flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

性海寺

2016-04-20 00:00:00 | ほとけのいおり

(愛知県稲沢市大塚南 1998年11月8日)
 真言宗大塚山性海(しょうかい)寺は、同寺所蔵「住持頼景撰性海寺由来記」によると、弘仁年間(810-24)空海により創建され、一時衰退したが、建久年間(1190-99)当地中島郡領主の長谷部源政が再興し、熱田神宮家出自の良敏が中興開山としている。文永八年(1271)後堀河天皇の中宮鷹司院近衛長子から令旨を受けて官寺となり、弘安三年(1280)には中興第三世浄胤(じょういん)は蒙古襲来に備え、花園上皇の要請で祈祷を行ったという。また、応長二年(1312)京東林寺尼僧尊如より寺内修理料として田畑が寄進され、元弘三年(1333)後醍醐天皇の綸旨(りんじ:蔵人(くろうど:律令下の官職)が天皇の意を受けて発給する命令文書)、文和二年(1353)には後光厳天皇より院宣(いんぜん:天皇の命令を伝達する文書)を受けている。建武の争乱の際には足利尊氏・直義の制札を得て破壊を免れ、三十四世良円の甥浅野長政より寺領百石、そして慶長五年(1600)には清洲城主松平忠吉、慶長十二年(1607)後の初代尾張藩主で忠吉の弟である徳川義直からそれぞれ寺領百石を寄進されている。境内には大聖歓喜天の彫像を埋納した伝説のある大塚古墳があり、平成4年に歴史公園として整備された。
 国重文 本堂 慶安元年
 国重文 多宝塔 伝建長五年


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