小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

一月二十七日

2018-04-08 | 嘉永六年 癸丑日記

一月二十七日 

雨が昨夜から降り続いている。
今日は一位様のご遺体が藤白坂をお通りになるそうだ。
泥道なのでお供の方々は難儀しているらしい。
昨日からの雨で泥道になり仕方ないことだ。

※藤白坂
和歌山市海南市。熊野古道の一部。
紀州徳川家の菩提寺である長保寺への途中にある。
大化の改新後に十九才で謀反の疑いで有間皇子が処刑された場所。
万葉集に残る有名な辞世の和歌の歌碑がある。

磐代の浜松が枝を引き結び ま幸くあらば また還り見む
家にあらば笥に盛る飯を草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る

有間皇子神社


有間皇子の歌碑(藤白神社境内)



長保寺

全山が紀州徳沢家の墓所です。
山門の先から長い石段のうえの雑木林の中にそれぞれの墓所があります。
正室と並んだ墓石があり、下の方に側室や重臣の墓石があります。

長保寺山門


徳川治宝墓所







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