くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

オバマ vs. クリントン: 決戦場はオハイオ?

2008年02月13日 | Weblog
スパーチューズデイ後のオバマ候補の”快進撃”が止まらない。だが、言うまでもなく、オバマ、クリントンの戦いの帰趨が見えてきたわけではない。

やはり山場は来月初旬のテキサス、オハイオという大州ということになろう。

ただ、テキサスはといえば、ヒラリー陣営が自壊状態に陥り、取れて当たり前のヒスパニック票をも逃すことにでもなれば別だが、順当にいけば、ヒラリー勝利ということであろう。

一方、オハイオは、これまでヒラリーの優先が鮮明だったが、ここにきてオバマの追い上げが激しいようだ。一部の支持率調査では後者が僅差にまで追い上げてきている。だが、スパーチューズデイの時もそうであったように、米国メディアによる支持率調査はあてにならないことがしばしばある。2004年の大統領選挙の出口調査では、2000年の選挙同様に勝敗の行方を大きく左右すると目されてきたフロリダで「ケリー有利」、「ケリー勝利の可能性」との調査報道とは逆に、ブッシュが勝利し、メディアのうちからも反省の弁が聞かれた。ところがその反省は今回あまり生かされていないようである。したがって、調査結果とは異なり、実はヒラリーがいまだ優位を保っているかもしれないし、あるいは既にオバマに逆転されているのかもしれない。

テキサスはヒラリーは順当に取るという前提で言えば、オハイオこそ彼らの勝敗の行方にある程度の流れをつくる「決戦の場」となるのではないだろうか。

大統領選挙でも、オハイオはKeyとなる。それは単にジンクスというだけではなく、オハイオの人口における人種割合は全米のそれに一致しているため、オハイオで出た結果がそのまま全米での結果に一致するということになるようだ。もっとも、今後はオハイオの「指標」としての注目度は過去のものになる可能性もある。というのは、オハイオの人種構成は、全米においてヒスパニックが占める割合を反映していない。近年同州内でのヒスパニックの数が増えているとは言え、その割合はいまだ低いのだ。既にヒスパニックの投票行動が選挙結果を大きく左右する可能性は既に2000年の選挙あるいはそれ以前から指摘されていたわけで、オハイオの結果をもってしては全米のヒスパニックの動向を測ることはできないという状況になるのは、案外そう遠くはないことかもしれない。

ただ、今回の選挙ではオハイオはいまだ大統領選挙における注目州のひとつであり、代議員の数から言っても、オバマ、ヒラリー双方とも絶対に取りこぼしたくはない州にはかわりがない。特にオバマとしてみれば、テキサスでの取りこぼしをオハイオで挽回したいという思いは強いはずだ。かりに両州とも取りこぼすことになったとしても、惜敗レベルでなくてはなるまい。惜敗で踏みとどまることができれば、今週の連勝が生きてくるし、テキサス、オハイオ以外の州での勝利如何では、党の大統領候補指名への光明が見えてくるというものだ。

私は、共和党政権の方が日本にとっては好ましいと思っている立場だ。確かに共和党政権でもニクソンのように我が国に煮え湯を飲ませた輩もいた。ただ、煮え湯を飲ませた結果が日本を好ましからざる行動へと走らせたのはまずかった。おろかな選択をした日本も日本だが、ニクソン・キッシンジャー政権も自業自得。キッシンジャー、キッシンジャーと有難がる向きもあるが、いかに有能な人間とてそんなものなのである。要は、やつらは、日本に煮え湯を飲ませた後のことまで思いがいたらなかった。そして、そのツケはいまだに東アジアの国際政治に影を指している。
話が逸れた。私がいいたかったのは、確率的に共和党政権の方がベターだろうと・・。というわけで、マケイン政権誕生を最上としよう。

ところが、現在の状況はマケインに限らず共和党には不利だ。これまかりは所与の条件としていかんともしがたい。では、民主党が政権奪還とあいなった場合、ヒラリーか、オバマか。私はオバマがベターとみる。ヒラリーでは否応なく旦那の外交スタイルを引きずるだろう。旦那が日本に対して仇ばかりをなしたとは決して言わないし、思ってもいない。が、かりに旦那の体外政策を「クリントン外交」と呼ぶとしたら、あれほど方向性の定まらないそして結果的にも・・・な外交もないものだ。北朝鮮しかりパレスチナしかり。ヒラリーが夫の経験を「失敗」としたうえで外交政策に取り組んでくれれば幾ばくかの幸いかもしれないが、それは虫の良すぎる期待というものであろう。それ以前に、私はあの夫婦には92年の選挙以来、いわく言いがたい生理的な嫌悪感を感じるのだ。軽薄というかなんというか、彼らが表で見せている姿や言動に信が置けないと大統領選挙キャンペーン中から感じていたものだが。少なくとも旦那に関しては、その「嫌な感じ」は当たっていたけど・・。過去の不倫、ホワイトウォーター疑惑、モニカと・・・。ただ、それを支持した米国人も米国人で。「徴兵忌避だろうが、汚いことやって蓄財していようが、不倫しまくりだろうが、そんなの関係ねえ!」一昔の米国だったら、大統領になれる人間ではなかったはずなのだが・・・。

