現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

成せば成るものだ。

2014-08-25 | Weblog

オーストラリアのゴールドコーストで、パンパシ水泳が開かれていた。1964年の東京オリンピックでは、水泳は、日本陣は世界レベルで歯が立たなかった。前畑さんや、古橋さんが、世界のトビウオと言われて活躍が目ざましかったということの話だけは聞いていたが、実際の活躍は知らないし、自分世代では、せいぜい平泳ぎなどで、一人ぐらいの逸材が出てくるぐらいが関の山で、リレー、メドレーリレーなどは決勝へすら進めなかったり、自由形やバタフライなどのパワー系は、立ち打ちできるレベルでなかった。東京オリンピックで強かった競技では、体操、柔道、重量上げ、女子バレーボールなどで、水泳、陸上などは、ほとんどが予選どまりといっていいぐらいだった。その後も、これらの傾向は同じで、体操なども一時は中国が圧倒する時代が来たし、柔道も最近の傾向の通り、外国勢にとって代わられる部分も出てきている。自分たちの世代からは、金輪際、水泳や陸上では拮抗するような時代は永遠に来ないぐらいの気持ちだったというのが正直なところだ。

先のバドミントンの男子世界大会(トマス杯)でも、70年の大会歴史の中で、初優勝を飾ったし、活躍した担い手が、20歳前後の選手たちの活躍だ。今回のパンパシ水泳でも、自由形やバタフライのパワー系、しかもリレーなどでも、ほとんど金メダルに近い。米国や豪州勢と互角に競り合うのだから、立派の一言に尽きる。(大きな、あっぱれ だ。) こんな時代がくるなんて、と思ってしまった。また選手一人一人のインタビューの受け答えも、水泳選手については、いつもながら、はっきりと思いを伝えてくると、その点も感心している。そのあたりも、伝統として引き継がれているのだろう。それにしても、1日に何種目もエントリーして、しっかりと結果に繋げていく。以前には考えられなかった姿だ。ぜひとも、心技体のいずれもさらに引き継がれていくことを願う。

テニスについても、個人的にはトップランカーを輩出するようになってきたが、総合力という点では今一歩で、国別対抗のデビスカップで結果を残せるところまでは到達していない。

冬季オリンピックでも、若い世代が実績を残すようになってきており、今の10代後半から20歳前後にかけて、大したものだと思う。どうしてこれらの年代が活躍できるように発展してきたのだろうか? 個人個人の切磋琢磨に加えて、指導方法、トレーニング方法の発達が寄与しているのだろうが、それ以外に、周囲の理解度が深まり、拡がりが、情報入手の容易さとともに選手の個性的な考え、態度が尊重せれるようになったことがあるように思う。

自分自身バドミントンのプレーに関しても、従来は教科書的な本からでしか、トップの技術を学べなかったものが、さらにそれらは多分に画一的な事柄に終始している場合が多くあったが、今は、世界のトップレベルの実際のプレーそんものをインターネットを通じて映像で見ることができる。そうすると、教科書本では、高い位置で処理するように書かれているだけの内容から、実際は、床すれすれでの処理が多いこともわかるし、それらをどのように対応するのかがいかに重要かがわかってくる。ワンパターンでない、マニュアル通りには実際のゲームではそうはならないことがわかり、それらの対応について自分が納得できるところで理解できる。変則的なことに対しての理解度も深まるし、周囲も非実践的なことを言わなくなる。改めて“島国根性”では取り残されるだけと再認識させられる。いまどきの若者にエールを送るとともに、少しでも自分に採り入れられるところは、積極的にマネをしてでも活用したいものだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