農薬入り餃子、作る方が悪いし、いい加減な検査体制で輸入、販売した側も二義的に悪い。
ただ、餃子、餃子と騒がれる中で、ふと思ったことがある。それは「最近は餃子も自分とこで作らんのか!?」ということである。餃子が冷凍食品の定番となって店に並ぶようになって既に久しいのだから、今更と言われてしまえば、返す言葉もないわけだが、それにしても「餃子くらい・・」と思ってしまう。
というのは、子供の頃我が家では餃子は手造りであった。皮以外は。具は母が、包むのは手先の器用な祖母が。今でも我が家では餃子は手造りだ。今は、私がすべてをこなしている。長男は「餃子はお父さんのが一番!」と言ってくれる。まあ、他人様にしてみれば「この餃子のどこが一番なんだ?」ということになるのだろう。私自身、外で食べて「プロがこの程度か?」と思うことはある。関西の某有名店のものを取り寄せた時には、その不味くはないが決して「まいうー!」とは言えず且つどことなく"下品"な味付けに「へっ!?」と思ったこともある。だからと言って、それほどのものとは決して思っていない。まだまだの発展途上。かと言って今後もそれほど進化するとは思えない。でも、長男的には「一番おいしい!」そうで、事実、彼は外で食べると食べっぷりが芳しくない。
それはさておき、餃子を買うのが当たり前の時代なのだろうか、今は? 餃子は決して楽にできるものとは思わない。家族四人ともなれば、しかもその中に大人に加えて食べざかりでもいれば、作る数も二桁では済むまい。我が家にして既にそうなのだ。共稼ぎ家庭ともなれば、餃子を包む時間すらないのかもしれない。
「でも」、と思う。主婦だったら、それくらいの時間ねん出できるはずだ。餃子も自分で包まずして何が「主婦」だ!とすら思う。
仕事持ちの女性に対しても、やはり、「でも」、と思う。週末なら手造り餃子、できるでしょう?
何も餃子は女性が作るものとは限るまい。私同様、男だってやろうと思えばできるはず。週日は仕事?では週末に。週末はゆっくりしたい?
そういう言い訳をしているから、食がおろそかになる。おろそかになり、手を抜き、楽をした挙句の、今回の騒ぎではないのだろうか?
何も餃子に限らない。最近の冷凍食品、ありとあらゆるものがある。味もバカにならない。ただ、「これくらい自分で作れるだろう?」と思うものが少ないないのも事実だ。「時間がない」、「うちは共稼ぎだから忙しい」、なんて言い訳をあれこれしているうちに、食卓は中国産に依存し、そこに問題が発覚すれば右往左往。
これを機会に「手作り」をもう一度考え直してみては?と思うのだが、おそらく、そうはならないだろうと今後を悲観的に予測してみる。企業側は、供給元の多様化を模索するだろうし、中国での品質管理・安全管理の改善で今の危機を切る抜けようとするだろう。消費者も、餃子は手造りでという方向には向かわず、しばらく買い控え、食べ控えて、騒ぎが収まった頃には再び冷凍餃子に手を延ばすようになるだろう。あるいは、安直に多少高くてもと「国産」に切り替えるのではないだろうか。一度楽を覚え怠け癖のついた消費者が、あえて手間暇をかけてでもと食の営みを見直す方向に向かうとは思えないのだ。
味にはこだわるくせに、食のもっと根幹の部分を軽んじる人々の将来が明るいとは思えない。そしてそれは我が国の将来でもあるのだ・・。
ただ、餃子、餃子と騒がれる中で、ふと思ったことがある。それは「最近は餃子も自分とこで作らんのか!?」ということである。餃子が冷凍食品の定番となって店に並ぶようになって既に久しいのだから、今更と言われてしまえば、返す言葉もないわけだが、それにしても「餃子くらい・・」と思ってしまう。
というのは、子供の頃我が家では餃子は手造りであった。皮以外は。具は母が、包むのは手先の器用な祖母が。今でも我が家では餃子は手造りだ。今は、私がすべてをこなしている。長男は「餃子はお父さんのが一番!」と言ってくれる。まあ、他人様にしてみれば「この餃子のどこが一番なんだ?」ということになるのだろう。私自身、外で食べて「プロがこの程度か?」と思うことはある。関西の某有名店のものを取り寄せた時には、その不味くはないが決して「まいうー!」とは言えず且つどことなく"下品"な味付けに「へっ!?」と思ったこともある。だからと言って、それほどのものとは決して思っていない。まだまだの発展途上。かと言って今後もそれほど進化するとは思えない。でも、長男的には「一番おいしい!」そうで、事実、彼は外で食べると食べっぷりが芳しくない。
それはさておき、餃子を買うのが当たり前の時代なのだろうか、今は? 餃子は決して楽にできるものとは思わない。家族四人ともなれば、しかもその中に大人に加えて食べざかりでもいれば、作る数も二桁では済むまい。我が家にして既にそうなのだ。共稼ぎ家庭ともなれば、餃子を包む時間すらないのかもしれない。
「でも」、と思う。主婦だったら、それくらいの時間ねん出できるはずだ。餃子も自分で包まずして何が「主婦」だ!とすら思う。
仕事持ちの女性に対しても、やはり、「でも」、と思う。週末なら手造り餃子、できるでしょう?
何も餃子は女性が作るものとは限るまい。私同様、男だってやろうと思えばできるはず。週日は仕事?では週末に。週末はゆっくりしたい?
そういう言い訳をしているから、食がおろそかになる。おろそかになり、手を抜き、楽をした挙句の、今回の騒ぎではないのだろうか?
何も餃子に限らない。最近の冷凍食品、ありとあらゆるものがある。味もバカにならない。ただ、「これくらい自分で作れるだろう?」と思うものが少ないないのも事実だ。「時間がない」、「うちは共稼ぎだから忙しい」、なんて言い訳をあれこれしているうちに、食卓は中国産に依存し、そこに問題が発覚すれば右往左往。
これを機会に「手作り」をもう一度考え直してみては?と思うのだが、おそらく、そうはならないだろうと今後を悲観的に予測してみる。企業側は、供給元の多様化を模索するだろうし、中国での品質管理・安全管理の改善で今の危機を切る抜けようとするだろう。消費者も、餃子は手造りでという方向には向かわず、しばらく買い控え、食べ控えて、騒ぎが収まった頃には再び冷凍餃子に手を延ばすようになるだろう。あるいは、安直に多少高くてもと「国産」に切り替えるのではないだろうか。一度楽を覚え怠け癖のついた消費者が、あえて手間暇をかけてでもと食の営みを見直す方向に向かうとは思えないのだ。
味にはこだわるくせに、食のもっと根幹の部分を軽んじる人々の将来が明るいとは思えない。そしてそれは我が国の将来でもあるのだ・・。