小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

十一月二十四日、二十五日

2013-01-18 | 嘉永二年
十一月二十四日 
曇っていたが暖かかった。
今日は学校当番。
中林良泰が岩一郎の腫れ物を診にくる。
軽い癕(よう)だとのこと。膏薬を取りに来るように言われる。
八百輔が寒中見舞いに庭に来た。
昨日、梅本が持参したタバコ(多葉粉)二玉の一つを仁達にあげた。


十一月二十五日 
今日は会の日。
富永、札川、田沼、田中等が来た。
終わってから酒を出す。その後から詩作が始まり、おかゆを炊いて出す。
夜になって回状がくる。
そこには「患っておられたお部屋様(城主の側室)が本日、丑の刻に逝去されたにつき、明日二十六日はご機嫌伺いに登城すること。ご逝去により仕掛けや普請は今日より三日、鳴り物は七日間禁止する」とあった。
回状は良蔵に大橋に回すよう持たせた。良吉と文斉もついて行く。

コメント
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