チャチャヤン気分

《ヘリコニア談話室》後継ブログ

藤井太洋『おうむの夢と操り人形』

2023年12月18日 23時06分01秒 | 日記
「理解とは誤解だ」
私が大学生のとき、ゼミの教授が言った言葉。
藤井太洋「おうむの夢と操り人形」(Kindle Single)を読んでいて、この言葉が久しぶりに脳裏に甦りました。
例によって、本篇もまた岡本SFと分野が被ります※。つまりAIもので、本篇は、パドルという、主人公の言葉を借りれば「人の形をしたスマートスピーカー」をめぐるお話ということになる。
スマートスピーカーとは何か。
アレクサやOKグーグルのことですね。
検索しますと、《スマートスピーカーとは、対話型の音声操作に対応したAIアシスタントを利用可能なスピーカー》とありました。
パドルは、スマートスピーカーが搭載されたヒト型ロボットで、それもかなり簡易なモデルなのです。
タイトルにあるように、質問者の質問内容を「オウム返し」に返しながら、つまりある意味質問者とのあいだで対話をしながら、質問の意図に迫っていくわけです。
対話とは言い条、もとよりAIアシスタントに意識(心)があるわけではないのはいうまでもありません。
アレクサに人格を感じる人は、なかにはいるかも知れませんがごく少数でしょう。
ところが、ヒト型のなかに搭載されたことで、パドルはきわめて人間臭くなります。というか、それを見るものが勝手に人間を感じてしまう。(歩行型ではなく車輪なのですが、ペタペタと歩いているような足音を発するようにしてからは、さらに人々はそれに人間を感じ、いたずらは激減します)
しかし――
「その手には乗るものか」
これは開発者(改良者?)である主人公の自戒の言葉。
企業化においても、(心があると)勘違いさせるような売り方は慎もう、そう共同経営者と申し合わせるのですが……
資本主義はそんな感傷を粉砕してしまうのですなあ。
認知症患者がパロットに対し、人間に対するように接しているのを見て、嫌気が差した主人公は会社から身を引く。
20年後、共同経営者と再会した主人公は驚愕の事実を知らされます。
それこそ――
「理解とは誤解だ」
だったのでした。
理解とは誤解であり、だからこそ社会や共同体は円滑に動いているのだという根源的事実。
そうなんです。人間とパドルの間に、本質的な違いなんて、なかったのでした……嗚呼。

※いやもちろん被るのは分野であって、アプローチされる内容は当然違います。為念。


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