすれば、地方の停滞・衰退はまさに「人災」であると言わざるをえない。道路を作ったところでどうなるものでもないように思えてしまう。この都市はここ10年以上自殺率全国一位という県に位置する。それ以上の不名誉はないことだが、この美術館論争も公にされている反対理由を聞く限り、実に情けないことである。
移設がとやかくされる背景には、この美術館がいくつかの問題を抱えているからだ。まず、入場者実績がよろしくない。年間1万人余。その多くが県外からの来館者だという。それでは施設としての存立目的や存在意義が問われても仕方あるまい。よもや「存在することに意義がある」とは言うまい。次に、施設自体にも問題がある。老朽化し高齢者、身障者対応の設備が欠如していたり、寒冷地にある美術館としては致命的なことに冬場には館内に結露が生じるという。
現在位置の最寄にあり再開発が計画されている空地に移設しようとの案が持ち上がっているのだ。この町も他の地方都市同様衰退が続いている。町の中心部のそれは顕著で、人の流れは郊外の大型商業施設へと向かう。それで町の中心部にある某病院跡地に複合商業施設の建設でもって再開発し、にぎわいを取り戻そうとの計画なのだ。そしてその「にぎわい」のために県立美術館もそこに移そうではないかというのだ。ありふれた発想だが、既存の大型商業施設に負けぬ魅力と十分な駐車スペースが確保できれば、それなりの成功はおさめることができよう。但し、地域活性化の起爆剤になるかというと、逆に周辺の既存の商業施設から更に人を奪うことになる可能性もないわくえではなく、商業施設さえ作ればそれで後は万事うまくいくというわけにはいくまい。また、公共交通機関の乏しい地方都市である。町の中心部に人を呼びたいのであれば、十分かつ無料あるいは最悪でも安価な駐車スペースの確保と周辺の道路整備も必要になるはずだ。さもなくば、交通の不便さや商業施設オープンに伴う渋滞等で敬遠され、思ったほど客足が伸びないなどという事態になりまえまい。現時点にままでは自家用車で行くには非常に不便な場所であることは間違いない。
対して、2年前から美術館を運営する財団法人は「反対」の姿勢を取っている。財団役員がマスコミに答えたところでは、人の多い商業施設と併設では美術館の静寂が保たれないとのこと。にわかに信じがたい反対理由である。これは建前であって、真の反対理由が他にあるのではないかと疑いたくもある。板子1枚で作った掘立小屋を美術館にするというわけではあるまい。周囲の環境が人ごみで騒々しいものになっとして、美術館の内部の静寂を保つことは可能なはずだ。むしろ人が多く訪れる立地にあれば買い物ついでに美術館へ足を運ぶ人もいるはずで、今より来館者が増えることも見込めるはずだ。美術館は土蔵ではないのだ。多くの人に美術品を公開してこそそ存在意義もあるというものだ。静寂が保たれないというのは、「当館にはあまり人に来ていただきたくはない」と聞こえてしまっても致し方あるまい。多くの人に見せたくないのであれば、それこそ土蔵の奥にでもしまっておけばいいのだ。
繰り返しになるが、もし上記が移設反対の真の理由であるならば(とは、あまりにもバカげた反対理由で信じ難いが)、発想が貧困であり思考力があまりにも乏しいとしか言いようがない。率直に言って「低能」の発想というか、発想以下、発想ですらない。そうした思考程度の人間が美術館の運営をするということは、美術館や収蔵の美術品ばかりではなく、地域の人々にとっても非常に不幸なことだ。こうした間抜けな言い分がまかり通るようなお粗末が特殊例ではなく沈滞する地方都市における共通ないしは類似の状況だとすれば、地方の停滞・衰退はまさに「人災」であると言わざるをえない。道路を作ったところでどうなるものでもないように思えてしまう。この都市はここ10年以上自殺率全国一位という県に位置する。それ以上の不名誉はないことだが、この美術館論争も公にされている反対理由を聞く限り、実に情けないことである。