小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

四月七日 

2016-08-14 | 嘉永四年 辛亥日記

雨が降る。
小梅も母君も少々風邪を引き返したようだ。
増田からうなぎを少し送ってきた。
5時頃、深津から混ぜ寿司少々、鈴木正五郎から菓子、昨日は岡本から菓子一箱が届いた。
いずれも首尾良く勤めたので昨日はご褒美を頂戴したそうだ。
深津も岡本も鈴木も百疋ずつ。和田安太郎はなし。
昨夕、了吉が六十目持参した。(禄分?)
これは、二月と三月の二月分。
市川斉から頼まれていた小紙へ菊薄彩色一枚に短冊へも菊を描く。母君も歌を。
江戸へ行く人に渡すらしい。
酒井省安から手紙がくる。
詩本を返す。主人は2時過ぎに三浦公へ行く。
梅本から赤飯、ひらめ、なますなどが届く。
藤四郎殿の誕生日のよし。


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四月六日

2016-08-10 | 嘉永四年 辛亥日記
 
天気は良いが快晴ではない。
終日、誰も来ない。
主人は学校当番。
岩橋から学校へ来てくれとの手紙が届いたので行った。
用件は十倉良蔵が養子を迎えたので弟子にしてくれよとのこと。


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四月五日

2016-08-07 | 嘉永四年 辛亥日記
  
朝の内は小雨が降った。
正住寺へ行く約束なので小梅は髪を結うなど支度を拵えた。
その内に段々と晴れて2時頃には快晴となった。
久右衞門殿が来て9日には午後から来られよと言う。
安兵も上に来る。
2時過ぎから出かけた。同道したのは滝本源三郎だけ。
主人は岡野、山本へ行き後から来たが既に酔っていた。
正住寺の楼ではとても気分がよく、藤の花も今年はあまり良くないながら残りがあった。
白と藤色が混じっている。藤色の方は鳩が食べて困ったとのこと。
弟子等も来て太平楽をする。
宮下は篳篥(ひちりき)、弘龍は横笛。
いま一人の僧の笛吹き、また別の小僧も篳篥と四人で合奏した。
おおいに盛り上がる。
とうふやがきて夕飯も食べて8時過ぎに帰った。

  するがにもゆかで詠むる白砂の 雪のふじの根高きはなの香
  うちまじり咲くもめづらし白砂と うら紫のふぢなこのはな(小梅)

※ 太平楽  雅楽の曲名
※ 篳篥  雅楽の流れを汲む近代に作られた神楽などで使う管楽器の1つ。


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四月四日 

2016-08-04 | 嘉永四年 辛亥日記
 
また降る。
昼前に沼野正八から肴一籠、その中に酒一徳利入れて送ってきた。料理してみんなで食べた。
米を搗きにやる。
海野より使いが来たので後刻行くと言った。
夜前に行くはずだったが行かなかった。
夜前には村井へ行った。さらに遠藤へ行こうとしたが止めて帰った。
道三丁目の白樫某の葬送で見送りの人が多くて砂ゴミがたつほどだったそうだ。
乞食に一人前200文づつやるらしく大勢が葬列の跡についていくのだ。
白樫某は町方同心隠密方を相務める者らしい。
原兵右衛門よりは猶盛に暮らすとのこと。


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四月三日

2016-08-01 | 嘉永四年 辛亥日記
 
天気よし。
昼頃に了吉が帰った。このあいだから風邪気味だ。
小梅も同様で寝ている。
しかし、昨日は木綿の袷を仕合わせ今日は縮緬の袷を仕合わせた。
岸へ切り取りにやる。
正住寺から5日には来るかと申しきた。
夕方には主人が村井へ行った。
前田から使いが来て雪駄はないかと言う。失う。
帰りにははだしだったそうな。
牡丹を二花送られた。
了吉も古い雪駄を失った。


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