くまわん雑記

時々問い合わせがありますが、「くまわん」というのは、ある地方の方言です。意味はヒミツです。知る人ぞ知るということで。

どちらも大人げない: 橋下&NHK

2008年02月12日 | Weblog
言った言わぬの平行線。名探偵コナン流にいえば「真実は一つ」のはずだが、今のところ双方の主張がまったくかみ合わず、真相は知る由もなし。

橋下府知事も過密スケジュールの文字通りの東奔西走でお疲れだったのだろうが、
府知事ともあろう人が、みっともない。若さゆえの過ちといういいわけが通るような年齢、立場ではない。逐一において府知事として、男として、人としての器の軽重が問われることを忘れてはなるまい。加えて、7人の子の親として、子供に見せたくはないむざまである。子供は思慮せずとも作れるが、一旦親になったら、よくよく思慮せねば子供に背中を見せられぬ羽目になる。

本当にスケジュール調整行き違いだったとしたら、府知事のスタッフは何していたんだ?とはいえ、府知事本人がスケジュール調整するわけでもなかろうに。まあ、立場上、「とんだ無能なスタッフを雇っちまったもんだ」とはたとえ胸のうちで思っても口には出せない。それこそ、人の上に立つ者としての器量が問われかねない。

いずれにせよ、橋下府知事、のっけから味噌を付けた。

NHKも言うに事欠いてというやつだ。放送中にのっけから「遅刻ですよ」とやらかせば、それまでの経緯を知らない視聴者は、ことに真相はさておき、府知事が「遅刻した」と思わないわけはないし、そこから批判が出たとしても不思議ではなるまい。大げさかもしれないが、府知事の支持率にも影響を及ぼしかねない。そんなことにも思い至らなかったのだろうか。それでもって、「場をなごませようと思った」との釈明。司会の女子アナのとっさの個人的な判断だったのかもしれないが、その判断は間違いだった。知恵も足りなかった。結果論かもしれないが、結果を問われるのが、大人の世界というものだ。「なごませようと思った」はいいが、結果としてそうはならなかった。

「公器」を手中にするNHK。その影響力の大きさ、怖さを自覚していてしかるべきだ。メディアの報道の仕方ひとつで、人一人の人生なぞ簡単に左右できる。それがたとえ権力者、有名人であろうともだ。その自覚がないからあのような言葉を平気で口にすることができるのではないのか。

どっちもどっちで、大人げないというか、未熟だ。その未熟者が、かたや政治権力を握り、かたや情報伝達手段という武器をもって絶大な社会的な影響力を持つ。これは実におそろしいことである。キチガイに核ボタン、刃物とまでは言うまいが、子供にハンドルを握らせるよりも場合によっては被害は甚大になる可能性はある。
実に怖い世の中である。

コメント
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