「またかの関」よろしく、沖縄で米兵による婦女子暴行事件。
逮捕された米兵の言い分に思わず苦笑(といったら不謹慎ですけど)。覆いかぶさり、キスをしようとしたことは認めながらも、「レイプはしていない」と。
いかにハグ、キスは当たり前の国の人とはいえ、そういうことをする間柄でなければ、無理やりなら尚更、彼の国でも警察沙汰になることは間違いなし。
もっとも、大統領からしてオーバルオフィスで所謂「オーラルセックス」という行為をしかも妻以外の女性とやらかし(場所柄、妻だったらOKというわけでもあるまいけれど)、ことが露見した挙句に「自分は性行為とは認識していない」とのうのうと言ってのけるお国柄だ。そして、そんな下半身の品行お下劣な大統領が退任後の今でも国民の間で人気は上々。そして夫を一度ならずも「奪われた」女としてはふがい無い妻は、今かつて夫が夫曰く「性行為ではない」という行為を行った場所目指して懸命のキャンペーンを繰り広げている。
今回逮捕された米兵もそんな国の決して上等ではない類の階層から出た人間に違いない。米兵の兵卒や下士官なんて大体がそんなもの。
屁理屈であろうが、詭弁であろうが、自己の利益になる可能性があるならば、自己弁護の用になるのであれば、開かぬ口は無いのが、あの国の人たちなのだ。同意のない押し倒し、接吻はレイプではない、性的暴行ではないという理屈くらい、上述の前大統領のような頭脳の持ち主でなくともたやすいことなのだ。それを言って恥じることなど毛頭なし。
我々日本人には驚きいる言い分だ、と言いたいところだが、最近はどうも我が国人も内面的にも「欧米化」しつつあるのかもしれない。先日ここでも触れた「路上人間凶器」一色紗英の「かかってきた電話に出ただけ」発言。正気なら多少の知能の良し悪しに関係なく、言って通用する言い訳でないことはわかるはずだ。それでも、言いはる。こんな日本人が増えているとしたら、実に悲しいことだ。
こちらがあんぐりしてしまうような物言いをするのは何も米国人だけではない。彼の隣国の人々もそうではないか。反日デモの際、国際法遵守を怠っておきながら、彼の国の前外相は、ことの原因を我が国に押し付けてきたではないか。某桜井女子が既に指摘しているように、今回の毒入り餃子事件をめぐる向こうの言い分も意味深だ。両国友好の発展を阻害する分子がかりに向こう側にいたといして(まあ犯人は動機が何であれ向こう側の人間であることは間違いあるまいが)、その動機が国家間の友好促進に反対するものだとして、犯人を犯行に至らしめた背景には歴史問題がある、つまり我が方にも責任の一端がある、と主張できる余地を残しておきたい、という魂胆が見え隠れする、というのは思い込みがすぎるだろうか。
かつて日本人は世界を「虎狼の海」とたとえ、万国を「敵」とみなした時代があったが、今の国際情勢も昔とさほど変わらぬものと思った方がよいのかもしれない。さもなくば、そのうちに領土をかすめ取られながら「失地回復」と開き直られる羽目になるやもしれない。「人をみたら泥棒と思え」、これは外の世界の見方としては、外の世界で生きていくうえにおいては正しい。泥棒、強盗やそれに類する輩が白を黒とぬけぬけと恥もなく言ってのけながら大道をかっぽするような国や社会が我が国の外にはあるのだから。
追記 ちなみに私は「反米」ではありません。過去の遺恨とか「このやろう!」と思うところはありますけど、「反米」主義者ではない。まあ、「反米主義者」のレッテルを張られたとして、それで困るということもないのですが、自己認識としては「反米」ではない。↑で言いたい放題言っていますが、それが米国人の「現実」の姿なのですから、それが嫌でも何でも、「現実」はそのままに受け入れるしかないと思っています。中には可変な現実もあるのでしょうが、国民性とか民族性というものはそう簡単に変えられるものではない。であるならば「そこが変だよ米国人!」とばかりに、彼らの忌み嫌うべき点を憎んでも仕方がない。憎んで向こうが変わるものならいくらでも憎もうが、感情をぶつけたところで、こちらも向こうの感情の反撃にあうだけ。後は泥試合。そんなことなら、彼らの憎むべき点も「現実」としてそのまま受け入れたうえで、「アメリカ人というのはかくかくしかじかな人間たちなのだ」と呑みこんで付き合っていけばいいのではと。実際、アメリカ人、憎むべき点もありますが、愛すべきところも多々ありますよ。向こうに10年余暮らして、「この野郎!」と思ったことも多々ありますが、いまだに感謝してし尽せないような経験もこれまた多々ありまして。人はあって七癖といいますからね。他者の憎むべきも愛すべきもすべて受け入れてこそ相手を冷静に見つめることができるのかなあと・・。恋人同士、夫婦、家族、親子でもそうじゃありませんか?愛憎を踏まえてこそ、互いに互いを理解することができるってのは。まあ、いかに肉親といえども別人格同士ですから100%の相互理解なんてありえないですけど。他国、多民族、他人種なら尚更ということで。