それにマケインvs.オバマの選挙戦になった時に、人種意識、人種の壁というものがどう作用するか、見てみたいと思うのだ。もっとも、本当に人種の壁を見たければ、いっそのことオバマにホワイトハウスの主になってもらった方がより見物なのかもしれいが・・。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いかにもアメリカ人らしい言い訳: 沖縄米兵暴行事件

2008年02月13日 | Weblog
「またかの関」よろしく、沖縄で米兵による婦女子暴行事件。

逮捕された米兵の言い分に思わず苦笑(といったら不謹慎ですけど)。覆いかぶさり、キスをしようとしたことは認めながらも、「レイプはしていない」と。

いかにハグ、キスは当たり前の国の人とはいえ、そういうことをする間柄でなければ、無理やりなら尚更、彼の国でも警察沙汰になることは間違いなし。

もっとも、大統領からしてオーバルオフィスで所謂「オーラルセックス」という行為をしかも妻以外の女性とやらかし(場所柄、妻だったらOKというわけでもあるまいけれど)、ことが露見した挙句に「自分は性行為とは認識していない」とのうのうと言ってのけるお国柄だ。そして、そんな下半身の品行お下劣な大統領が退任後の今でも国民の間で人気は上々。そして夫を一度ならずも「奪われた」女としてはふがい無い妻は、今かつて夫が夫曰く「性行為ではない」という行為を行った場所目指して懸命のキャンペーンを繰り広げている。

今回逮捕された米兵もそんな国の決して上等ではない類の階層から出た人間に違いない。米兵の兵卒や下士官なんて大体がそんなもの。

屁理屈であろうが、詭弁であろうが、自己の利益になる可能性があるならば、自己弁護の用になるのであれば、開かぬ口は無いのが、あの国の人たちなのだ。同意のない押し倒し、接吻はレイプではない、性的暴行ではないという理屈くらい、上述の前大統領のような頭脳の持ち主でなくともたやすいことなのだ。それを言って恥じることなど毛頭なし。

我々日本人には驚きいる言い分だ、と言いたいところだが、最近はどうも我が国人も内面的にも「欧米化」しつつあるのかもしれない。先日ここでも触れた「路上人間凶器」一色紗英の「かかってきた電話に出ただけ」発言。正気なら多少の知能の良し悪しに関係なく、言って通用する言い訳でないことはわかるはずだ。それでも、言いはる。こんな日本人が増えているとしたら、実に悲しいことだ。

こちらがあんぐりしてしまうような物言いをするのは何も米国人だけではない。彼の隣国の人々もそうではないか。反日デモの際、国際法遵守を怠っておきながら、彼の国の前外相は、ことの原因を我が国に押し付けてきたではないか。某桜井女子が既に指摘しているように、今回の毒入り餃子事件をめぐる向こうの言い分も意味深だ。両国友好の発展を阻害する分子がかりに向こう側にいたといして(まあ犯人は動機が何であれ向こう側の人間であることは間違いあるまいが)、その動機が国家間の友好促進に反対するものだとして、犯人を犯行に至らしめた背景には歴史問題がある、つまり我が方にも責任の一端がある、と主張できる余地を残しておきたい、という魂胆が見え隠れする、というのは思い込みがすぎるだろうか。

かつて日本人は世界を「虎狼の海」とたとえ、万国を「敵」とみなした時代があったが、今の国際情勢も昔とさほど変わらぬものと思った方がよいのかもしれない。さもなくば、そのうちに領土をかすめ取られながら「失地回復」と開き直られる羽目になるやもしれない。「人をみたら泥棒と思え」、これは外の世界の見方としては、外の世界で生きていくうえにおいては正しい。泥棒、強盗やそれに類する輩が白を黒とぬけぬけと恥もなく言ってのけながら大道をかっぽするような国や社会が我が国の外にはあるのだから。

追記 ちなみに私は「反米」ではありません。過去の遺恨とか「このやろう!」と思うところはありますけど、「反米」主義者ではない。まあ、「反米主義者」のレッテルを張られたとして、それで困るということもないのですが、自己認識としては「反米」ではない。↑で言いたい放題言っていますが、それが米国人の「現実」の姿なのですから、それが嫌でも何でも、「現実」はそのままに受け入れるしかないと思っています。中には可変な現実もあるのでしょうが、国民性とか民族性というものはそう簡単に変えられるものではない。であるならば「そこが変だよ米国人!」とばかりに、彼らの忌み嫌うべき点を憎んでも仕方がない。憎んで向こうが変わるものならいくらでも憎もうが、感情をぶつけたところで、こちらも向こうの感情の反撃にあうだけ。後は泥試合。そんなことなら、彼らの憎むべき点も「現実」としてそのまま受け入れたうえで、「アメリカ人というのはかくかくしかじかな人間たちなのだ」と呑みこんで付き合っていけばいいのではと。実際、アメリカ人、憎むべき点もありますが、愛すべきところも多々ありますよ。向こうに10年余暮らして、「この野郎!」と思ったことも多々ありますが、いまだに感謝してし尽せないような経験もこれまた多々ありまして。人はあって七癖といいますからね。他者の憎むべきも愛すべきもすべて受け入れてこそ相手を冷静に見つめることができるのかなあと・・。恋人同士、夫婦、家族、親子でもそうじゃありませんか?愛憎を踏まえてこそ、互いに互いを理解することができるってのは。まあ、いかに肉親といえども別人格同士ですから100%の相互理解なんてありえないですけど。他国、多民族、他人種なら尚更ということで。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする