現代今昔物語―自分流儀。伝承。贈ることば、子供たちへ。不変のストーリー

我が息子と娘へ伝承したいメッセージをというのがきっかけで、時代が違っても考えかたは不滅といった内容を新世代達へ残したい。

記憶

2014-08-04 | Weblog

いつのころからだろうか? 振り返ることが多くなってきたのは。若い時分は、振り返ったとしても、何か失敗した時などに、「後悔先に立たず」 とは言いながらも、自然と前向きに変わっている。それは、これから先に挑んでいかなくてはならない世界が、それまでの人生の大きさより、はるかに大きく感じられるから、港を出港したばかりで、これからの大海原を期待と希望で膨らませているからだろう。

それが、いつのまにやら、過去の出来事が次から次へ、何かにつけてフラッシュバックのように出現する。場面は様々だ。順不同。鮮明なこともあれば、酔っ払って、飛んでしまっている記憶のように、全く思い出せない時期もたくさんある。お酒をたしなまない人たちは、記憶が飛んでしまうということが、少なくとも酔っ払いよりは少ないだろうから、記憶領域も広いのだろうか? 人間の脳みそは、おそらく自分自身の心の均衡をできるかぎり、自分で最良な状態を保つように、覚えておきたくない記憶も自動的に消去するように制御できる構造になっているのであろう、などと都合よく勝手に決め込んでいるのだが。なにもかも全て記憶があると仮定したら、どんな精神構造になってしまうのだろうか? 脳みそが爆発でも起こすのだろうか? 

あせるな、と言われても、早々時間があるわけでもない。Let it be. でいいのだ、だけでは納得がいかない。 かといって、何ができる? 政治、経済、法律、宗教、いろいろあるだろうが、出発点は、どうも教育というところに帰着する気がする。日本流画一教育は、大企業依存型社会構造に最適なシステムなのだ。

以前少し取り上げた、消費税の軽減税率問題だが、その中身をどうのこうのと、どうあがこうが、誰ものが納得できるものに仕上がらないのだから、そんなくだらない議論に時間を浪費するのは即刻止めて、10%への引き上げを止めて、8%維持するか、それとも中をとって、9%にするといったほうが、すっきりとしそうなんじゃないのと、思ってしまうが、いかがなものか? 消費税そのもの自体が、低所得者には負担感が大きい性質を持っているものなのだから、そこの問題を小手先の手法を採り入れたところで、政府は十分に国民のことを考慮してくれているなんて誰も考えないだろう。

コメント
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