逮捕された米兵の言い分に思わず苦笑(といったら不謹慎ですけど)。覆いかぶさり、キスをしようとしたことは認めながらも、「レイプはしていない」と。
いかにハグ、キスは当たり前の国の人とはいえ、そういうことをする間柄でなければ、無理やりなら尚更、彼の国でも警察沙汰になることは間違いなし。
もっとも、大統領からしてオーバルオフィスで所謂「オーラルセックス」という行為をしかも妻以外の女性とやらかし(場所柄、妻だったらOKというわけでもあるまいけれど)、ことが露見した挙句に「自分は性行為とは認識していない」とのうのうと言ってのけるお国柄だ。そして、そんな下半身の品行お下劣な大統領が退任後の今でも国民の間で人気は上々。そして夫を一度ならずも「奪われた」女としてはふがい無い妻は、今かつて夫が夫曰く「性行為ではない」という行為を行った場所目指して懸命のキャンペーンを繰り広げている。
今回逮捕された米兵もそんな国の決して上等ではない類の階層から出た人間に違いない。米兵の兵卒や下士官なんて大体がそんなもの。
屁理屈であろうが、詭弁であろうが、自己の利益になる可能性があるならば、自己弁護の用になるのであれば、開かぬ口は無いのが、あの国の人たちなのだ。同意のない押し倒し、接吻はレイプではない、性的暴行ではないという理屈くらい、上述の前大統領のような頭脳の持ち主でなくともたやすいことなのだ。それを言って恥じることなど毛頭なし。
我々日本人には驚きいる言い分だ、と言いたいところだが、最近はどうも我が国人も内面的にも「欧米化」しつつあるのかもしれない。先日ここでも触れた「路上人間凶器」一色紗英の「かかってきた電話に出ただけ」発言。正気なら多少の知能の良し悪しに関係なく、言って通用する言い訳でないことはわかるはずだ。それでも、言いはる。こんな日本人が増えているとしたら、実に悲しいことだ。
こちらがあんぐりしてしまうような物言いをするのは何も米国人だけではない。彼の隣国の人々もそうではないか。反日デモの際、国際法遵守を怠っておきながら、彼の国の前外相は、ことの原因を我が国に押し付けてきたではないか。某桜井女子が既に指摘しているように、今回の毒入り餃子事件をめぐる向こうの言い分も意味深だ。両国友好の発展を阻害する分子がかりに向こう側にいたといして(まあ犯人は動機が何であれ向こう側の人間であることは間違いあるまいが)、その動機が国家間の友好促進に反対するものだとして、犯人を犯行に至らしめた背景には歴史問題がある、つまり我が方にも責任の一端がある、と主張できる余地を残しておきたい、という魂胆が見え隠れする、というのは思い込みがすぎるだろうか。
かつて日本人は世界を「虎狼の海」とたとえ、万国を「敵」とみなした時代があったが、今の国際情勢も昔とさほど変わらぬものと思った方がよいのかもしれない。さもなくば、そのうちに領土をかすめ取られながら「失地回復」と開き直られる羽目になるやもしれない。「人をみたら泥棒と思え」、これは外の世界の見方としては、外の世界で生きていくうえにおいては正しい。泥棒、強盗やそれに類する輩が白を黒とぬけぬけと恥もなく言ってのけながら大道をかっぽするような国や社会が我が国の外にはあるのだから。
追記 ちなみに私は「反米」ではありません。過去の遺恨とか「このやろう!」と思うところはありますけど、「反米」主義者ではない。まあ、「反米主義者」のレッテルを張られたとして、それで困るということもないのですが、自己認識としては「反米」ではない。↑で言いたい放題言っていますが、それが米国人の「現実」の姿なのですから、それが嫌でも何でも、「現実」はそのままに受け入れるしかないと思っています。中には可変な現実もあるのでしょうが、国民性とか民族性というものはそう簡単に変えられるものではない。であるならば「そこが変だよ米国人!」とばかりに、彼らの忌み嫌うべき点を憎んでも仕方がない。憎んで向こうが変わるものならいくらでも憎もうが、感情をぶつけたところで、こちらも向こうの感情の反撃にあうだけ。後は泥試合。そんなことなら、彼らの憎むべき点も「現実」としてそのまま受け入れたうえで、「アメリカ人というのはかくかくしかじかな人間たちなのだ」と呑みこんで付き合っていけばいいのではと。実際、アメリカ人、憎むべき点もありますが、愛すべきところも多々ありますよ。向こうに10年余暮らして、「この野郎!」と思ったことも多々ありますが、いまだに感謝してし尽せないような経験もこれまた多々ありまして。人はあって七癖といいますからね。他者の憎むべきも愛すべきもすべて受け入れてこそ相手を冷静に見つめることができるのかなあと・・。恋人同士、夫婦、家族、親子でもそうじゃありませんか?愛憎を踏まえてこそ、互いに互いを理解することができるってのは。まあ、いかに肉親といえども別人格同士ですから100%の相互理解なんてありえないですけど。他国、多民族、他人種なら尚更ということで。
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